「鎌倉殿」の史跡を巡る 承久の乱(下):武家が朝廷を破る、「配流の地」隠岐の島で後鳥羽上皇が過ごした日々(最終回) 歴史 旅 文化 社会 2022.12.02 「執権・北条義時を追討せよ」との後鳥羽上皇の命令が引き金となった承久の乱。反撃に出た鎌倉幕府軍は朝廷軍を打ち破り、その後650年近く続く武家社会の画期となった。しかし、勝者がいれば、敗者もいる。隠岐の島へ流された「治天の君」後鳥羽上皇は、絶海の孤島で晩年をどのように過ごしたのだろうか。 激流の宇治川の戦い 京都市の南を流れる宇治川。この川に架かる宇治橋の周辺が、承久の乱で幕府軍が朝廷軍と激突した最後の関門となった。河原に降りてみると、橋桁のそばは白く渦巻くほどの奔流となっている。琵琶湖を水源とする宇治川は水量が多く、流れが速い。宇治橋は長さ150メートルあるから、川幅もかなり広く、幕府軍を悩ませたのではと想像できる。 宇治橋のたもと