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ブックマーク / zuisho.hatenadiary.jp (65)

  • 全編手話の台詞ゼロ映画『ザ・トライブ』感想文 - ←ズイショ→

    全編手話、台詞なし、字幕なし、吹き替えなし、BGMなし、というないない尽くし。最早ハゲあがった酔っ払いのおっさんに「じゃあもう料金も半額でええやろ」と言われかねない(お前もう観にくるなよ)そんなレベルの異色映画『ザ・トライブ』を観てきました。なので、その感想文です。 まず、台詞もBGMも当に最初から最後までなかったです。客の寝息がとてもよく聴こえた。どうやって2時間半ガッツリもたせるつもりなんだろうと思っていたらオーソドックスな飛び道具・反則手は一通り網羅しておりR-18スタンプラリーは十分にコンプリートしているんじゃないかなくらいの感じです。それなりにヘビーな描写は含みつつも無音で淡々としたエンターテイメント性の乏しいアレなもんですから家でDVDで観るのも随分かったるそうだし、どうせ興味あるなら劇場で観た方がいいんじゃないですかね。 とりあえず「全編手話!」という触れ込みのモノ珍しさが

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  • 【読み物】今夫と未来子 - ←ズイショ→

    かくして今夫(いまお)は戻ってきた。未来子(みくこ)が死ぬる以前の時間に。いや、かくしても何もあるか、今夫は気付けばただ無軌道に何の脈絡もなく戻っていたのだ。あの地獄の出現する手前の時間に。未来子に思いの丈を告げた時間のあの手前に。 今夫が正門前から見上げた校舎の中央に掛けられた時計の針が指し示す時間は午後2時55分、未来子が死ぬまであと5分。あの、あの二度と見たくもない、あの理不尽な、あの余りな結末まであと5分、今夫はそれを見上げるや否や事態を半分察知して半分夢見心地のまま、全力で走る。全力で喉の奥からこの娑婆世界に飛び出んとする吐瀉物一揆をすんでのところで堪えながら手をパーにして正面玄関へと走る。未来子が待つ正面玄関へと走る。厳密には未来子は今夫を待ってなどいない、そこで待っているのは二人を引き裂くどころか世界を木端に砕く運命でしかないのだが、今夫は下校するところの未来子を目指して走る

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  • ブログの書き方 - ←ズイショ→

    読んだので僕も何か書きます。まぁ過去何回か書いてる気もするけど、こういうのは定期的に書くもんなんです。 まずエントリを書き出すにあたりテーマを決めます。テーマは全く何でもいいです。テーマに付随して、「これだけは書こう」と思うことを最低で1個作ります。付随してというか、こっちの方が重要でこれがないと書き始められません。逆に言えば「これだけは書こう」というワンフレーズさえ思いつけばマジでテーマは何でもいいです。テーマが先立つことはありません。「これは考えるべき重要なテーマだから是非とも取り上げよう」とか「これはみんな興味関心があるテーマだからじっくり考えてみよう」みたいなのは皆無です、「たぶんなんか書けそうなもの」についてしか書きません。意識低いです。あとは、テエキストエディタを開いて書き始めます。書き終わったら更新ボタンを押します。終わりです。以下余談です。 特にブログの文章については、ロッ

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  • 前倒し日記:吉野花見編 - ←ズイショ→

    明日の話になるのですが、奈良は吉野に嫁さんと二人で桜を見に行ってきました。厳密にはまだ行ってません。嫁さんは既にいます。しかし、まだ実際には行っていないものの吉野は過去に紅葉狩りで一度行ったこともあるので記憶を頼りに頑張ればきっと前倒しでも書いて書けないことはないはず。「明日やろうはバカヤロー」とは生前の萩欽一さんが言っていた名言ですが(まだ死んでません)、日記だからと言って馬鹿正直にその日が終わった後に書いてやる必要などありません。何でもかんでも問題が表面化するまで先延ばしにしようとするのは日人の悪い癖です。そのような国民性がウナギを絶滅に追い込んだと言っても決して言い過ぎではないでしょう(まだウナギは絶滅してません)。今回はまだ行っていない吉野観光の日記を先んじてしたためてみたいと思います。それではさっそく体験しないうちに書いちゃいましょう(「忘れないうちに書いちゃいましょう」のク

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    amenomorino
    amenomorino 2015/04/08
    わぁ。
  • 『グレート・ギャッツビー』感想文 - ←ズイショ→

    読みましたー。 グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹 出版社/メーカー: 中央公論新社 発売日: 2006/11 メディア: 単行 購入: 23人 クリック: 170回 この商品を含むブログ (484件) を見る 特に2015年に生きる29歳の僕からして目新しいことというのは何一つなかったのだけれど、どのように書かれるのかこそが問題であるように思われた。歯をいしばっていては歯をいしばったままで言えることしか言えない。僕の営みも誰の営みも、すべては極めて個人的な営みに過ぎず、もちろんそれらが相互に作用して僕と貴方の、僕と世界の関係が形作られていくそんな決まりきった当たり前の真理にどのような態度で相対したいのか。このが示す問題はそこらへんであるように思われた。言葉は、振る舞いは

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  • 自分の葬式はどんながいいか - ←ズイショ→

    もう3年近くも前の話になるのだけど結婚式結婚披露宴というものをやったのだけれど、当時の僕は今の僕よりもいくらか偏屈なやつだったが更に遡ること数年前の僕よりはいくらか話のわかるやつだったので、二十歳もそこそこの頃は「結婚式なんぞ誰が挙げてやるものか」と考えていたが結婚式をいざやろうとなったその頃には「いいよいいよ、君が大事にしたい結婚式ならできる限り良いものにしたいね、君のしたいようにできるよう頑張ろう」というスタンスであった。しかし、その後に続く言葉があって、それは、「ただし、その分、俺の葬式だけは絶対に俺の好きにさせてもらうけどな」であった。 葬式なんぞしみったれてるのも馬鹿馬鹿しいので馬鹿馬鹿しけりゃ馬鹿馬鹿しいほどなお良い。案はいくつかある。 例えば、ムービーを流す、読経を終えていよいよ出棺というところでムービーを流す。目の色も肌の色も違う色々な国の子どもの顔のアップが次々に映し出

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  • ババアが一人でやってるちっちゃな居酒屋 - ←ズイショ→

    トピック「思い出のレストラン」について 大学の近所にババアが一人でやってるちっちゃな居酒屋があった。先輩がよく使っているという理由で僕もよく連れて行かれることとなり、やがて僕は一人でも足を運ぶようになった。テーブル3つとカウンター席が5つほど、たぶん厨房含めて8畳とかそこらの小さな小さな店だった。ババアはいつだって家のテンションで店に鎮座しているので、訪れた僕たちはいつだって家に来た客人のテンションで出迎えられる。まずその日のババアのハイライトを聞き果せないことにはドリンクのオーダーが通らない。お前らは俺の息子だと言い放つ教師やバーのマスターはテレビで見たこともあったが、当に客を息子のように扱うババアは自分が喋りたいことを喋りきるまで酒を出してくれないのだなということを、職務をおいそれとはすんなり果たしてくれないのだなということを、僕は初めて知った。真っこと漫画から出てきたような如何にも

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  • 二カ月連続の13日の金曜日 - ←ズイショ→

    今日は2015年3月13日金曜日、いわゆる13日の金曜日だから「うわ、13日の金曜日だ!」とかみんな言うんだけどさ、言っとくけど先月も来たからね。去るところの2015年2月13日も13日の金曜日だったからね、で、今年はうるう年じゃなかったから2月は当然28日しかないわけよ、28っていうと九九でいうところのししちにじゅうはちつって7で割り切れるわけ。だから当然3月の1日~28日の曜日っていうのは2月と全く同じ形になるの。だから当然先月の13日が金曜日なら今月も13日は金曜日なわけ。もともと僕は迷信とかジンクスとかゲン担ぎそこまで好きじゃないけどそういうの面白がる気持ちはわかるよ、そういうので一喜一憂することで日々の生活に彩りが加わるみたいなそういう発想はわからんでもない、だから13日の金曜日にテンション上がる気持ちもわかるんだけど、13日の金曜日ってたまたま何の気なしにふっとカレンダー見て気

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  • 加害者を作らないための話を上手にするのムズすぎ問題 - ←ズイショ→

    コメント欄の遣り取りが面白かった(面白かったって言い切るなよ)。 100人が100人をぶん殴った時に100人全員がちゃんと相応の罰を受けることが望ましいのは当たり前。当たり前だけどそれが今ちゃんとできているのかというとどうもそうでもないらしいので、それが当たり前の世の中になるためにみんなちゃんと怒らなくちゃならないというのも当たり前。 一方で、100人が100人をぶん殴った時に100人全員がちゃんと罰を受ければそれで万事オッケーなのかというと、それだけじゃあまだ随分足りない。ぶん殴った奴が適切な罰を受け、それを見届けた人たちが「よかったよかった」と言いながら解散した後に残るのは、100人の殴られた人だけだ。それなりの罰が向こうに下ればそりゃあ少しは気が済むのかもしれないけれど、最初から何もなければそれが何よりだったはずなのも当たり前だ。 別に殴られる方だって、そいつがもっと他のたくさんの人

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  • 20150305 - ←ズイショ→

    上記読んで俺もなんか書こうかなと思ったので何か書きます。ちなみに今はサービス精神が限りなくゼロに近い状態なので普通の雑文になる見込みです。まぁ、いつもだけどね。その証拠に今ちょうど後ろから妖怪いつもじゃんジジイが僕に突然飛びかかって来たんですけど襖の向こうに控えていた僕の従者が槍で一突きにしたので間一髪、僕は事なきを得ました。足元には息も絶え絶えにキュウキュウと鳴く声が聴こえました。そうです、いつもじゃんジジイの正体は母を人間に殺されたかわいそうな子狐だったのです。これはかわいそうなことをした。合掌。 ブログをやってこんだけギャースカと文字列を綴ってたりすると、たまに「もともと文章を書くのが好きだったんですか?」とかいう質問をされるのだけれども「いえ、好きじゃないです」と答えるんですがなぜかというと実際に好きじゃないからです。文章を書くという体験について遡れば、やはり id:fktack

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  • 一人行動中は一人行動を貫徹したい - ←ズイショ→

    上記は別に人付き合いが苦手なわけではないんだけど街中だとか電車だとかで顔見知りに出くわすのはイヤだなって内容のエントリなのですが「めっちゃわかる!」ってなったので何かを書きますね。 とりわけ僕が最も苦手なのは会社から帰りがけの駅で同じく帰りがけの人と出くわして一緒に電車に乗り合わせるパターンで、その際に僕はまずイの一番に「ご自宅どこでしたっけ? どこかで乗り換えですか?」というようなことを訊ねるわけですけれどもそれはもう完全に「お前と一緒に電車乗ってどうでもいい話するの糞だるいよギャオーーーンせめてこれがどれだけの時間続く予定なのか俺は出来る限り正確に知りたいんじゃギヨーーーン」という意図から発せられる言葉なのでそのように受け取って頂いても別に結構です。別に極端な人嫌いかというとそういうことでもないんだよね、例えばそれはそれでどういう流れかよくわからんけど一緒に会社を出て一緒に電車に乗ると

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  • 『ルドルフとイッパイアッテナ』感想文 - ←ズイショ→

    なんで読むに至ったか完全に経緯忘れたんですけど『ルドルフとイッパイアッテナ』という児童書のシリーズを読みました。 これはたぶん小学生向けくらいなのかなぁ。低学年くらいだとまだ厳しいのかなぁ。いや、一冊が200ページくらいで文量としてはそこそこあるのかなと思うんですけど、まぁ字はでかいし絵もあるし文章も平易だしまぁなんとかなるんじゃないの。くらい。だと思う(たぶんググればわかる(ググらないけど))。 あらすじは飼いネコとしてぬくぬく暮らしていたルドルフという名前の黒ネコがひょんなことから野良生活を送るはめになってしまい、頼れる兄貴肌のイッパイアッテナというトラに助けられながらなんとかやっていくみたいなそういう物語です。イッパイアッテナという変な名前は、野良として方々の近隣住民にべ物をもらいに行く関係で「俺の名前はいっぱいあってな……」としゃちほこばったところで「ああ、イッパイアッテナっ

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    amenomorino
    amenomorino 2015/02/27
    テレビ絵本のも大好きだったから毒蝮三太夫の声で甦ってくる。
  • 夫婦別姓を選択できるようになったら迷惑な人は、別に普通に存在する - ←ズイショ→

    あのなんか最近、やるのかな、最高裁、ぼく法律のこととかよくわからないからよくわかんないんだけど、やるから話題になってるのかな、夫婦別姓の話題が盛り上がってるのを見かけた。最高裁の裁判官は、とても背が高いのかな、3高はもちろん押さえてないと最高なんてなかなか言えませんよね。最高の判決を見せてくれよ頼むぜ最高裁!みたいな。 まぁ、裁判がどうのはよく知らないんすけど、なんか夫婦別姓についてで話が盛り上がってるのを見かけて、面白いんですよね。 最初に僕個人の意見を述べておくと、夫婦別姓賛成です。選択肢がないばっかりに辛い思いをする人がいるのは良くないことだと思う。僕は男性なのでそこらへんの感じよく分かりませんが既婚男性なので、嫁はなんか苗字変わったらしいということは聞いております。ファミレスの待ち受けリストみたいなのに俺の苗字書いてるのを見ると、「おいおいノロケはよせよ~(笑)」って思いますよね。

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    amenomorino
    amenomorino 2015/02/22
    ”世間の空気みたいなのを変えていくのも大事”
  • 文章が語りかける相手と想定読者はしばしば一致しない - ←ズイショ→

    このブログ記事を見かけて「この話をするのにこのタイトルつける感覚がイクメンっぽいなと思った」とツイッターでコメントした。で、なぜそんな風に思ったのかがぼんやりわかったのでぼんやりだけでも頭に残ってるうちにメモ。 文章が語りかける相手と想定読者はしばしば一致しない。このほう太パパさんという人は主に育児を題材にしたブログを書いている人なんだけど、冒頭に挙げたエントリなんかはタイトルからして顕著ですが、この方の文章って「育児をしていない人向け」という設定で書かれてる印象が強い(ように俺には見えた)。しかしコメントやはてなブックマークを覗いた感じ実際に読んでいる層は育児経験者ばかりだったりする。なんか、ここのギャップが気になる。 いや、実際には書いてる人も「僕が書いた文章を読むのは育児をしているお母さんお父さんだ」とは思っているのかもしれない。けどなんか文章の要所に「知らない人に教える」みたいな話

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  • 残念ながらベタながら理想の恋愛関係とは小説家と編集 - ←ズイショ→

    いつだったか情熱大陸だかソロモン流だか的な番組で『共喰い』で芥川賞を取った田中慎弥さんの特集をやっていてたまたま観てたんだけれど、まぁこいつがひどいんだ。どうひどいのかうまく言えないんだけど、まぁひどいんだ。テレビを見ているとたまに「おまえお笑い芸人になれなかったらもう死ぬしかないじゃんね」って思えるどうしようもなく面白いお笑い芸人が出てくるけど、同じようにそういう風な小説家も存在する。それは別に悪いことではない。で、番組は田中慎弥さんのユニークな人柄にフューチャーする形で展開するんだけど、終盤になって次の連載に取りかかるってことで田中慎弥さんがどこだかの旅館だかでその一話を書き上げるって話になるんだ。浴衣に着替えて机に向かって延々ペンを走らせる田中慎弥さん、ようやく書き上げたところで編集の人が読みに来る。この編集の人が20代もそこそこのそこそこかわいいネーチャンで俺は「わっかりやすー!」

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  • ゴダール『さらば、愛の言葉よ』めちゃめちゃ面白かっためちゃめちゃ面白かった - ←ズイショ→

    映画界の巨匠だと巷でもっぱら評判のおじいちゃんことゴダールおじいちゃんが撮った3Dの映画が面白いという話を聞いたので早速観てきました!全員メガネをかけていました!観客の話ね! 登場人物はメガネかけてませんでした! 結論から言うと、これは、めちゃめちゃ面白かったです。折角今の時代に生まれて生きてるんだから観ないともったいないですよって勢いで面白かったです。3Dじゃないと意味がないので映画館で観ましょう、むしろDVDで2Dで観て「面白かった」って言ってる奴がいたらそれはそれでそいつとは気が合わなさそう、と思うであろう俺こと僕です。もともとインテリ臭い映画は苦手なのでゴダールっていう監督さん自体もこれまでの人生で観たことなかったんです。予習がてらに『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』観ましたがやっぱりよくわかりませんでした。しかしこの『さらば、愛の言葉よ』はめちゃめちゃ面白かっためちゃめちゃ面白

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  • オシャレコンプレックスこじらせ糞野郎、今年も散髪の度に心乱れる!の巻 - ←ズイショ→

    翌日に人前に出る予定が急遽出来たので髪を切ろうと昼下がりに思い立ち馴染みの美容院に電話をかけた私は「今日の夕方から予約できますか?」と尋ねると「美容師に指定がなければ17時から可能です」と言われたのでそれで構わないとそのまま予約を取り付けた。僕は根っからのオシャレコンプレックス糞野郎で自分が身だしなみを整えるということに気恥ずかしさや自己嫌悪感どころかちょっとした罪の意識まで感じるレベルなので散髪イベントは毎度の苦行でたかだか髪を切りに行っただけの話をブログで取り上げるのもたぶんこれで3回目か4回目くらいである。思えば結婚して住まいを移したのを機会に私はそれまで6年近く通っていた美容院を離れ、近場で新たな美容院を求めては徘徊する美容院ジプシーへとジョブチェンジしたわけだが、ここ1年くらいは同じお店に通い続けているので傍から見ると落ち着いたように見えるかもしれないがその店に赴く俺の心象風景は

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  • 「文章を書く」について考えたこと - ←ズイショ→

    毎年ドラフトの季節になると「今年こそは俺にも声が掛かると思ったんやけど」みたいなギャグを言うおっさんは日中そこかしこにいるんですけど、日でも数少ないそのギャグをノーベル文学賞の時にも言えちゃうおじさん(人は迷惑だそうです)が文章を書くコツを問われてすごい投げやりな回答をかましてたのをキッカケに色んな人が「文章を書く」ということについてあーだこーだ言ってて俺もなんか書きたいなってなりました。 でも最初は人のを読む分には楽しいけど俺はいいかなと思っていたところがあって、というのも一時期結構文章を書くとはみたいな話を好んでやってて、だから「もういいかな」と思うところがあったんだけど、よくよく考えると前にそういう話をしていた動機というか目的が「俺が俺のやり方を把握してないので俺のやり方を少しでも把握するため」だったので、なんかこう指を突っ込まないでゲロを吐けるみたいな特技があるんですけど自分

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  • 「友達」の話 - ←ズイショ→

    そういえば今週ブログを書いていないなと気付きテキストエディタを開き、何か他愛もない話をしたいところだったので何か他愛もない話はないかなと思い考えると、そういえば誰かがこの前ブログで「友達」の話をしていてそれは如何にも他愛がなかったので僕もその話をしようと思った。 「友達」という言葉を考えるに、「友達」という言葉が僕の生活にどのように登場するか考えるに、矛盾だらけの自分が思い起こされ如何にも他愛がないのだけれど例えば僕は「僕は友達がいない」と言うことをよく言う。人前で言う。その人前と呼ばれる僕の前に立つ人々の中には、僕のことを友達だと思っていたのに、そう思う人もいるのかもしれない。悪いかなと思う時は、ない。ないない。その一方で、僕はとてもお気軽に何の気なしに「友達だもんな」と言う。これははっきり言ってギャグだと思って言っている。「きっといつか二人で空を飛ぼう」と「友達だもんな」はきっとほとん

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  • いじめが減らないのはいじめが赦されないから - ←ズイショ→

    いじめが世界から全くなくなることは恐らくないだろうが、今よりマシにする手立てはまだ随分残されているように思う。 例えばそれはいじめる側の心理をよく知ることだ。 いじめる側がどのようにいじめる相手を選び、どのように人知れずいじめを行い、どのように自分がいじめることを正当化するのか。 実のところ私たちはそれをよく知らない。 それらをもっとよく知ればこれから起こるかもしれないいじめへの対策もしやすいし、今現在進行しているいじめをやめるよう求める交渉もやりやすくなるだろう。 「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」というやつだ。 さて、これを実際に進めるには過去にいじめを行った人間の協力が必須になってくるわけだが、ここでこの方法が実際にはうまく機能していない原因が出現する。 過去にいじめを行った人間がなかなか名乗りをあげて協力してくれないのだ。 その理由はひとえに過去に行ったいじめが赦されないこと

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    amenomorino
    amenomorino 2015/01/16
    集団でいじめたことはないけど個人的に無視していたことはある。いやな相手でも挨拶とか最低限の礼儀は守らないと自分がいやな人間になると気付いていなかったと思う。いじめられたことはもう忘れました。