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日本と漢文に関するarcade00fire01のブックマーク (7)

  • 「第1回日本漢文学総合討論」(3/23)パネルディスカッションの要旨です

    パネルディスカッション1 「日漢詩の古典化と近代の文芸批評及び教科書」 日漢詩文のうち、どの作品が、名詩や名文と呼ばれるかは、その時代時代の思潮や教育が大きな影響を与えている。パネルでは、主として江戸時代の漢詩を対象として、明治期以降、どのような過程を経て、名詩となったか、すなわち、古典化されたかについて検討する。明治期以降を通覧した場合、とくに古典形成の動きがとくに顕著な時期として、明治30年代(1900年代頃)と、昭和40年代(1965~74年頃)を挙げることができる。 明治30年代は、1904(明治37)年に国定教科書が採用され、それまで多様な試みがなされていた中学漢文教科書が一定の方向に集約され、掲載される漢文作品の質が統一的になった時期である。と同時に、小説などを通じて、広瀬淡窓「桂林荘雑詠示諸生」などの詩が一層人口に膾炙することとなった時期でもあった。 一方、昭和40年代

  • 日本漢文学プロジェクト:日本漢詩文における古典形成の研究ならびに研究環境のグローバル化に対応した日本漢文学の通史の検討

    漢文学プロジェクトのシンポジウムなどでの発表・報告中心をに、18篇の論考で構成された雑誌がまもなく刊行されます。古代から近代まで、日漢文学の最新、多様な研究成果がご覧いただけるかたちになっております。お手に取っていただければ、うれしく存じます。 『文化装置としての日漢文学(アジア遊学 229)』(勉誠出版、2019年2月28日〈予定〉) 滝川幸司・中大・福島理子・合山林太郎編 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100973 目次 Ⅰ 古代・中世漢文学研究の射程 平安朝漢文学の基層―大学寮紀伝道と漢詩人たち 滝川幸司 長安の月、洛陽の花―日古典詩歌の題材となった中国の景観 高兵兵 後宇多院の上丁御会をめぐって 仁木夏実 誰のための「五山文学」か―受容者の視点から見た五山禅林文壇の発

  • 日本漢文の世界

    漢文とは、日人が書いた漢文学作品です。 当サイトでは、江戸時代後期以降に作られた日漢文の傑作を紹介しています。 開設2001/8/5 更新2022/8/31

    日本漢文の世界
  • 幕末・明治期における日本漢詩文の研究: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 同僚の合山林太郎氏さん、元々得意な英語を生かした職に就きたかったらしい。大阪大学でOUSSEPという留学生のための英語授業カリキュラムがあり、我々も3年に1度オムニバス形式で担当し、私などは四苦八苦しつつ、結局TAの力を借りてやっとのことで1コマをやっているのだが、合山さんなどは、その英語力を” excellent !” と授業アンケートに書かれるくらいで、前回はコーディネータとして、数回授業を担当されたほどである。実際、英語で留学生の方と会話しているのを聞いたことがある

  • Kanbun Database 日本漢文文献目録データベース

    漢文文献およびその関連文献の基的書誌を、国内にとどまらず海外をも視野にいれて集中的に網羅したデータベースです。 令和6年5月現在、検索できるデータレコード数は45,100件です。今後もデータを入力していく予定でありますが、検索されたデータは一部であることをご承知ください。 なお実際に書籍を利用される場合は、あらかじめ各機関に問い合わせのうえ、それぞれの利用システムにしたがってください。 データベースに関する、お問い合わせ、ご意見ご要望は eastasia@nishogakusha-u.ac.jp までお願いします。 検索画面へ 検索について 検索にあたっては、以下の要領により入力をお願いします。 古典籍書誌所在情報を検索する場合は、「詳細検索」に必要事項を入力。 「簡易検索」を利用する場合は、データベース冒頭にある検索説明の項目をクリックして、その方法を確認。 論文目録のみ検索は

  • 「漢文スタイル」書評 漢文の大水脈、日本文学の底に|好書好日

    漢文スタイル [著]斎藤希史 「晴耕雨読の毎日だった学生は窈窕(ようちょう)たる下宿の娘にふられ、故郷に帰って緑陰読書の生活をした」。ん? 何かおかしい。 無粋を承知で現代語訳してみよう。「寸暇を惜しんで勉学する毎日だった学生は、陶然とするほど美しい下宿の娘にふられ、故郷で読書三昧(ざんまい)に世事を忘れた」となる。あれ? まるで明治の小説にあるようなこのストーリーは、書を読んでいて私の頭に浮かんだ作りごとであるが、ここに出てくる「晴耕雨読」「窈窕たる」「緑陰読書」は、現代日で一般的に知られている意味とちょっと違うのだ。ここでは「晴耕雨読」は「老後は別荘でも買って悠々自適」といった意味ではない。違いの理由は、こうした熟語の多くが漢文に背景を持つからなのだ。 日の文献が「漢文文化圏」(「漢字」ではないのに注意!)という、漢文と訓読文の二重性を持つ文化の中に位置づけられることを明らかにし

    「漢文スタイル」書評 漢文の大水脈、日本文学の底に|好書好日
  • 昭和四年度旧制第一高等学校入試問題(国語・漢文)|Colorless Green Ideas

    昭和四年度の旧制第一高等学校の入試問題のなかから国語・漢文の問題を紹介する。現代の大学入試よりずっと難しい。 総説 昭和四年度の旧制第一高等学校の入試問題のなかから国語・漢文の問題を紹介する。科目名は「國語及漢文」であり、150点満点である。「国文解釈」・「漢文解釈」・「作文」の3つの大問から構成され、どの大問も50点である。 なお、旧制高等学校は、現在の高等学校とは全く違うものであり、現在の大学の教養課程に相当する。旧制においては、小学が6年、中学が5年であり、高等学校は基的に中学を卒業した者を受け入れた。留年や浪人などがなければ、旧制中学卒業時点では、17歳になる。ただし、旧制高等学校は旧制中学4年修了時でも受験することができたので、16歳で高校に入学するということもありえた。今回扱う第一高等学校は旧制高等学校の中でも最難関校として知られ、多くの秀才が集まったとされる。 旧制高校の入

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