外国人比率が1割を超える新宿区の大久保図書館。38言語の外国語資料を所蔵、絵本読み聞かせなどを行っている図書館の館長を迎え、多文化共生社会のこれからを考えます。
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1 原田信男『神と肉』(平凡社新書,2014年)は,神社祭祀といえば稲作儀礼を中心に考えがちな現代の観念に対し,我が国においても古くは動物の肉を供える祭祀が広く行われてきたことを論じるものであり,その傍証・痕跡として,動物を解体する「屠る(ほふる)」という語が,神を祭る「祝る(はふる)」という語に由来するという説を論証する。確かに,両者が同根であることは喜田貞吉に遡る由緒ある見解であり,結論に積極的に反対する理由もない。 しかし,本書は,その論理の進め方に飛躍があるばかりか,そもそも論拠となる資料を誤読するものである。何より,古字書の読み方,特に「反切」や「韻字」などの基本的な理解もないように思われる。それにもかかわらず,本書の議論に対しては,「用語面からの体系的な検討・整理を行った上で…著者ならではの慎重かつ周到な結論が導き出され重要である」(前城直子)などとする好評価もみられるので*1
超漢字マガジンインタビュー第9弾(Vol.16)は、日本語学、日本語史、風土記研究をはじめとする多数の著書をお持ちの国語学者、沖森卓也先生です。前編では、伊賀の沖森文庫のお話から、日本人と日本語が漢字とどう付き合ってきたのかについてお伺いしました。 祖父によって集められた伊賀の郷土資料 ――まず、先生の故郷(三重県伊賀市)の沖森書店と沖森文庫についてお伺いしたいのですが、こちらは先生のおじい様である沖森直三郎さんがつくられたんですね。 そうです。現在のウィキペディアで、私の項目には「子息」と書かれているんですが、間違いです(笑)。だから講演ではいつもこれをネタにして「タダの情報を信じてはいけない」と言っているんです。ちゃんとお金を出して買ったほうが情報は信頼できますよと。 私の祖父は大阪の鹿田松雲堂という古本屋でいわゆる丁稚奉公をして修業を積み、一本立ちして故郷の伊賀に戻ってきて通信販売の
「子ども」「子供」について国会議事録を検索してみたよ(1) - Cask Strength の続きですが、日付の範囲を広げて検索しますと、「子供」「子ども」表記の議論は、実は平成18年03月10日衆議院厚生労働委員会と平成22年05月20日衆議院青少年問題に関する特別委員会でも行なわれていることがわかります(見落としがあるかもしれませんが)。質問者はともに松浪健太衆議院議員(自由民主党)です。 あまり生産的な議論とは言えませんが、参考までに関連する発言を引用しておきます。その上で、いくつか簡単にコメントしたいと思います。 (平成18年03月10日衆議院厚生労働委員会) ○松浪(健太)委員 ありがとうございました。 私も、実は母親が大臣より一つ年上でございまして、大臣にとっては子供のようなものかもしれませんし、実は前回の選挙で落選後十日後に親になりまして、子を持つ一児の親でもございます。 そ
「子ども」やめ「子供」 文科省あえて漢字表記 (中略)これに対し、今年3月の通常国会で、自民党議員から「小学生は『子供』と学んでいる」「(漢字とかなの)交ぜ書きは国語を破壊する」などの指摘があったため、本年度に入って省内で協議した。 http://kumanichi.com/news/local/main/20130830002.shtml こういう時は、拙ブログでもたびたび紹介した、国会会議録検索システム を使うといいよ。これは皆もっともっと活用すべきだよ。国会で議員や官僚や参考人が普段何を議論しているのか知らないままに政治を語っている人が多過ぎやしませんか? 「今年の三月」ということなので、検索条件入力画面にて、「開会日付」のところを「平成25年03月01日」から「平成25年03月31日」にして検索。その結果、この問題に関係ありそうな討論が1件ヒットしました。平成25年03月27日の衆
えーっと、これまで何百回も書かれていることで、今さら自分が何か付け加えることもないのですが。 (じゃあ書くなと言われそうですが、当たり前のことを繰り返し書くために書きます) 「子ども」は「交ぜ書き」じゃありません。 「子ども」は「交ぜ書き」じゃありません。 (ry 「交ぜ書き」というのは、普通「漢語」についていいます。 「漢語」、つまり音読みの漢字からなる言葉です。 「いや、音読みとか訓読みとかはどうでもいい、交ぜて書くから交ぜ書きだ、だから『子ども』も交ぜ書きで、交ぜ書きには一切反対だ」とおっしゃる人もいるかもしれません。 そういう人はどうぞご自由に。 ただ、その基準で言うと「お昼」「お湯」なども交ぜ書きなので、同じぐらいの情熱で「御昼」「御湯」を推進してくださいね。 そもそも、「子ども」表記は戦前からあります。 (Google ブックス「ドン・キホーテ」より) この本は大正四年の大人向
メインコンテンツに移動 購読申し込み 7日間無料お試し close QRコードリーダーを QRコード読み込み結果 `<8[�U �_8[�U 熊日からのお知らせ 第71期 肥後名人戦 熊本市・上益城予選 《出場者募集》 熊日情報文化懇話会 25日に例会 「熊本と台湾 新時代のインバウンド」 テレコムスクエア台湾董事長・大塚順彦さん 第29回九州国際スリーデーマーチ 2024 RKK開局70周年記念 ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者 熊日ジュニアゴルフプロジェクト《4期生募集》 ホーム ニュース トップ 熊本 全国 エンタメ 動画 地方選速報 天気・気象 防災・災害 トップニュース 【速報】雪で九州道一部通行止め 「初音ミク」の世界、万田坑に 熊本・荒尾市 CGアートやパネル、「千本桜」派生の小説からイメージ 28日まで 【独自】熊本・九州看護福祉大が公立化要望 少子化見据え玉名市に
■文字の歴史からみえる揺れ 日本語ブームはくり返しやってくる、という説がある。しかし、国語辞典のブームとなると、話は別だ。三浦しをん著『舟を編む』(光文社)をきっかけにして、辞書を作ることとか、辞書を読むことにスポットライトが当たっているのは、ありがたい話である。 ただ、漢和辞典の編集をしてきたぼくとしては、現在のブームに完全には乗り切れない部分もある。だって、国語辞典が取り扱う「日本語」と、漢和辞典のテーマである「漢字」とは、必ずしも同じではないのだから。 今野真二著『漢字からみた日本語の歴史』を読むと、そのことがよくわかる。漢字はもともと中国語を書くための文字だった。だから、漢字の向こうには中国語が見える。ただ、その見え方は、時代によって、また文献によって異なる。つまり、漢字と日本語の関係は、常に揺れ動いているわけだ。 漢字だけで書かれた『万葉集』、ひらがなに時折、漢字を交えて書写され
平安時代の佛書に基づく漢文訓讀史の研究〈3〉初期訓讀語體系 作者: 小林芳規出版社/メーカー: 汲古書院発売日: 2012/03メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る ↑をつらつら読んでいたところ、第十章「平安初期における訓読語の変移」(初出1998年)第二節「平安初期の前半期訓点資料と後半期訓点資料との語彙の比較」において、石山寺蔵『大方広仏華厳経』古点(第二種点、貞観年間頃の加点)と観智院本『類聚名義抄』所収の和訓を比較していまして、「観智院本類聚名義抄に収載されていない和訓」の一つに、 ツマフサ 蹄 巻六十六 (802頁)と。「蹄」は普通は「ヒヅメ」「アシ」等と訓むことが多いと思うのですが、これは一体何でしょう。おそらく語構成は「ツマ」+「フサ」で、「ツマ」は「ツメ」(爪)の被覆形でしょうけど、「フサ」がどうにもわかりません。「輔佐」かなとも思ったり。 石山寺の『大
白井恭弘『ことばの力学 — 応用言語学への招待』(岩波文庫、2013年3月)と高島俊男『漢字雑談』(講談社現代新書、2013年3月) 先月出た新書の中で、言葉に関するもの2冊を読んだ。 『コトバの力学』は、タイトル通り、「応用言語学」の入門書としてとても良くまとまっている。あまりによくまとまっているので、面白みはない、ような気がしてしまうほど(つまらない、ということではないです)。あとがきにもあるように、これはまさに「教科書」だ。 第Ⅰ部は「多言語状況」、第Ⅱ部は「社会の中の言語」。どちらも、「今でしょ!」的問題である。国家の「言語政策」も重要だけれど、ぼくとしてはやはり「バイリンガル」や「外国語教育」に関する章に興味が惹かれる。 「バイリンガル」については、けっこう硬直したイメージが流布しているのではないかと思う。実際の状況はだいぶ複雑かつ微妙・多様。バイリンガルの子どもの方がモノリンガ
国語学者の月本雅幸先生のインタビュー第2回です。 前回は漢文訓読についてのお話でしたが、今回はデータ化が難しい国語学における文字データの取り扱い方や、日本語研究のこれからについてお伺いします。 データとして漢文資料を取り扱うには ――普段はパソコンをお使いになられているということですが、レ点をはじめ訓点資料は、パソコンで表記が難しい場面も多いと思うのですが、どのように取り扱われているんでしょうか。 私のように古い文献を扱うものは、大きく二つに分かれます。できるだけもとの文字を保存しよう、忠実になんとかしたい、という人間と、それはあきらめて、細かいところは捨象してしまって、とりあえずできることでやるんだ、という二つです。 もっとも、ひとりの人間をとっても、若い頃はできるだけ忠実にしたかったけれども、今ではだいたいのところでいいだろうと揺れ動くこともあるんですね。私は、パソコンの初期のエンドユ
http://anond.hatelabo.jp/20091208004450 「有職読み」というタームは初耳でしたが、名前の漢字を音読みすることはだいぶ古くから行なわれています。最も著名なエピソードは『古今著聞集』にある家隆の子息の名づけをめぐる滑稽譚(後日紹介します)でしょうけど、今ざっと探したなかで見つかった一番古い例は次の『江談抄』の話でしょうか。 「天暦皇帝、道風朝臣を召し、勅して云はく、「我が朝の上手は誰人ぞや」と。申して云はく、「空海・敏行」と。時の人難じて云はく、「大師の御名においては音読に奏すべきなり。敏行をばなほ『としゆき』となむ奏すべき」」と云々。 (類聚本系『江談抄』巻二) ――村上天皇(926〜967年)が小野道風を召して質問した。「日本での(書の)名人は誰か」。道風は「空海と敏行(藤原敏行)です」と答えたが、その受け答えを非難する人がいて、「弘法大師のお名前は音
何か新春らしいネタを一個くらいは、と思っていて、なかなか思いつかなかったので、昨年最後に書いた記事の簡単な補足で春らしさを擬装(?)するという趣向。 どの語も用例文や「補説」とあわせて味読すべきで、一例、「あしかび」(43頁)。ちゃんと「(中世以後「あしがひ」とも)」と指摘するのがミソで、このことに触れる古語辞典はそんなに多くないと思います。しかも、「あしがひ」とよむ実例も忘れずに挙げています。 http://d.hatena.ne.jp/consigliere/20121230/1356866703 読み返してみると、余りにも言葉足らずで何のことか伝わりにくい文章ですね。 以下が『古語大鑑』の当該箇所。 葦の芽を意味する『古事記』の「葦牙」を「あしかび」と読むのは、用例文にある通り、その直後の神名「うましあしかびひこぢのかみ」によるもので、それはそれでいいのだと思います。 しかし、『古語
日本最強伝説 - 漢字かな混じり文は日本の宝(2012年02月24日 11:32) http://www.nihon-saikyou.net/archives/3288305.html ロシア語同時通訳者・作家の米原万里(よねはら・まり)氏が「漢字かな混じり文は日本の宝」というエッセイを書いていて、次のような内容だそうだ。 <このサイトラを何度もやっているうちに、日本語のテキストからロシア語へサイトラする方が、その逆よりはるかに楽なことに気付いた。(中略)ということは、アウトプットの問題ではなくて、インプットのプロセスにこそ謎が隠されている。そのようにして私は、時間単位当たり最も大量かつ容易に読解可能なのが日本語テキストなのに気付かされたのである。表音文字だけの英語やロシア語のテキスト、あるいは漢字のみの中国語テキストと違って、日本語テキストは基本的には意味の中心を成す語根に当たる部分が漢
door to door 「人生の新たな扉を開けた挑戦者たち」に迫ります。一歩を踏み出す不安とどう向き合い、葛藤をどう乗り越えたのでしょうか。そして、彼女が扉を開けた理由はーー。 NEW 18回/全16回 キャリア 2024.02.02
動詞「きく」の表記「訊く」のことが話題になっているようです。 なぜ広まった? 「『訊く』が正しい」という迷信 - アスペ日記 「訊く」という表記について - 蟹亭奇譚 まず、「訊」の字義を『大漢和辞典』で確認しておきたいと思います*1。 動詞としては 一とふ。(イ)たずねる。上の者が下に問ふ。(ロ)おとづれる。訪問する。(ハ)打ち叩いて問ふ。(ニ)せめとふ。問ひ究める。とがめとふ。 二つげる。しらせる。 三いさめる。 四いふ。のべる。 とあり、「ことばを発する」(ないし「移動する」)ところに力点があり、「(返事を必要として)ことばを発する」ところが「訊く」につながっていくものと考えられます*2。 日本語で「訊」字を使うのは、古くは『日本書紀』まで遡れるようですが、「問訊」の形で用いられるほか(訓は「とふ」)、「訊」で「とぶらふ」(主に「病を訊ふ」で用いられる、「見舞う」の意)と、「訊く」で
前回の記事の簡易版、兼補足、兼回答です*1。 まず、タイトルから「『訊く』って間違ってるの?」と思った人に。 あれはインパクト重視でつけた短いタイトルなので、誤解があったら申し訳ありません。 本文に書いた通り、「『聞く』と『訊く』は使い分けるのが正しい」というのが誤解ということです。 それから、「結局何が正しいの?」となった人に。 漢字の訓読みに正解はありません*2。 あるのは、「どれだけの人が*3どう使ってきたか」だけです。そういう意味では、"ask" の「きく」を表すのにはこれまで「聞く」「訊く」ともに使われていて、今までの主流は「聞く」です。 「訊く」を使う理由はいくつかあると思いますが、それぞれについて。 「『訊く』のほうが正しいから」: そんな根拠はありません。 「『訊く』のほうがいいから」: どういう意味で? ということで、詳しくは前回の記事を読んでみてください。 「『訊く』の
■なぜ広まった? 「『訊く』が正しい」という迷信 http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20121113/1352799353 というのが数日間ホットエントリにあがっています。 これにtwitter連動のブックマークで、こうつけました 高島俊男「お言葉ですが…」(文芸春秋)4巻収録のコラムで、同様の趣旨が書れています。/『あてる漢字によって別の言葉になる・・・(略)などと言うやつがいたら「アホかお前は(略)・・・」と笑ってやればよいのである』 これに対してリツイート、スターなどが多いので、もう少し紹介したほうがいいかと思いこれから少し詳しく。 お言葉ですが…〈4〉広辞苑の神話 (文春文庫) 作者: 高島俊男出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2003/05メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (10件) を見る からですが、高島氏は
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