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2022年1月30日のブックマーク (2件)

  • 本音としてのオープンレター、最終手段のキャンセルカルチャー - メロンダウト

    現在、リベラル派と呼ばれる人々の主張はようするに「音を言えば社会は変わる」に集約される。音を言えない社会では女性をはじめとした弱者が声をあげるのは難しいので音を言える社会をつくろうとしている。そのために開発されたのがトーンポリシングだったり、マンスプレイニングなどの横文字であるが...そもそも「音を言える社会」は前提からして間違っているのではないだろうか。 普通に考えて音をぶつけあい始めたら社会は壊れてしまう。 みんなそれぞれ考えてることは違うし、大切に思っている事も、何にたいして怒るか、嫉妬するかもそれぞれ違う。どんな人生を送ってきたかわからない他者にたいし、音で議論すること自体が相当に恐ろしい行為であるはずだが、音でぶつかればわかりあえるというのは正直言ってよくわからないのだ。 むしろ議論とは建前を構築することに意味があったのではないだろうか? 社会や国家とはある種の幻想

    本音としてのオープンレター、最終手段のキャンセルカルチャー - メロンダウト
    bros_tama
    bros_tama 2022/01/30
    外から界隈と揶揄されるような群れを作って抜け駆けを許さない圧力を持った時点でリベラルとは別物だよね.
  • キャンセルカルチャーとは何か?五輪開会式におけるクリエイターの辞任は「行き過ぎた対応」か | The HEADLINE

    [記事のまとめ] キャンセルカルチャー批判は、その曖昧な用法や定義に起因しているケースが少なくない 「周縁化された人々からの異議申し立て」としての起源は、十分理解されていない 問題はキャンセルカルチャーの賛否ではなく、異議申し立てに対して十分な説明責任が果たされているか?処罰や問題化は不均衡ではないか?など個別に議論されるべき 今月20日、東京オリンピックの開会式で楽曲担当者の1人だったミュージシャンの小山田圭吾が辞任した。同氏は1994年1月号の雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』および1995年8月号の『クイック・ジャパン』などに掲載されたインタビューで学生時代のいじめを告白しており、両誌編集長も謝罪する事態となっている。 一方、哲学者の東浩紀は「ぼくはまったく擁護派ではないんだけど、いじめがあったのは25年前ではなくおそらく35年くらい前で、それについて語ったのが25年前」と述べた上

    キャンセルカルチャーとは何か?五輪開会式におけるクリエイターの辞任は「行き過ぎた対応」か | The HEADLINE