このところMcDowellのMind and Worldを少し勉強しているが、その大枠が見えてきたので、簡単なメモを記しておこう。 マクダウウェルが退けようとする描像は次のようなものである。 我々の経験は外界から感覚への因果的刺激によって与えられ、それをもとに何らかの思考(悟性)が働いて、外界についての判断が生まれる。そのさい、判断を下すにあたっては、あれこれと思考を自由にめぐらし、言語的概念的意味を持つ判断に結実するが、それ以前の感覚的経験そのものは、自然的因果にすぎない以上、何ら概念的意味的要素は含まれないはずだ。 このような見方をすると、非概念的なものから概念的なものへの飛躍は何ら理由に基づかないものになってしまうから、非概念的所与から理由に基づいた判断(合理的判断)がいかにしてできるのかが分からなくなってしまう。他方、そのような所与を否定するならば、我々の判断や信念は、しょせん他の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く