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『対論 プロレスが輝いていた時代』 ジャイアント馬場・アントニオ猪木 (名古屋タイムズ社)…不謹慎にもマジでこんな本が思い浮かんでしまった。鈴木先生ごめんなさい。そしてお会いしたことありませんが田中先生ごめんなさい。 お分かりになる方はお分かりになると思います、この私の比喩。実に大真面目なんです(ただし一般的ではないかもしれない…パロール世界であります…笑)。いやあ、時代は変わりましたね。というか、あの頃はここでも遠くなってしまいましたね。ここのところそういう記事ばかりで辟易気味の方も多いのでは。蘊恥庵庵主も老けたなと。 でも、しかたありません。事実は事実なんですから。決して過去を美化しているわけでは…いや、してるかな。それにしても、「今」があまりにダメなために、こうして不倶戴天の二人が呉越同舟するというのは、ちょっと嬉しい反面、ちょっと哀しいかも。複雑な心境です。 そうそう、この前書いた
※お詫びと訂正 本記事の初出時、引用・参照元であるサイト「誤訳御免」さまの名前を表記しておりませんでした。 ご迷惑をおかけしました「誤訳御免」さまにおわびすると共に、訂正させていただきます。 日本の中でも土地によって人々の性格や特徴が異なるが、オープンで明るい気質で知られるのが大阪に住む人々。日常会話にお笑いの要素が含まれていることが多く、ノリの良さはわが国でも随一だ。 そんな大阪人のリアクションを検証した動画「Osaka Bang!」が「YouTube」へアップされ、その動画を紹介した日本文化ポータルサイト「dannychoo.com」(//www.dannychoo.com/)に海外からの反応が続々と寄せられ、日本に関する海外掲示板などの話題を翻訳して紹介するサイト「誤訳御免!」(//goyaku.seesaa.net/)で話題となっている。ノリの良さに驚きつつも、若者からオバチャンま
折田先生像(おりたせんせいぞう)は、京都大学の前身の一つである旧制第三高等学校の初代校長折田彦市(おりた ひこいち)の業績を讃えるために製作された銅像である。京都大学構内に設置されていたが、派手な落書き・いたずら(オブジェ化)が相次ぎ有名になる。本来の銅像が1997年に撤去されると、「折田先生像」と題してかつての設置状況を模倣したオブジェが制作・展示されるようになった。2000年代半ばより入学試験シーズン(前期試験期間中)に定期的に登場するこのオブジェも、「折田先生像」の名で呼ばれている。 本来の「折田先生像」[編集] 折田彦市(1849年 - 1920年)は第三高等学校の校長を(その前身校も含めて)30年にわたって務め、京都帝国大学の設立に際しても創立委員としてかかわった人物である。折田校長の下で培われた三高の「自由の学風」は、後身である新制京都大学にも影響を及ぼしているとされている。
言論を裏から手を回して弾圧する、といえば佐藤優だが、丸山眞男もそういうことをしたことが、羽入『学問とは何か』で分かる。 かつて梶山力が訳した「プロ倫」を、梶山が32歳で死んだあと、大塚久雄が手を入れて共訳で岩波文庫から出し、のちに大塚が梶山の名を削って単独で出した。安藤英治という成蹊大の教授がこれに怒り、梶山訳を再刊しようとしていた時、丸山からそれをやめるよう圧力がかかったという。安藤は丸山の弟弟子で、成蹊大への就職も丸山の世話になったそうで、成蹊大の政治学の女性教授から、丸山に会いに行こうと言われ、安藤が激しく動揺して羽入宅に電話してきたと書かれている。結局、羽入が懸命に励まして復刊されたというのが1994年のことで、羽入も書いているが、当時安藤は70過ぎである。いかに兄弟子とはいえ、70過ぎの教授に、何が怖いのであろうか。 『学問とは何か』は、主部分たる折原とその他大勢への反論の部分は
羽入辰郎の『学問とは何か』(ミネルヴァ書房)という大著は、先の『マックス・ヴェーバーの犯罪』に対する折原浩一派の執拗でかつヴェーバー教に凝り固まった攻撃への反論の書である。実に分厚い。 その中に、本論とはとりあえず無関係なエピソードとして、1984年の春、山中湖で起きた、東大のオリエンテーション合宿の際の五人の死亡事件のことが出ている。羽入は埼玉大学を出てからいったん精神科のソーシャル・ワーカーとして働き、東大に再入学していたから、当時31歳になっていた。そしてこの事件の際、救助の陣頭指揮をとったという。 そこに「市川芳孝」という名で、ボートに乗っていながら助かった当時の二年生が出てくる。仮名としてあるが、今では駒場で医療社会学を教えているとあるから、市野川容孝以外ではありえない。市野川は64年生まれである。この事件当時、私は英文科の三年生になったところだった。 酒に酔って深夜、ボートで、
裁判員制度の候補者名簿に登録された人が、通知が届いたことをインターネットのブログで公開するケースが相次ぎ、中には候補者の氏名を特定できるブログもあることが分かった。 裁判員法は候補者の個人情報を公にすることを禁じており、匿名のブログなら大きな問題はないが、個人が特定できるものは罰則はないものの、同法違反と見なされることになる。 通知書が各家庭に届き始めた29日以降、ネット上では通知書を受け取った感想や、封筒の写真を載せたブログが次々に現れた。ブログで氏名や顔写真を公開したうえで「通知が来た」と書いた男性もいた。
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