「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 新・批評家育成サイト」は、2022年8月31日をもって公開を終了いたしました。
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2018年7月下旬に福尾匠さん著『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社)が刊行されました。本稿は、ドゥルーズについての著作を多数執筆されている小泉義之さんによる『眼がスクリーンになるとき』の書評です。 *()内の頁数は、『眼がスクリーンなるとき』本文の頁数を表します。 「ゼロ」から「ゼロ」へ ジル・ドゥルーズ『シネマ』は、フェリックス・ガタリとの協働の時期を潜り抜けて、再び一人で書き出すようになる時期の始まりを告げる書物である。だから、『シネマ』は、一旦はそれまでのドゥルーズ(+ガタリ)を忘れて、「ゼロ」から読むべき書物である。その意味でも、本書の副題は正しい。 ところで、福尾匠は、「ゼロ」から読んで、今度は『シネマ』の内部に「ゼロ」を見出していく。「ゼロ」から「ゼロ」へ進むのである。福尾は、本書冒頭で、その内的な「ゼロ」地点のことを、蜘蛛にとって
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敬愛している某哲学研究者の方の勉強会で配られたテクストの断片。ドゥルーズ『意味の倫理学』「第22セリー磁器と火山」における、こんな私訳を読んだ切っ掛けに、いろいろとわかることが多かった。 Gilles Deleuze, Logique du sens (1969, p.189) on ne peut pas renoncer à l’espoir que les effets de la drogue on de l’alcool(leur « révélation ») pourront être revécues et récupérés pour eux-mêmes à la surface du monde, indépendamment de l’usage des substances, si les techniques d’aliénation sociale qui dé
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なぜ、本を読むのか? Why do we need to read books なぜ、本を読むのか?本書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれた本の中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の
2018年12月10日 金沢美術工芸大学 第一教室(大学院棟3F) 小倉拓也講演「ドゥルーズの芸術哲学―感覚・記念碑・可能」 講演者・小倉拓也(おぐらたくや):1985年、大阪府生まれ、滋賀県育ち。 大阪大学 国際共創大学院学位プログラム推進機構特任助教(常勤) 配布資料 pdf http://hangyo.sakura.ne.jp/naisei/ogura_pagd_20190204.pdf 0:00:00 司会 高橋明彦(一般教育・教員) 0:03:00 開始 0:04:08 タイトルコール 0:05:51 プロローグ「敗北を余儀なくされた闘い」 0:06:50 自己紹介・ドゥルーズへの人間主義的アプローチ 0:07:50 自著紹介・『カオスに抗する闘い』、精神分析、現象学 0:11:50 1. ドゥルーズ哲学の素描 0:14:10
タイトル ドゥルーズと美学 タイトル別名 ドゥルーズ ト ビガク 著者名 前田, 茂 著者別名 マエダ, シゲル 学位授与大学 大阪大学 取得学位 博士 (文学) 学位授与番号 甲第6128号 学位授与年月日 1998-03-25 目次 / p3 (0005.jp2) はじめに / p1 (0003.jp2) 第一部 理論の弧 / p4 (0006.jp2) 第一章『ベルクソンの哲学』、方法の発見 / p4 (0006.jp2) ベルクソンが論ぜられる三つの時期-方法としての直観-直観の四つの契機-ニーチェの影響?-いくつかの留意点 / p4 (0006.jp2) 付論一『差異と反復』における二つのベルクソン批判 / p14 (0016.jp2) 直観をめぐる問い-第一の批判、再認-第二の批判、強度-力としての認識、ニーチェあるいはスピノザ / p14 (0016.jp2) 第二章『シネマ
福尾匠さんに5時間連続ドゥルーズ講義をしていただきます。 20世紀フランスを代表する哲学者であるジル・ドゥルーズは『シネマ』と題される2巻本の大著を残しています。映像学にとってもドゥルーズ研究にとっても重要であるはずの本書は、その中途半端な立ち位置(映画論なのか哲学書なのか?)から、どちらの陣営も好んで手を伸ばそうとはしてこなかったと言えるでしょう。このレクチャーでは『シネマ』の大まかな構造と隠されている基礎を読み解くことで、『シネマ』をわかったつもりになってもらうことを目指します。それによってこそ、より読解を深めたり、あらためて映像について考えたりすることができるでしょう。 福尾匠 Takumi Fukuo 1992年生まれ。大阪大学文学研究科所属。専門は現代フランス哲学と映像論。映像作品の批評も執筆しており、webで読めるものとしては「In (Search of) a Lost Ima
ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』における「リゾーム」の構造を説明するとき、未だに浅田彰『構造と力』の図が引用される。 この図も決して悪い出来ではないが、さらに動的に、できればもっと立体的に視覚化できないものかと、常日頃から思っていたところ、Marc Ngui というイラストレーターの素晴らしいインフォグラフィックに遭遇した。 『千のプラトー』の緖言である「本書は、章ではなく、プラトー[高原]によって構成されている」に従うと、今回紹介するグラフィックは、この本の最初と2番目のプラトーの視覚化である。 まず最初の「序 リゾーム」は、『千のプラトー』全体の見取り図にあたる。つまりここのグラフィックは二重の見取り図になっている。そして、ツリーマップ状の「樹木」、もしくはルート/ディレクトリマップ状の「根」に対する、階層や中心を持たないダイアグラム状の「リゾーム」は、今ならハイパーリンク/ネットワ
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