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2017年11月21日のブックマーク (3件)

  • Erving Goffman, 1952, On Cooling the Mark Out: Some Aspects of Adaptation to Failure.

    contractio
    contractio 2017/11/21
    全文。
  • 『この世界の片隅に』を読み解くための『現代現象学』(1) - 何かをするための思考ログ

    「この世界の片隅に」を観て… 人の心を動かすのは、別の人の感情だと、今まで思っていたけれど (熱い想いは、原動力として持ちつつ)より強烈に&深く感情を殴りつけるのは 地味で、淡々として、膨大で、複雑な「事実」の積み重ねなのだ、と思った — ドアノブ(治療中) (@silica_nh) 2016年12月10日 この世界の片隅に、正義や真理とかの形而上学的概念を出さない代わりに、日常生活の描写から何かしらの意味を想起させる点で、現象学的観点からも語る余地があるな。あの映画を通じて得た経験から、みんなの共通了解を得られるかという問題。事実と価値には深い関わりがあるのだと思わされる。 — サンセット (@Sunset_Yuhi) 2017年6月18日 『この世界の片隅に』は直接的なメッセージが無いのに、「戦争の恐ろしさ」や「日常の大切さ」を想起する観客がいるのは何故かという問いについて、現象学の考

    『この世界の片隅に』を読み解くための『現代現象学』(1) - 何かをするための思考ログ
  • 童貞を殺すセーター工場で働いていますがいろいろ限界です|m|note

    「作業開始〜!」 作業長のかけ声とともに一日が始まります。わたしたちの工場では、童貞を殺すセーターを作っています。 日のみなさん、こんにちは。 わたしは、中国のとある工場で働く女工です。わたしたちの作る童貞を殺すセーターは、海をわたり、日のお嬢さんたちに着られ、童貞を殺すのに役立っています。 「おい! きさま手が止まっているぞ! 何のつもりだ!」 作業長の声がひびきます。 怒られたのはわたしではなく、同じラインにいる、こないだ入った新入りの女の子です。まだ年端もいかない、ちょうどわたしの妹ぐらいの年でした。 わたしたちのラインは、セーターの胸部分、おっぱいがチラ見えするあたりの生地を組み合わせる仕事をしていました。 ここはすこし立体的に縫う部分で、人間の手を入れる必要があります。童貞を殺すために重要なパーツなので、責任重大なラインでした。 「う……うぇえ……」 「なんだその返事は!」

    童貞を殺すセーター工場で働いていますがいろいろ限界です|m|note
    contractio
    contractio 2017/11/21
    なるほど。