夕方、電車が川を超えて都心を離れると、仕事は遠景に退く。商店街を通って自分の家に急ぐ道のりは、仕事を脱ぎ捨て素の自分に戻る変身の時間だ。商店街を抜けると、広いキャンパスと団地からなる開けた空間にでる。そこが私の家への玄関だ。我が家に訪れた友人が指摘してくれたように、商店街を抜けて家に向かう道は、神殿に向かう表参道であり、家は私にとっての神殿だ。 反対に、朝、職場の自席に座ると、意識が仕事のモードに切り替わる。例え家では疲れて何もする気が起きないときでも、職場につくと体が動き始める。そこには自分を動かす適度な緊張感がある。 家で流れる時間は生活の時間だ。生活を成り立たせるためにこまごまとした用事がある。独身で一人で暮らしている時は、自分さえよければいいと思って放っておくことでも、結婚して家族を持つと放っておけなくなる。(「おけなくなる」のか「おかなくなる」のか議論の余地があるにせよ。)生活の
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