2010年07月13日23:13 カテゴリ 痛みは個人的なものか 「私の痛みは他人にはわからない」 誰にもそう思うことがあるだろう。だから「私の痛みは個人的」なもので、他人からはのぞき込めないような、私の中に隠された私だけの体験なのだと思う。 ジェフ・クルターという人が「心の社会的構成:ヴィトゲンシュタイン派のエスノメソドロジーの視点」という本で、この「常識」を覆そうと頑張っている。 クルターさんの言いたいことを理解しようとすると、こんな話らしい。 痛みも含め、通常私の心の内容と考えられるようなもの、私の中にあって他者には接近できない「私だけのもの(私的なもの)」として「心」を考えるというのは誤った理解に基づく幻想に過ぎないのだ。私達は他者の痛みという問題にも、本人同様にそれを理解する資格を持っている。なぜなら痛みという概念はその人の中に隠されたものから生まれるのではなくて、そもそも人々の