京都市下京区の四条烏丸付近は、商業ビルが多く建ち並ぶビジネス街です。 今は、たくさんのビジネスマンやOLの方たちが四条通の歩道を歩いていますね。 四条烏丸の交差点から東に数分歩くと堺町通と交わります。 その付近には金融機関が入るビルが建っているのですが、入り口付近には、江戸時代に円山応挙(まるやまおうきょ)が住んでいたことを示す石碑があります。 若き日の円山応挙の住まい 円山応挙は、江戸時代を代表する画家で、享保18年(1733年)に丹波国桑田郡穴生村(あのおむら)の農家に生まれました。 その円山応挙が、若き日に住んでいたのが、四条烏丸の少し東の四条通堺町東入るの辺りです。 今は、下の写真に写っている「圓山應挙宅址」と刻まれた石碑が立っています。 近くに説明書が設置されているので読んでみましょう。 円山応挙は、幼少より画を好み、17歳のとき、京都に出て狩野派の画家石田幽汀(いしだゆうてい)