日本発のニュースには複雑な社会構造の変化を反映したものが多く、1つや2つの政策変更では状況を改善するのは難しいので、単純な正論を提示するだけでは無責任という感覚があります。原則論を言い放つだけでは個人的な感慨の垂れ流しに過ぎず、現場の改革には決してプラスにはならない、そんな懐疑的な視点も時に必要性を感じています。そうした思考法の延長として、日本社会の苦悩については、表面的な批判者ではなく真剣な代弁者とならなくては、そんな思いにさせられることも多くなりました。 ですが、日本発のニュースの中でも、「やればできるのでは?」とか「コントローラブルな問題なのにどうして不可能なのか?」と、どうしても疑問を感じてしまう分野があります。それは教育に関する分野です。どんなに複雑な背景があろうとも、教育だけは「正論」を忘れては何もかもがゼロになってしまう、そう考えるからであり、また次のジェネレーションに対する