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literacyとwebに関するdazedのブックマーク (5)

  • 高木浩光@自宅の日記 - 岡崎図書館事件(2の2) 図書館はどうしたのか 前編

    ■ 岡崎図書館事件(2の2) 図書館はどうしたのか 前編 岡崎市立中央図書館のホームページへの大量アクセスによる障害について, 岡崎市立中央図書館, 2010年9月1日 が話題になっている。 事件直後、つまり逮捕報道の翌々日の5月28日、最初に電話取材したのは岡崎市立中央図書館だった。このときは録音していたが、とくに意味のある情報が得られなかったので聴きかえすことはなかったのだが、今日改めてはじめてその内容を聴いてみたところ、図書館側の姿勢が当初から現在まで全く変わっていないことに驚愕した。この時点で既に言うべきことは言っていたが、図書館側は当初から話を受け入れる様子がまるでなかった*1。以下、正確性を期すためそのまま内容を示す。先方は、岡崎市教育委員会図書館交流プラザ中央図書館企画室の三浦氏(日経コンピュータ8月4日号の記事で図書館側として出ていた方)。 私: 情報セキュリティの研究をし

    dazed
    dazed 2010/09/03
    自分が理解できない仕組みを外注し問題が起きても責任を取らない。悪くすると全て外注に責任転嫁。この場合、利用者に責任転嫁。はげしくデジャブな日本の風景
  • 記事" 岡崎市立図書館事件に見るネットと法執行機関のズレ" の何がズレているか:kurinote:So-net blog

    PC Online のコラム 賢人たちのリレーコラム セキュリティ"言いたい放題"から 岡崎市立図書館事件に見るネットと法執行機関のズレ http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20100901/1027224/ 寄稿者は上原哲太郎氏(京都大学 学術情報メディアセンター教育支援システム研究部門情報教育システム研究分野 准教授) 比較的冷静なご意見でごもっともではあるのですが、やはりシステム側の方の観点という印象はあります。ズレを埋めなければというご認識があるだけご立派ですが、社会的な観点は少々足りないかもしれないとも思います。 ところで、上原氏のコラムについてご意見申し上げる前に、この事件に関していくつか私の姿勢を明らかにしておきます。 まず、図書館側のシステムにおける"至らない点"を擁護する意図はありません。高木浩光氏のコンテンツによれ

  • 音極道茶室: 官邸WEB+メルマガで7億超という話はやっぱりガセネタでした

    前エントリー「首相官邸WEBサイト+メルマガで7億2千万はありえない」 の続き。 どうやら、結局これも「リテラシー」の問題でした、というオチみたい。 とりあえずWEBとメルマガだけで7億超云々の話はガセネタでFA。前エントリーに寄せられたコメントの幾つかを手がかりにいろいろ調べてみてそういう結論に至った。 まず、社民党でこの問題に注目したのは保坂展人議員らしい。氏のブログから、以下のエントリーを読むとその経緯が判る。 保坂展人のどこどこ日記 聖域なき「構造改革」の聖域は内閣・政府広報費 で、官邸サイト+メルマガで7億という話になったのは、内閣広報室がリリースした以下のPDFファイルがきっかけ。 →内閣広報室・政府広報室過去5年分の広報予算一覧表 このpdfファイル中の「官邸からの情報発信及び収集分析経費」の項に、確かに過去5年間いずれも7億超の額が記載されており、その備考欄に 官邸HP,メ

  • ネット・リテラシーと民主主義と:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

    インターネットの存在を当たり前のものとして受け入れている我々現代人の多くは、概してテクノロジーに対して無批判で、情報を面白可笑しく収集するという日々の営みに対してそれほど根源的な疑問を持たない。 今回の対象は、ニュースサイトを日々巡回したりメーリングリストに参加したりBlogや各種掲示板などをよく見ている人、つまりインターネットにおける積極的なオーディエンス一般に向けて、インターネットとの付き合い方について考えていることを書き記してみよう。 ■メディア・リテラシーとネット・リテラシー メディア・リテラシーと呼ばれている概念がある。 「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈で批判的に分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという」 Media Literacy Proj

  • 情報ムラ社会の到来、あるいは回帰 - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    ここ3年くらいでブログやWebコンテンツ管理システムが一般的となった結果、Webの更新は劇的に速く/多くなったでしょうね。莫大なWebページがそこに存在するだけではなく、情報湧き出し量がとんでもない勢いで増大しているわけです。世界中の新鮮な情報がWeb経由で供給され、いくらでも好き放題に利用可能、という状況。 でも、それで何か変わったのかな? いや、まー変わったんですけどね、でも僕の情報流の処理方法はといえば、ムラ社会の口コミみたいなものに依存している、つうかそれしか使ってない感じです。 人間が閲覧吸収できる情報の量には限界がありますから、どうやって取捨選択するか? ということが問題になりますよね、一般論として。でも僕は取捨選択(フィルタリング)してないですね。最初から、あんまり情報が入ってこないから大丈夫、フィルタリング不要。例えていえば、新聞/雑誌を30誌もとっていると、取捨選択ってこ

    情報ムラ社会の到来、あるいは回帰 - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
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