
エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
信長に先んじた天下人・三好長慶の軍事拠点か 櫓備えた「西院城」とみられる遺構が初出土(産経新聞) - Yahoo!ニュース
「織田信長に先駆けた天下人」と呼ばれ、その重要性が再評価されている戦国武将、三好長慶(ながよし)... 「織田信長に先駆けた天下人」と呼ばれ、その重要性が再評価されている戦国武将、三好長慶(ながよし)(1522~64年)が京に確保した軍事拠点「西院(さいいん)城」とみられる建物と溝の跡が、京都市右京区の阪急西院駅近くで出土したことが分かった。西院城は文献や絵図には登場するが、具体的な遺構が見つかったのは初めて。遺構からは、覇権を激しく争った「元祖天下人」らしい強気の姿勢もにじみ、関係者は「長慶の強権ぶりを知る史料」と評価する。 ■義昭上洛に合わせ焼失 西院城は、現在の西大路四条交差点の西に広がる小泉荘を基盤とした小泉氏が築き、長慶が16世紀中ごろ、室町幕府の将軍補佐役だった細川晴元と対立する中で城をさらに強化した。当時、京内に戦闘用の城が築かれるのは珍しく、唯一だったとの見方もある。 公家・山科言継(ときつぐ)の日記には天文19(1550)年4月、晴元が西院城を攻めたとの記述が残る。長慶死後
2025/05/01 リンク