再審開始、刑の執行停止のみならず「これ以上勾留を続けることは耐え難いほど正義に反する」として勾留停止まで認める満点の決定でしたが、先ほどから釈放の手続きが行なわれているそうです。 何から何まで疑惑だらけの捜査のうち、当ブログではもっぱら虚偽自白に関してとりあげてきました。 袴田事件・供述の変遷とその分析 その1 袴田事件・供述の変遷とその分析 その2 袴田事件・供述の変遷とその分析 その3 袴田事件・供述の変遷とその分析 その4 袴田事件・「無知の暴露」分析
これは若い人にとっては大変に良い教材になりますね。 むかしむかし、悪いおじさんがいました。彼はこの社会がかかえる不正義を告発する人々を誹謗するのが得意でした。不正義から利益を得ている人々はそのおじさんを重用しました。不正義を告発する人々が黙れば、自分たちは不正義から利益を上げ続けることができるからです。おじさんは自分に与えられた任務を果たすべく、頑張りました。頑張りすぎて「イザヤ書」を曲解してしまったこともあります。おじさんの伝統を受け継いだ右派論壇はいまやデマやヘイトスピーチの闘技場のようになっています。そのおじさんの名は山本七平といいます。彼が開発したテクニックを21世紀の日本で受け継いでいる人物のひとりが、上記引用ツイートの主です。 問題発覚後に大勢湧いて出た「意図」探検家たちの存在をまるっきり無視して「誰もが」としてみたり、わざと「教育勅語」を引き合いに出してみせるのは山本流テクニ
『アンネの日記』他の切り裂き事件で容疑者が逮捕された、との報道ですが……。 22日には店内で勝手にビラを張っていたことも確認。無断でビラを張るという、書籍購入などの「本来の目的」以外の目的で書店に侵入したとして、3月7日に建造物侵入容疑で男を逮捕した。 (http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140313/crm14031307150001-n1.htm) どう考えても別件逮捕、微罪逮捕です。社会的な関心が「動機」に向けられるであろう事件だけに、長期間身柄を押さえて捜査当局が描いた筋書きに沿った供述をとるようなことがないか、非常に懸念されます。被疑者の人権という観点からも、そしてこの事件についての理解が歪められはしないか、という観点からも。 追記:朝日の報道によれば「張り紙はアンネやナチスとは無関係の内容」とのことです。 http://www.asah
「はてサ」と括らずに個々の論者に取り上げるべきと言われたのでやってみた ちなみに、「「はてサ」と括らずに個々の論者に取り上げるべき」というのは私の主張じゃないですよ。「はてサ」について大方の同意を得られる定義を前提としたうえで(←ここ、大事)、そうしたクラスタの言動について論評することは可能だし、やりたければやればいいんじゃないでしょうか。ただその場合、「はてサ」として想定したクラスタの言動についてはきちんと観察すべきだし、『週刊朝日』が平素から「はてサ」の間でどれくらい話題にされていたか、部落差別がどの程度の頻度で話題にされていたかもふまえておくべき、ってはなしであって。 で、エントリタイトルの件だけど。 Apemanさんは記事の基準でのはてサに入ってないとコメントしたら、Apemanさんに呆れられてしまったが、あの記事で想定している対象は、週刊朝日報道を「差別ではない。橋下の人権を侵害
「6.11新宿・原発やめろデモ」に対する公開質問状 原発現状維持派・推進派が好んで用いる揶揄に「原発が止まりさえすれば後はどうでもいいのか?」というものがあります。唾棄すべき揶揄ですが、しかしもちろん「原発が止まりさえすれば後はどうでもよいわけではない」ということ自体は正しい。別に原発に反対する者一人一人が具体的かつ詳細な脱原発の青写真など描けなければならないわけじゃありませんが、脱原発の道筋について「こうであってはならない」「こうでなくてはならない」という原則は持っていなければなりません。さもなくば「原発が止まりさえすれば後はどうでもいいのか?」を下らない揶揄として斥けることもできなくなってしまいますし、そもそも「なぜ原発にノーと言うのか?」という原点を見失ってしまうことになります。 したがって原発依存からの脱却を主張する者は、例えば核廃棄物の処理や原発労働者の雇用や医療支援といった問題
名張毒ぶどう酒事件については今年の10月に第7次の再審請求が不調に終わり、早期に再審が開かれる見通しは立っていません。年齢こそ奥西死刑囚より一回り若いものの、事態の切迫性という点では劣らないのが袴田巌さんのケースですが、こちらは裁判所の判断を待つだけ、という状態です。大崎事件の即自抗告審では検察が証拠リストを年明けに開示する方針を先日明らかにし、弁護団は3月末までに双方の意見書提出が終わるという見通しを示しています。また松橋事件についても12月9日づけで裁判所が手持ち証拠を開示するよう検察に勧告しており、それぞれ一定の前進が見られました。他方、狭山事件ではすでに130点以上の証拠が開示されましたが、今年10月に行われた三者協議で検察はいまだ未開示の証拠の開示に応じなかったとのことです。 昨年再審開始の決定が下ったものの検察が即時抗告していた東住吉放火殺人事件では、今年5月に検察が(弁護側へ
てなことを折に触れてブコメしているわけですけど、しかしこれは単なる粘着イヤミではなく事の本質に関わる問題なんですね。「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」という主張に本気でコミットしているなら、「汚染水漏れがあったとは断言できない」「5千万円のやりとりがあったとは断言できない」「尖閣募金があったとは断言できない」と言えなくてはならないわけです。なぜ言わないのか? そんなことを言えば言論人としての生命が断たれるのがわかっているからです。そして(なぜ南京事件についてのみ「絶対的真実はない」などとことさら言い立てるか、といえば)南京事件についてなら「絶対的真実はない」と言っても言論人としての生命に影響しないと見透かしているからです。つまり「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」云々は本当はポストモダニズムなどとは関係がなく、単に歴史修正主義に対する日本社会の甘さを反映しているに
牧野雅子、『刑事司法とジェンダー』、インパクト出版会、2013年 刑事司法は性暴力加害者をどのように扱ってきたのか。連続レイプ事件加害者への長期間にわたる接見や往復書簡、裁判分析等により、性暴力加害者の経験に肉薄。強姦加害者の責任を問う法のあり方をジェンダーの視点から検証し、性暴力加害者の責任を問う法のあり方を提言する。 http://www.jca.apc.org/~impact/cgi-bin/book_list.cgi?mode=page&key=keiji_gender ネットで評判は目にしていたのだが、ようやく読むことができた。版元サイト(上記)の紹介文に見られるような本書の狙いが端的に現れているのは、たとえば次のような箇所だ。 検察官は論告で、被害者の受けた被害性を以下のように述べた。 本件の強姦被害者は、いずれも、近い将来、妻となり、母となるはずの若い女性たちであり、ささやか
ウィキペディアの「免田事件」の項にある次の記述が前々から気になっていた。 無罪が確定されたにもかかわらず、その後の免田に対する批判が続いた。当時としてはけた違いの多額の補償金を何に使ったとか、出所後の行動(女性関係など)を週刊誌が報道したりした。立川談志はラジオ番組で「ぜったいやってないわけないんだよね」と話し、後に謝罪する。 同じくウィキペディアの「立川談志」の項にも似たような記述がある。「こいつなら言いかねんな」とは思ったものの、ちょこっとググった程度では信頼できるソース付きの情報が見当たらなかったので朝日新聞のデータベースをあたってみた。 テレビ朝日の番組「プレステージ」に今月1日未明に出演した元参院議員の落語家立川談志さんが、再審無罪の確定した元死刑囚・免田栄さんについて、元法相から聞いたという形で「やってねえわけねえんだ」と発言したことに対して、「無実の人々を救おう! 連絡協議会
なんかなし崩しにこっちでの更新始めちゃってますが。 ステージ風発 「日系マフィア大幹部とその父は――再び映画「TOKYO JOE」から」 1983年2月にエトー氏が銃撃された後すぐシカゴなどに出向き、彼の軌跡を調べ「遥(はる)かなニッポン」というノンフィクションの書の主要な一章としたのだった。 だから当時、「エトーは犯罪者とはいえマフィア内部では忠誠とか献身という古典的なニッポンの資質を発揮しました」などと私に告げたシカゴ地検の特捜検事が、二十数年後のいま、スクリーン上での回想で同じ趣旨を語るシーンには思わず身を乗り出した。 アメリカ市民からみれば日系マフィアというのは「人の国にやってきて犯罪ばかりする不逞外国人(移民)」だよな。日本にいる(来る)外国人組織犯罪者だって組織内部では「忠誠とか献身」という資質を発揮してるんじゃないの? 余談だけど個人的にバカ受けしたことがあるので紹介しておく
堀川惠子、『永山則夫 封印された鑑定記録』、岩波書店 昨年10月に放送された ETV 特集「永山則夫 100時間の告白〜封印された精神鑑定の真実〜」の書籍版。今年の春に出版されていたのだが、ようやく読めた。 当然ながら番組には盛り込めなかった事柄が書き込まれており、番組をご覧になった方にもおすすめ。たとえば、永山の母が幼少時に樺太で親に“捨てられ”たことについては番組でも事件の重要な背景として紹介されていたが、本書によれば彼女は尼港事件の生存者の一人らしい、という*1。彼女は1919年頃にニコラエフスクに渡り、そこで二冬を過ごした後、日本軍の憲兵隊に助けられ、実母のところへ送られたという。石川医師に対してはこの2年間のことは一言も話していなかった。 本書を読んでいる途中で番組を見直したくなって録画したディスクを引っ張りだしたのだが、永山の肉声が流れるというテレビのアドバンテージを差し引いて
msn産経ニュースwest 2013.7.22 「「原告女性は下ネタ許容性高い」性生活聴取PTSD訴訟で言い放った被告・和歌山県警の“見識”」 「下ネタ話への許容性も高いだろうし、男に対する見識もそれなりのものがあるだろう」 “炎上”必至の弁明だった。和歌山県警の参考人聴取で性生活をしつこく聴かれ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したという大阪府内の30代女性が大阪地裁に起こした損害賠償請求訴訟で、被告の県側が驚くような内容の答弁書を陳述した。女性がかつて飲食業をしていた事実を引き合いに「(この女性は)下ネタ話への許容性が高い」というものだ。女性側は「甚だしい女性蔑視(べっし)と職業差別」と激しく憤り、専門家も「聴取の内容が社会通念に照らして違法かどうかが争われるべきで、女性の職業は関係ない」と批判している。 (後略) 厚顔無恥なデマ記事を量産する産經新聞ですが、社会面にはちょくち
(当エントリでは「自白」は扱っていませんが、関連するテーマを扱っているため「自白の研究」タグを用いています。) 大阪府警が今年の7月以降、(発覚しているだけで)4件の誤認逮捕を起こしています。 8月8日に報じられた高槻署のケースについて、わたしは次のようにブコメしました。 「母親の「間違いない」とする“目撃情報”」 証言者の確信度と証言の確かさには関係がない、というのは専門家がほぼ一致して認める科学的知見。2013/08/09 (http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201308/CN2013080801002083.html) 他方、15日に報じられた浪速署のケースについては、次のようにブコメしました。 これは最近の他のケースと同列に扱うのはさすがに……。時刻も時刻、任意捜査に切り替えたのも早いし、被害者の「間違いない」を無視するわけに
東アジア鰻資源協議会 公開シンポジウム 「ウナギの持続的利用は可能か ―うな丼の未来」 基調講演での塚本勝巳・日本大学教授の提言は次の通りでした(スライドの忠実な引用ではなく要約です)。 1.天然ウナギ 「獲らない、売らない、食べない」 2.異種ウナギは導入しない 経済より道義・品格を 3.鰻川計画の推進・河川環境と保全意識の向上 4.完全養殖の研究推進と早期実現→「家魚化」 5.消費スタイルの改革 消費者の意識改革 「ハレの日のご馳走」に その他、メモ等をもとに追記するかもしれません。 またこのシンポの発言者の一人でもあった井田徹治さんによる『Webナショジオ』の連載、「ウナギが食べられなくなる日」の第5回が公開されました。 第5回 ウナギ取引は不透明 規制強化が不可欠に
浜田寿美男、『ほんとうは 僕 殺したんじゃねえもの―野田事件・青山正の真実―』、筑摩書房 同じ著者による他の事件の鑑定書(をベースとした著作)と比べると、法廷供述の分析が占める位置が大きい。「自白が無実を証明する」が法廷供述にもあてはまるからだ。「冤罪か、否か」以前に被告人の当事者能力が認められ続け裁判が最後まで完遂されたことにショックを受ける。タイトルは被告人質問でたどたどしく「自白」をやり終えた後、検察官から遺族に対する気持ちを訊かれた被告人が突如として口にした否認の言葉に由来しているが、これに負けず劣らず印象的な供述に「やっちゃったの商売」というのがある。弁護人による反対尋問で職業を訊かれての答えだ。被告人にとって裁判がどのようなものであったのかを、これほど明確に示す言葉はあるまい。 この事件、すでに刑期満了で出所となりその後再審請求などは行なわれていないようだ。取調べの録音テープの
(飯塚事件についてはいわゆる「自白」はありませんが、冤罪事件一般を扱うタグとして「自白の研究」を用いています) 次回の「NNNドキュメント'13」で飯塚事件がとりあげられます。 7月28日24時50分〜(29日0時50分〜)、日本テレビ系列、NNNドキュメント'13「死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”」 1992年に福岡・飯塚市で登校中の小学1年生の女児2人が行方不明となった。2人は殺害され、翌日山の中から遺体で発見された。その後、警察は捜査線上に浮上した1人の男性を逮捕した。男性は「100%関係ない」「明らかに冤罪」と、一貫して無実を訴え続けていたが、最高裁で死刑が確定し、2008年に刑は執行された。だが翌年、男性の妻が「夫は犯人ではない」として、福岡地裁に裁判のやり直しを求めた。弁護団は無罪の理由を示す“新証拠”が存在するとして裁判所に提出。死刑執行後という異例の
共同通信の編集委員で、岩波新書『ウナギ 地球環境を語る魚』の著者、井田徹治さんが『NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版」のウェブマガジン、『Webナショジオ』で「ウナギが食べられなくなる日」を連載されています。 第1回 乱獲で資源は危機的に、生息地破壊も一因 第2回 背景に日本の消費爆発、定着した薄利多売のビジネスモデル 第3回 外来種輸入には多くの問題、資源管理に漁獲規制が急務 第4回 さらに深まるウナギの危機 歯止めかからぬ資源減少 個人的に特に興味を持って読んだのは第3回です。全体として批判的な視点が欠如しているマスコミの「ウナギ」報道ですが、なかでも「救世主ウナギ」の扱い方はひどすぎるとしか言いようがありません。 資源レベルの評価も持続可能な採取レベルも何も分かっていないうちに、これらの資源が日本のウナギの大量消費に巻き込まれれば、持続的ではない採取によって「ある資源がだ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く