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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (29)

  • ヒカキンを眺めていたら軽躁だらけの社会が恐くなった - シロクマの屑籠

    【フォートナイト】ライトセーバーでついにビクトリーロイヤル!?【ヒカキンゲームズ】【スターウォーズ】 先日、いろいろあってヒカキンのゲーム実況を久しぶりに眺めた。ヒカキンがフォートナイトを実況するさまは、滑らかで、楽しそうで、ゲーム内容をきちんと紹介もしていてとても良かった。 ゲーム実況中のヒカキンは、テンションが高い。 大げさに笑い、大げさに驚き、よく喋り、ポジティブだ。口調にもよどみがない。 そのおかげで視聴しやすい、というのはあるだろう。 でもこれって、まるで軽躁状態じゃないか? 軽躁状態とは、双極性障害などの精神疾患でしばしばみられる、ハイテンションな精神状態だ。上機嫌で、頭の回転が速くなって、心身が好調だと感じることの多い反面、この軽躁状態の最中に迂闊な決定をしてしまい、金銭トラブルや人間関係のトラブルなどを起こす人も多い。だから精神医療の現場では軽躁状態はハイリスクな状態のひと

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  • 「ブロガーが次々に言及する」文化の衰退と、はてなブックマークの変容 - シロクマの屑籠

    2020年1月6日、はてな匿名ダイアリーに「無知なお前らに最高のゲームを教えてやる(据置編)」というエントリが投稿され、それに触発されて何人かが「自分にとって最高のゲーム」をまとめる出来事があった。 じゃあ私も「最高のゲーム」を挙げてみる - シロクマの屑籠 90年代から10年代までお世話になったゲームたち! 明けまして俺の年代別最高のゲーム 20/01/07: 不倒城 個人的最高のゲーム(1980年代編) - novtanの日常 同じ話題に次々にブログ記事の投稿が連鎖したのがなんだか懐かしくて、嬉しかった。2000年代のブログ界隈ではこういうことが頻繁にあって、誰かが書いたブログ記事に次々にブロガーが言及して盛り上がったものだ。 ひとつの話題にブロガーが次々に言及し、ひとまとまりの議論や、複数名からなる広い視野をかたちづくるのは、当時のブログ界隈のカルチャーだったと思う。 しかし2010

    「ブロガーが次々に言及する」文化の衰退と、はてなブックマークの変容 - シロクマの屑籠
  • あの頃を無かったことにしないためにブログを書く - シロクマの屑籠

    時代は移ろい、人は昔のことを忘れていく。 目で見る新宿区の100年―写真が語る激動のふるさと一世紀 出版社/メーカー: 郷土出版社発売日: 2015/09/01メディア: 単行この商品を含むブログを見る この写真は『目で見る新宿区の100年─写真が語る激動のふるさと一世紀』から抜粋したものだ。版元は郷土出版社、郷土の風景や文学をおさめた書籍を多数出版していたが、2016年に廃業となってしまった。この出版社のこと自体も、やがて忘れられていくだろう。 2018年も、2068年には50年前のことになり、2118年には100年前になる。記録されないものは速やかに忘れられ、無かったことにされる。無かったことにされないためには、まず、記録しなければならない。 私がブログを書いている理由は複数あるが、「あのことを無かったことにしないために書く」というのは重要度が高い理由のひとつだ。 西暦2006年。

    あの頃を無かったことにしないためにブログを書く - シロクマの屑籠
  • コンビニ店長、私はあなたとブログ交流を続けたかった。しかし、それは難しいのようですね。 - シロクマの屑籠

    長いです。 ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでた.. 文体や内容から、あなたは過去にブログを綴っていた「コンビニ店長」とお見受けしたうえでお手紙を書きます。 まず、新年あけましておめでとうございます。あなたは、はてな匿名ダイアリーに稀に出没するだけになってしまいましたが、私はあなたのことを覚えていて、こうして健筆を奮っているのを見て嬉しく思います。 [関連]:いつも見聞きしているアカウントが消えてしまった事について/はてな村の隣人がまた一人減った…。 - シロクマの屑籠 [関連]:世の中には「書く」ことが好きで好きでしようがないブロガーがいる - シロクマの屑籠 [関連]:自由を削ってブログを書くか、自由になるためにブログを書くか - シロクマの屑籠 思い出すと、店長がブログ世界からいなくなって三年近い歳月が流れているのですね。それでも沢山の人があなたのことを覚えてい

    コンビニ店長、私はあなたとブログ交流を続けたかった。しかし、それは難しいのようですね。 - シロクマの屑籠
  • 2015年のインターネット&はてな界隈を振り返る会、オフレポ - シロクマの屑籠

    昨日、ベテランはてなユーザーが集まる「2015年のインターネット&はてな界隈を振り返る会」があったので、私も出席しました。 ネットの衆人環視下では、誰かと一対一で会話しているつもりでも「コミュニティへの言及だ!」「村の政治だ!」「あの人がこう言った/言わなかった」的な誤解が生じてしまうことがあります。が、一定のリテラシーと文脈を共有した人間同士が集まったオフ会でなら、そうしたリスクを気にする必要がありません。忌憚なくインターネットの話をするなら、オフラインのほうがやりやすいですね。 以下、ブログに書いても差し支えなさそうな話題について概略してみます。 2015年、インパクトのあったネット事件 ・オタキング愛人事件:ダメージコントロールの失敗、抜群のタイミングでの燃料投下。結果としてスケールの大きな騒動に発展した。 ・恋愛工学:恋愛工学の有効性うんぬん以上に、シンパ周辺の動きに注目が集まった

    2015年のインターネット&はてな界隈を振り返る会、オフレポ - シロクマの屑籠
  • 錢勘定を隠そうともしないブログ - シロクマの屑籠

    私は、ブログでお金を稼ぐこと自体については、中立的なモノ言いをせざるを得ない。googleアドセンス広告を切っているとはいえ、このブログだってAmazonアフィリエイトは使用しているわけだから、とやかく言えたものではない。 そして涼しい顔をしながら*1安定した収入を獲得しているブロガー達に対し、“ブログ道”の違いはあるにせよ、賛嘆の念を禁じ得ない。 以上を断ったうえで、善悪是非ではなく個人的好悪に基づいて、錢勘定を隠そうともしないブロガーを批判してみたいと思う。 「うわっ!カネ臭ぇブログだ!」 私は、カネ臭さを隠そうともしないブログが苦手だ。 ちょっと複雑かもしれないが、私は「カネ臭いブログ」が苦手ではなく「カネ臭さを隠そうともしないブログ」が苦手なのだ。 カネの流れる音が聞こえてくるブログというのはある。 しかし、カネの流れる音が聞こえてくるブログの、ブロガーの自意識や言動までもがカネ

    錢勘定を隠そうともしないブログ - シロクマの屑籠
  • 「あの人はメンヘルだから」論法と、それを認めない私について - シロクマの屑籠

    インターネット上では、以下のような論法をみかけることがある。 「あの人は精神科に通院しているから」 「あの人はメンヘルだから」 その言わんとしているところは、精神科や心療内科に通院しているから、格別の配慮をすべきだとか、コミュニケーションに注意を払いなさい、といったところだろうか。 こうした「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」を私が耳にする機会が多いのは、私が精神科医なブロガーだからかもしれない。 しかし私はこの論法が受け入れられない。 だとしたら、精神科や心療内科に通院しているアカウントを見つけたらただそれだけで格別の配慮をし、コミュニケーションに注意を払え、ということだろうか?それでは対等なコミュニケーションなど望むべくもないのではないか? 診察室という場面で、主治医と患者さん、あるいは当直医と患者さんといった治療者-患者関係が規定されている場面ではこの限りで

    「あの人はメンヘルだから」論法と、それを認めない私について - シロクマの屑籠
  • 道化師ブロガー・tm2501さんにご忠告申し上げる - シロクマの屑籠

    【おことわり】この文章は、ハイコンテキストな“はてな村”的な何かです。この言葉にピンと来ない人にはなんら意味を持ちません。スルーしてやってください。 今日、漫画家の小島アジコさんが、『2015年10月22日』というイラストをアップロードしました。 シロクマが魔理沙をじっと見つめています。魔理沙は手鏡でシロクマの動きを見計らっているようにもみえますね。 シロクマは私のアイコンですし、魔理沙はtm2501さんのアイコンです。背景の、塔にのぼった人々は、物見高いはてなブックマーカー達と思われます。 このイラストは、以下の文脈を踏まえたものでしょう。 p-shirokuma.hatenablog.com togetter.com 今日、2015年10月22日は「シロクマはtm2501さんに言及しない」と宣言して三年目にあたります。ですから、今日から私は彼に言及しても構わないわけです。 しかし、今、

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  • ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150901/k10010212001000.html 佐野研二郎さんがデザインしたオリンピックのエンブレムが、使用中止になった。デザインにどういった問題があったのかは、私は素人なのでよく知らないし興味もない。ただ、件がネット上で巨大炎上を遂げ、延焼に延焼を重ねてエンブレムの使用中止にまで追い詰められた事態は気になった。 「叩けば埃が舞い上がる」「次から次へと燃料がくべられる」――件は“ネット炎上芸”としては満点をつけたい連鎖反応を呈していた。そういった連鎖反応に際しては、新国立競技場の揉め事以上に“ネット世論”のほの暗いパワーが炸裂していたと思う。 デザイン業界の連中が迂闊なのが、今回の件ではネトウヨが大いに関与している点を甘く見てるところだ。暇な匿名ネトウヨの一致団結・糞義憤っぷりを相手にしたら、背負うものがある実

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  • 十年越しのエロゲ『Fate/staynight』 - シロクマの屑籠

    私は「忙しくなってくると掃除したくなる問題」とはあまり縁のないほうだと思っていたけれど、お盆ゆえ、つい現実逃避したくなって掃除を始めてしまった。 今回「掃除」のターゲットになったのは2006年頃に買ったノートPCだ。『シビライゼーション4』を遊べるノートパソコンを欲しがったせいで結構なお値段だったと記憶している。 数年ぶりに電源を入れると、ディスプレイには真っ白な縦縞が数現われていた。もう廃棄するしかない。でもって、インストールされているゲームを確かめると、これがまたどうしようもない。出てきたのは『つよきす』『CROSS†CHANNEL』『パルフェ』など。うわーエロゲだ!『CLANNAD』や『ひぐらしのなく頃に』も入っていて、なんというか、思い出に殴られた気がした。 そのなかで一番気になったのが『Fate/staynight』だ。ちょっと前に春の深夜アニメで視たばかりだから、中二病設定を

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  • インターネットに「真実」があったのは、何年前ぐらいまでだったのか - シロクマの屑籠

    十数年昔のインターネットに、私は「真実」を期待していたと思う。 その「真実」は、今、どこに行ったのだろう? 「ここには人間の生の声が転がっている!」 私がネットサーフィンにも大分慣れてきた頃、インターネットには「真実」が書き込まれていた。ここでいう真実とは、公式採用されるようなアナウンスではなく、人間の生の声のことである。テレビや新聞には現れて来ない、パブリックな会話のなかでも聞かれることのない、しかし人間の音のある部分を構成しているのが明白な、そういう呻きや嘆きや怒りといったものだ。 00年代前半までのインターネットには、そうした人間の生の声・編集の入らない声が無造作に転がっていた。例えばある医師のホームページには、当直時間中の嘆きやボヤキが赤裸々に綴られていたが、それは誰にも咎められることもなく、炎上することも削除されることもなく、数年にわたって公開されていた。今日のセキュリティ感覚

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  • 誰に語りかけた「真実」だったのか?――ネットの結び目の変化と意識の変化 - シロクマの屑籠

    先日の記事に、文芸評論家の藤田直哉さんから以下のツイートを頂いた。 あったあった。「ある」という思い込みが(ぼくに)あった。「インターネットに「真実」があったのは、何年前ぐらいまでだったのか - シロクマの屑籠 (id:p_shirokuma / @twit_shirokuma) URL 2015-07-13 22:34:19 via Twitter Web Client これを読んでふと思い出した。 西暦2000年頃の私も「インターネットにはテレビや新聞に載ってないたぐいの真実(実話)がある」と間違いなく思い込んでいた。藤田さんもそうだったらしいし、私のネット仲間達もそうだったと思う。 でも、当時の「ネットには真実(実話)が書かれている」は、読み手としてそう思い込んでいただけではなかった。 あの頃の私達は、ネットの読み手であるとともに書き手でもあった。ROM(read only memb

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  • 深夜のインターネットは「こころの回復」に適していない - シロクマの屑籠

    精神科・心療内科における「休む(休養)」の当の意味 せせらぎメンタルクリニックさんのブログが素敵な記事を書いておられたので、ちょっと言及します。 精神科・心療内科に通っている患者さん、とりわけうつ病の患者さんには休養が大切といわれます。しかしベッド上で臥床しているだけが休養ではなく、「こころを休める」ような活動も重要で、その活動内容には多かれ少なかれ個人差があることが示されています。回復途上の患者さん自身も、その周辺で回復を待っている人も、これは心得ておいたほうが良いポイントだと思いました。 私も、回復しはじめた患者さんには「あなたがやって楽しい事を、少しやってみませんか?」「遊びに出かけたりできそうですか?」としばしば勧めます。うつ病の患者さんを遊ばせるとは何事だ!と怒る人もいるかもしれませんが、欲や睡眠がとれるぐらいに回復した患者さんの場合、ストレスが少ない形でアクティビティを刺激

    深夜のインターネットは「こころの回復」に適していない - シロクマの屑籠
  • 「あの人は、気づいてないみたいだけど」 - シロクマの屑籠

    人間同士のコミュニケーション(あるいは情報戦)の精度は、幼児期にはそれほどの差が無い。他者を認知する精度がお互いに低く、それぞれの生まれ持った特徴そのままにコミュニケーションが行われる。「あの人は、気づいてないみたいだけど」は相互発生しやすく、極端な個人差はみられない。 小学生ぐらいになると、「あの人は、気づいていないみたいだけど」の個人差がそろそろはっきりしはじめる。ある一群には明示的な「カッコ悪さ」や「きめの粗さ」が、別の一群にはどうもピンと来にくい……といった出来事がみられるようになる。しかしそうした差異も極端にはなりにくく、ほんのちょっとの出来事やひと夏の経験値が形勢逆転をもたらすことがある。 中学生。「あの人は、気づいていないみたいだけど」があちこちに偏在しはじめる。それはファッションの領域かもしれないし、趣味の領域かもしれないし、コミュニケーションの領域かもしれない。中学生の言

    「あの人は、気づいてないみたいだけど」 - シロクマの屑籠
  • 前途有望なブログを炎上の高速道路に連れ込みたくない - シロクマの屑籠

    ここ1〜2年の間にも、面白く尖ったブログやアカウントをたくさん発見した。それらは自分より若い人によって書かれ、まだそれほどアクセスが集中していないものばかりだ。ブログから発せられる鋭気を眺めているだけでも、たいへんな刺激になる。 ただ、そうした刺激に満ちたブログを見かけた時、喜んではてなブックマークしたり、twitterで紹介したりするかというと……最近はそういう事をしなくなった。たかだか私一人がブックマークしたりtwitterで書いたりしたところで影響は少ないとしても、私のはてなブックマークをお気に入り登録している人や私のtwitterアカウントをフォローしている人のなかには情報キュレーター的な人が混じっているので、そういった人達を刺激し炎上を招いてしまったら面白くないからだ。 ここ数年、インターネットの行儀作法は穏便で生徒会的な方向に変化し続けてきた。それで良かったところもある反面、若

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  • ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない - シロクマの屑籠

    最近は、スマホやタブレット片手に、インターネットで薬や精神疾患について調べながら来院される患者さんが増えました。薬の名前をペラペラ列挙し、先生あれどうですか、これどうですかと、あたかも製薬会社のセールスマンのようです。 副作用もよく調べてますね。先生、これはパーキンソン症候群ですか、先生、のどが渇くのは抗うつ薬の副作用ですか、といった指摘は、ときに的を射ていることもあります。 でも、精神科医からみると、こういうインターネットにべったりな患者さんの知識はやはり偏っているようにみえます。 薬の名称、効果、副作用は余計なほど知っているのに、どれぐらいの用量でどれぐらいの期間使用したら効果が出やすいのか、薬ごとにどのぐらい副作用を避けやすいのかまで知っている人はまずいません。薬の効果を引き出すためにどういった手順や療養態度が必要なのかの知識も、たいてい欠落しています。シンプルなうつ病と妄想を伴った

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  • 無宗教が辛いのか、「自意識の終わり」が怖いのか - シロクマの屑籠

    無宗教な自分が辛い タイトルは無宗教を嘆いているが、前半パートは「自分が死んでしまった後、自分自身の有意味性が確認できなくなる不安」が優勢に感じられた。 しばしば宗教は、「死後の世界」や「輪廻転生」を説く。あるいは教理に含む。だから、死後の問題や死への恐れを和らげる“手段”として宗教を求めるのはわかるような気がするし、間違ってもいないのだろう。 でも、宗教に片足 or 両足を突っ込んでいるからといって、「死後の世界」「輪廻転生」「西方浄土」を信じられるものだろうか? 例えば私は仏教を信奉しているつもりだし、浄土真宗に親しんで育ったほうだとも思う。じゃあ、私が西方浄土を信じているかというと、そんなに信じていない。「もし、信じざるを得ない境遇に追い詰められたら」すがりつくつもりでいるけれども、普段は意識していない。輪廻についても同じ。そういう考え方があるのは知っているけれども、じゃあ、腰を入

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  • 「おれらのアニメ」から「みんなのアニメ」へ――2014年末から見た『涼宮ハルヒの憂鬱』 - シロクマの屑籠

    オタクが融解した、「げんしけん」二代目が、つらい - たまごまごごはん リンク先の記事は、まだオタクという言葉に輪郭が備わっていた時代を覚えている人には身に染みるものじゃないかと思う。少なくとも私は他人事と感じられず、むずむずした気持ちになった。 いちいち引用しているときりがないので一か所だけ挙げてみる。 「げんしけん」一巻は2002年。 2002年のアニメ挙げてみましょうか。 「キングゲイナー」「おジャ魔女どれみドッカーン!」「シスタープリンセスRePure」「灰羽連盟」「最終兵器彼女」「まほろまてぃっく」「東京ミュウミュウ」「朝霧の巫女」「アベノ橋魔法☆商店街」「あずまんが大王」「ラーゼフォン」 だいたい雰囲気分かっていただけると思います。 雰囲気、分かります……。 昔、深夜アニメはオタクのものだった。 死語を用いるなら「大きなお友達」のもの。 記事タイトルになぞらえるなら「おれらの」

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  • 「あの時代」のオタク差別の風景と「脱オタ」について - シロクマの屑籠

    オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子 リンク先の記事を読み、90年代のオタク差別を思い出した。実際、90年代〜00年代前半にかけて、クラスメートに向かって「アニメ大好き人間です」「ゲーム趣味です」と表明できるオタクは少なかったと思う。ネットの論調も“オタクは差別されるもの”という前提で、だからこそオタク自虐芸が流行していたわけで。 ただ、中森明夫さんの「おたくの研究」や宮沢章夫さんの『80年代地下文化論』を引用したうえで「サブカルがオタクをバッシングしていた」と看做しているのは、ちょっと違うかな、と思う。中森さんや宮沢さんはサブカルだったのではなく新人類だったのであって、対立の図式は「オタクvsサブカル」ではなく「おたくvs新人類」だった。私が文献的に調べた範囲では、「サブカル」という四文字スラングは80年代にはま

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  • 常軌を逸していれば、とりあえずネットアイドルになれてしまう - シロクマの屑籠

    はてな村奇譚16 - orangestarの日記 リンク先の漫画は、ネットのローカルコミュニティで“アイドル”になるための要件に触れている。 “ネットアイドルは皆の羨望と嫉妬を集める大変なお仕事”と前振りしたうえで、作中、ネットアイドルになるための資格は「歌って踊れることだけです」とされている。もちろん、ここでいう「歌って踊る」はニコニコ生放送だけを指すのではなく、恥ずかしがらず芸を披露できること、パフォーマンスできること全般を指すんだろう*1。 「歌って踊れる(=パフォーマンスできる)なら、誰でも簡単にネットアイドルになれる」と書くと明るい話のように見えるし、実際、ネット上でアイドル的にうまく立ち回った人もいるだろう。それでも現実を顧みれば、皮肉の利いた、ブラックなフレーズと思わざるを得ない。 芸やパフォーマンスが確固たるストラテジーに基づいて積み上げられ、技術的にも鍛えられているならま

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