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ブックマーク / russell-j.com (29)

  • バートランド・ラッセル落穂拾い2009 - ラッセル関係書以外でラッセルに言及しているもの)

    バートランド・ラッセル - 落穂拾い 2009年 (ラッセル関係文献「以外」の図書などでラッセルに言及しているものを拾ったもの) 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年 索引(-出版年順 著者名順 書名の五十音順) アリス・シュローダー『スノーボール(ウォーレン・バフェット伝)』上巻(日経済新聞出版社,2009年11月)(2009.12.28) * ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett、1930年8月30日 - ):著名な投資家、資産家、慈善事業家。 (pp.459-460)とはいえ、社会や政治の大義にバフェットが無関心だったわけではない。核戦争が起きることを心底心配していた --1960年代はじめ、核戦争はいまにも起きるかもしれない'真の脅威'で、核攻撃を受けた際に生き残るため

  • https://russell-j.com/miurat/anime.pdf

  • バートランド・ラッセルに関するQ&A ノーベル文学賞受賞理由

    バートランド・ラッセルに関する Q & A [質問]ラッセルのノーベル文学賞受賞理由について ラッセルのノーベル文学賞受賞の理由について教えてください。あるにはラッセルのノーベル賞受賞は、『結婚と性道徳』(Marriage and Morals,1929)の執筆に対して与えられたものであると書かれていますが、ノーベル賞のホームページには『結婚と道徳』については述べられていないようです。 別のには、『西洋哲学史』の執筆に対して授与されたものであると書かれています。どちらが正しいのでしょうか? (ラッセル自身は『自叙伝』で自分の『結婚と道徳』に対して与えられたと書いています。) [回答](2000年10月21日:松下) ノーベル賞は全ての分野を対象としたものではありません。従ってそれを補完する賞がいろいろあります。(よく、「・・・界のノーベル賞である・・・」、といった表現がありますよね。数

  • バートランド・ラッセル「平和主義者」について| ラッセル思想辞典 所収

    * 原著:Bertrand Russell Speaks His Mind, 1960, chap.3. * 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収 私(ラッセル)は第一次世界大戦時は平和論者であったが、第二次世界大戦時はナチス打倒を表明し平和論者でなかったので、筋が通らない(一貫していない)と言う人がいるらしい。だが、自分ではそうは思わない。私は、「すべての」戦争が(=戦争はすべて)正当だとか不正だとかいう見方をしたことは一度もない。 第一次大戦ではドイツと戦う理由がなく、第二次大戦ではナチスの世界観全体がひどいものだし、世界征服の野望を抱いていたことは明らかだから、この大戦の地獄から人類を救うため、ナチスを倒す戦いとして認めた。第一次大戦時、英国は中立で通すべきであった。英国がもしそうしていたら、戦争は短くてすんでいただろうだろうし、またナチスも生れず、ロシア革命も一九〇五年の革命

  • 絶対平和主義者(拝啓バートランド・ラッセル様)

    絶対平和主義者(拝啓バートランド・ラッセル様より) * R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集) '...。あなたが書かれた『平和への道』(Which Way to Peace, 1936)を読み、(1936年)当時あなたは、絶対平和主義者(Absolute Pacifist)であったと私は理解します。また、あなたの考え方を変えさせたのはヒットラーによる非人道的な統治だと思います。(しかし)現在、たとえヒットラーのような人物が出現しても、核兵器の破壊力のゆえに、あなたはもとの『絶対平和主義』に戻るだろうと推測します。・・・。ここでわたしは次のように言いたいのですがどうでしょうか。即ち、たぶんあなたは情緒的な状況を経験されたことが一度もなかったのであり、もしそのような経験があったならば、1939年(松下注:第二次大戦勃発時)

  • バートランド・ラッセル「菜食主義者のどう猛さ」(アメリカン・エッセイ集)

    バートランド・ラッセル「菜主義者の獰猛さ」(1932.04.13)(松下彰良 訳) * 原著:On the fierceness of vegetarians, by Bertrand Russell * Source: Mortals and Others, v.1, 1975 書の読者で、かつて奇人変人のための学校を開校しようと考えたことのある人がいるかどうかは知らないが、もしそのような考えを持っている人がおられたら、そのような考えはただちに捨てるよう、強く勧めたい。(なぜかと言えば)そのような学校の校長は、世界中の奇人変人から攻撃のかっこうの的になり、彼らは、校長が自分たちの独特の妙案を信じないと知れば、皆驚きの声をあげる(だろう)。 (世の中には)メキシコ・インディアンの呪術師が古代エジプトの知恵の宝庫(知恵を相伝された者)だと思っている者、大ピラミッドはピラミッドの完成の年か

  • 野田又夫「バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』」への訳者あとがき

    バートランド・ラッセル著『私の哲学の発展』への訳者(野田又夫)あとがき * 出典:『私の哲学の発展』(みすず書房、1960年刊)pp.361-364 * (故)野田又夫氏(1910~2004)は当時、京都大学教授 書は,Bertrand Russell, My Philosophical Development, 1959 の訳である。「まえがき」にのべられているように、巻末に付録としてアラン・ウッドの「ラッセルの哲学」の断片がつけてあるが、これも一緒に訳出した。(なお、アラン・ウッドが生前に発表した伝記『バートランド・ラッセル、情熱の懐疑家』は現在、木鐸社から刊行されている。一九七九年八月追記) ラッセルの自叙伝ふうの文章には、すでに『自伝的回想』(Portraits from Memory, and Other Essays, 1956.)中に「自叙伝のこころみ」があり、またシルプが

  • バートランド・ラッセル著書解題19:「外部世界はいかにして知られうるか」(石本新)

    バートランド・ラッセル著書解題19:ラッセル『外部世界はいかにして知られうるか』(石新・解題) * 出典:『日バートランド・ラッセル協会会報』第20号(1972年1月)pp.6-11. * ラッセル著書解題シリーズのn.19 * 石新(1917~2005): 論理学及び哲学専攻/京大動物学科卒,総司令部,文部省勤務を経て,論文執筆当時,東京工業大学教授 * 日科学哲学会・石基金の事業開始のお知らせ 1. この書物は数多くあるラッセルの哲学書の一つであるが,いろいろな意味において,ラッセル哲学展開の過程で大きな役割を演じている。まず第一に,この書物の出版後,ラッセル哲学はそれが敷設した軌道上を走ったのであって,その後のラッセル哲学が,「外部世界はいかにして知られうるか」から大きく離れたということはない。もちろん,このような解釈にはいろいろの反対意見もあろう。たとえば,この書物の次

  • 三浦俊彦「哲学者の機知と怒り-バートランド・ラッセルと世界」_東京大学修士論文

    三浦俊彦『哲学者の機知と怒り-人間バートランド・ラッセルと世界』(東京大学修士論文) 【追記 この修士論文をもとに、『反核の論理学者』が出版されました。こちらには図版がほとんど収録されていますので、興味のある方はご購読ください。】 このコンテンツは、「ラッセルを読む会」会員など、閲覧者を限定したコンテンツです。(著作権等の問題などからこのようにしています。) ご覧になるには、パスワードが必要となります。研究者等で閲覧されたい方は、松下()までメール等でご連絡いただければ、閲覧のためのパスワードをお知らせします。 なお、今回掲載したものには、以下の留意点があります。 修士論文には、図版(The Good Citizen's Alphabet, 1953/モノクロ版)がついていますが、今回は掲載していません。しかし、ラッセルのホームページには、同書のカラー版を掲載してありますので参照してくださ

  • バートランド・ラッセル『自由への道』邦訳書・目次

    バートランド・ラッセル(著),栗原孟男(訳)『自由への道』(角川書店,1953年8月 203pp. 角川文庫n.640/青96) * 出典:バートランド・ラッセル(著)『自由への道』_ 目次 * 原著:Roads to Freedom, 1918. * 1918年に出版されたということであるが、初版の序文の日付は1919年1月になっている。恐らく、初「刷」は序文なしでだされ、後から序文が付け加えられたものと思われる。 目 次 ★原著画像 序 第3版への序(英文のみ) 緒言 n.1 第一部 歴史的 第1章 マルクスと社会主義理論 第2章 バクーニンと無政府主義 第3章 サンディカリストの叛逆 第二部 将来の問題 第4章 仕事と賃金 第5章 政府と法律 第6章 国際関係 第7章 社会主義社会における科学と芸術 第8章 世界政府の構想 訳注 (訳者)後記 索引

  • 永井成男「(巻頭言)(バートランド・ラッセル) 理論と実践」

    永井成男「巻頭言 (バートランド・ラッセル) 理論と実践」 * 出典:『日バートランド・ラッセル協会会報』第20号(1972年1月)pp.1-2. 「言行一致」という最も通俗な意味では、ラッセルほど「理論と実践の統一」を体現した思想家は稀であろう。しかし、ここでは哲学的な意味で、「理論と実践」の問題を取りあげよう。「二人のラッセル」説、つまり理論家としてのラッセルと実践家としてのラッセルとの間には、'心理的な'統一はあっても、'論理的な'関係はないというラッセル評が有力であり、ラッセル自身が'ある意味では'それを公言していることも周知である。ある意味とは、理論と実践、記述的と規範的、事実と価値、存在と当為を峻別する二元論のことで、その立場は、プラグマティズムやマルクス主義に多く見られる自然主義的な一元論と鋭く対立する。カント主義において存在と当為の二元論が支持されたが、現代の分析哲学にお

  • 永井成男「バートランド・ラッセルから学ぶ」

    永井成男「バートランド・ラッセルから学ぶ」 * 出典:『日バートランド・ラッセル協会会報』第15号(1970年5月)pp.5-6. * 永井成男(ながい・しげお、1921~2005)氏は、東京医科歯科大卒及び早大文学部卒。執筆当時、東洋大教授、日科学哲学会委員長。その後東洋大学名誉教授。< ラッセルの訃報に接し、しばらくは信じられぬ思いであった。百才近い高齢ではあるが、万年青年のように、精神的、肉体的に衰えをみせぬラッセルの超人的な活躍ぶりから、百何十才まで元気で活動するラッセルのイメージが私の脳裏に焼付いていたからである。 協会より、ラッセル追悼号に寄稿するようにとの依頼があったが、私は、ラッセルとは直接の面識はおろか、文通さえも交わしたことがなく、個人的には全く無縁の者であるので、科学哲学者としての私が、ラッセルの思想、人柄、実践から何を学び、また学ぼうとしているかについて、思い

  • 永井成男「バートランド・ラッセルの無限論と論理主義の立場」

    出典;『日バートランド・ラッセル協会会報』第5号(1966年7月)pp.8-11. * 稿は,拙著『現代論理学の基礎』(昭和39年,有信堂)のpp.160-175,および「存在仮定のない論理学 -Principia Mathematica の体系から存在仮定を除く試み-」(科学哲学大会実行委負会編『科学哲学年報』第3巻,昭和38年)に発表した私の研究の一部を解説したものである。私の主張の厳密な論拠については同論文を参照されたい。(筆者は当時,東洋大学助教授) * 永井成男氏(1921~2005):ウィキペディアの記事 < 数学基礎論の代表的な立場に論理主義,直観主義,形式主義の3つがあるがラッセルに代表される論理主義は大体次のような根主張を指している。論理学は記号論理学として数学に属し,あらゆる数学に共通な基礎部門であるというにとどまらず,さらに論理学以外の他の全数学(応用数学を除く

  • バートランド・ラッセルのポータルサイト | 約2万件のコンテンツ!

    開設趣旨 3つの強い情熱 自由人の十戒 エディスに捧ぐ スマホ用メニュー  中国語メニュー English - Updated: Oct. 14, 2023 Since Aug 9, 1996, by Akiyoshi Matsushita 早稲田大学ラッセル文庫 Russell Collection in Waseda University 概要 (Outline) 誕生経緯 (History) 目録 (Catalogue) 読書会 Reading Circle 次回 (next meeting) 紹介 メルマガ Mail Magazine 「ラッセルの英語」 「(週刊)総合版」 特集号 年譜 Biography 全体 日訪問時(1921.7.17~7.30) ラッセルのその時 ラッセル年譜他(携帯用) mobile Bertrand Russell Chronology ラッセル書誌

  • ラッセル思想紹介漫画(梅 COMIC) | ラッセル研究者及びラッセル・ファンのためのポータルサイト

    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2014/10/09
    面白かった! 梅太郎「ラッセル思想紹介漫画」
  • バートランド・ラッセルを読む会_読書会案内

    「バートランド・ラッセルを読む会」ご案内 第226回「ラッセルを読む会」案内 日時: 令和6年3月16日:午後3~6時 + 懇親会 (オンライン) <読書会 15時~18時(少し延びるかも) 懇親会 読書会終了後~(上限は)午後8時 場所: (文京区 郷界隈) → 「当分の間、zoom による「オンライン」読書会」に変更 テキスト&分担: (1)ラッセル『倫理と政治における人間社会』 序論+第1章「倫理的信念と倫理的感情との源泉」(松下) 第2章「道徳綱領(道徳律)」(綱島) 第3章「手段としての道徳」(大野) (2)三浦俊彦『戦争論理学-あの原爆投下を考える62問』(二見書房) ■ 第14問「第14問「原爆のデモンストレーションをするべきだったのでは?」(外谷) ■ 第17問「結局はソ連への威嚇だったわけでは?」(藤) (番外)フリー・ディスカッション ◆ また、ChatGPTやそれ

  • ブライアン・マギー「プロの哲学者vs.アマチュアの哲学者」 - バートランド・ラッセルのページ

    * 出典:『哲学人(てつがくびと)』上巻(日放送出版協会、2001年3月刊)pp.335-350(=第12章) * ブライアン・マギー(1930年~ )は、オックスフォード大学で史学、哲学、政治学を、エール大学で哲学を学ぶ。テレビ・ラジオの哲学解説番組の制作・出演、及び、執筆活動を通して、哲学をわかりやすく紹介している。国会議員も経験。 *訳者:須田朗監訳、近藤隆文訳 *標題は「プロの哲学者vs.アマチュアの哲学者」となっているが、これは「職業哲学者vs.在野の哲学者」とした方が誤解が少ないかも知れない。「プロ」の哲学者とは、大学など(アカデミズムの世界)で哲学の教育研究をしている(教育研究活動により給料を得ている)哲学者のことを言い、アマチュアの哲学者とは、収入を哲学の教育研究以外から得ている(たとえば、アカデミズムの世界に身をおかずに、執筆活動・評論活動等で生計をたてている)在野の哲

    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2014/10/09
    「私の意見では、これ(『哲学の諸問題』)はある特殊な点において、一般書の模範であると言える。初心者にとってわかりやすいと同時に、新しい思想も含まれているので、専門家にとっても興味深く重要なのである。」
  • ブライアン・マギー「分析哲学の限界-現代哲学における大きな分裂」-バートランド・ラッセルのページ

    * 出典:『哲学人(てつがくびと)』下巻(日放送出版協会、2001年3月刊)pp.304-316 * ブライアン・マギー(1930年~ )は、オックスフォード大学で史学、哲学、政治学を、エール大学で哲学を学ぶ。テレビ・ラジオの哲学解説番組の制作・出演、及び、執筆活動を通して、哲学をわかりやすく紹介している。国会議員も経験。 *今回は、ブライアン・マギー(右の写真)の分析哲学批判を紹介。:『哲学人』下巻第23章(=「分析哲学の限界-現代哲学における大きな分裂」)のなかの3節(「分析哲学者たちが共有していた哲学観」「分析哲学への不幸なリアクション」「'分析哲学は当の哲学ではない'という非難は正しい」) 分析哲学者たちが共有していた哲学観 すでに述べたとおり、ムーアとラッセルが、それまで手引きとしてきた新へーゲル主義的観念論と決別したのち、分析的アプローチを創始すると、これが大学の哲学に広く

  • バートランド・ラッセル「体罰について」(アメリカン・エッセイ)

    バートランド・ラッセル「体罰について」(1932.09.07)(松下彰良・訳) * 原著:Bertrand Russell: On corporal punishment * Source: Mortals and Others, v.1, 1975 *右ページ下イラスト出典:B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953. 罰として肉体的危害を加えることは,以前は,この問題について理論を述べたすべての人々によって,支持されていた。文明社会においても,300年前までは,(刑罰として)耳や舌を切落すことは,まれなことではなかった。(N. ホーソンの小説)『緋文字』で誰でも知っているように,(罪人に)焼印を押すことは,(英国植民地)ニューイングランド(米国北東部6州)では,適切なやり方であると考えられていた。(松下注:日でも,「島流し」される人は

    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2014/09/10
    「概して言えば,いかなる文明の進展過程にも,必ず刑罰の苛酷さの軽減と肉体的懲罰の減少が伴っている。」
  • バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ n.011:「権力論」

    バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ 011 (第6回)読書会メモ「ラッセル権力論」(1980.07.20) [テキスト]東宮隆(訳)『権力』(みすず書房版・ラッセル著作集第5巻/On Power, 1938) ラッセル『権力論』 第14章 競争 2つの問題 競争が技術的にみて浪費が多いのはどんな場合か 競争が非技術的理由から望ましいのはどんな場合か。 宣伝における競争、宣伝の自由 政府の立場から 政府というものは、・・・二つの危険に脅かされている。一つは革命で、いま一つは敗戦である。・・・(従って)問題は、どの程度の宣伝の自由があれば、対内的な危険に備える上からも、対外的な危険に備える上からも、最大の安定をもたらすことができるか、ということに帰する。 一般市民の立場から 宣伝の自由が一般市民の関心の的となる場合は、そこに激しい革命か,あるいは、今まで以上の大きな自由の承認、即ち,