仏教には一切皆苦、つまりすべては苦だ、という教えがある。確かに、私達の人生には病や死といった肉体に直結した苦しみもあれば、対人関係上の悩み、金品の欠乏、現在の生き方や社会への不満、未来に対する不安もある、といったように苦悩に事欠かない。そうしてみると、一切皆苦は人生に関する真実の一面を突いているようにも思える。 しかし、いかなる疑問もなしに、一切皆苦が受け入れられることもないだろう。例えば私達の人生には、苦悩と同時に様々な快楽、歓喜、幸福も存在する。にもかかわらず一切皆苦だというなら、それらの楽も実は苦なのか。また苦楽とは無関係に見える椅子や机といった物体も、実は苦なのか。もしそれらも苦だというのなら、それは何故か。また、どのようにして楽や物体も苦だと認識できるのか。あるいは、私が苦悩するとき、たしかに自己にとって苦が存在しているかもしれない。では他人が苦しんでいるとしてもその苦しみを私は
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