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戦争に関するholyagammonのブックマーク (368)

  • 第493回:「特攻隊や戦死者をどう思うか」という検定試験・第74回。の巻(雨宮処凛)

    「『特攻で死んだ人に失礼ではないか』『彼らのおかげで今の日がある』などと言ってくる人がいます。どうして、そんな軽々なことを言えるのか。特攻を命じた指揮官たちと変わりませんよ」 終戦の日、Twitterのタイムラインに流れてきた言葉にドキッとした。保阪正康氏の2014年のインタビューから抜粋された言葉である。 彼らのおかげで今の日がある。彼らを貶めるな。まさに、私自身が思っていたことだったからだ。そんなことを思っていたのはもう20年以上前。20代前半、右翼団体に2年間入っていた頃のことだ。1997〜99年頃の話である。 右翼団体に入った翌年の98年、小林よしのり氏の『戦争論』が発売された。特攻隊を勇敢に描くその漫画を、私も、右翼団体のメンバーの多くも貪るように読んでいた。それだけじゃない。『戦争論』発売後には、私のいた右翼団体に若者たちが大挙して入ってきた。多くが『戦争論』を読んでいた。

    第493回:「特攻隊や戦死者をどう思うか」という検定試験・第74回。の巻(雨宮処凛)
    holyagammon
    holyagammon 2019/08/23
    "勝手に主語を「英霊」にすると、なんだって正当化できてどこまでも暴走できてしまう。そこに自分の責任などない、すべては英霊が「望んだこと」にしてしまえる。"
  • 毒ガス部隊、初の詳報発見 旧陸軍記録、研究者入手 | 共同通信

    迫撃第5大隊の戦闘詳報に記された砲弾の使用量。あか弾は計231発、きい弾は計48発使ったとの記載がある(松野誠也さん提供) 日中戦争中の1939年に日陸軍の毒ガス戦部隊が、中国北部の戦闘で皮膚や粘膜をただれさせる「びらん剤」や、呼吸器に激しい苦痛を与える「くしゃみ剤」が入った毒ガス弾を使った詳細な記録が残されていることが7日、分かった。部隊の公式報告書に当たる「戦闘詳報」を歴史研究者の松野誠也さんが入手した。松野さんによると、毒ガス戦部隊が自ら使用状況を詳細に記した報告書の確認は今回が初めて。 旧日軍は敗戦時に記録類を組織的に廃棄したため、毒ガス使用の全容は判明していない。今回の戦闘詳報には、よく分かっていない初期のびらん剤使用の様子などが示されている。

    毒ガス部隊、初の詳報発見 旧陸軍記録、研究者入手 | 共同通信
    holyagammon
    holyagammon 2019/07/09
    "旧日本軍は敗戦時に記録類を組織的に廃棄したため、毒ガス使用の全容は判明していない。今回の戦闘詳報には、よく分かっていない初期のびらん剤使用の様子などが示されている"
  • 第464回:祝・安田純平さん、帰国!! の巻(雨宮処凛)

    嬉しいニュースが飛び込んできた。 それはシリアで拘束されていた安田純平さんが無事に帰国したこと!! 帰国便の映像を見ながら、しっかりした口調に胸を撫で下ろした。一方で、3年4ヶ月にわたる拘束の間の過酷すぎる状況に言葉も失った。 安田さんを知る人々の喜びの声が届く一方で、一部メディアやネット上ではおなじみの「自己責任」という声も上がっている。しかし、ジャーナリストが「危険」だからと戦場や紛争地に向かわなくなれば、一体誰が現実を伝えるのか。 私は安田さんに2度、取材している。『排除の空気に唾を吐け』というと、『14歳からの戦争のリアル』という2冊でだ。特に2015年に出版した『14歳からの戦争のリアル』では、一章丸々使って、なぜジャーナリストになったのか、そこから話を聞いている。どうして私が2度にわたって彼を取材したのか、そして彼がいかに「現場」を大切にする貴重なジャーナリストであるか、勝手

    第464回:祝・安田純平さん、帰国!! の巻(雨宮処凛)
    holyagammon
    holyagammon 2018/11/01
    "今回のそういった反応は、必要だと思っていない証拠ですよね。シリアで20万人死のうが関係ない。自分と直接関係ないんだからどうでもいいということじゃないですか」
  • 沖縄慰霊の日:平和の詩「生きる」全文 | 毎日新聞

    沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する相良倫子さん=沖縄県糸満市で2018年6月23日、津村豊和撮影 「生きる」 沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子 私は、生きている。 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、 心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、 草の匂いを鼻孔に感じ、 遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。 私は今、生きている。 私の生きるこの島は、 何と美しい島だろう。 青く輝く海、 岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

    沖縄慰霊の日:平和の詩「生きる」全文 | 毎日新聞
  • 第439回:金子兜太さんの訃報 24歳が体験した戦争。の巻(雨宮処凛)

    「小生も驚きましたけど、3ヶ月くらいで男色が広まった。男同士の関係が各所でできて、若い男を取り合って、男同士で喧嘩するわけです。それが殺し合いにまで発展する。そういう殺人事件が増えてね。あなたがたはそんな馬鹿げたことがあるかと思うかもしれないけど、そんなことがあったんです。あんなに男色が広まって、しかもそれで殺し合いになるなんて、小生も考えられなかったね」 これは、ある人が私に語ってくれた太平洋戦争中の話である。舞台はトラック島。南方の第一線だ。戦況が悪化して爆撃が激しくなる中、慰安婦たちを日に戻し、島から女性の姿が消えると驚くべき勢いで広まったのが「男色」だったという。 この話を私に聞かせてくれたのは、俳人の金子兜太さん。2018年2月20日、98歳で亡くなった。その金子さんに、私は15年、ご自宅にお邪魔してお話を聞いている。『14歳からの戦争のリアル』というで、イラク戦争に参戦した

    第439回:金子兜太さんの訃報 24歳が体験した戦争。の巻(雨宮処凛)
    holyagammon
    holyagammon 2018/02/28
    "話を聞いて改めて驚いたのは、金子さんの話にはひとつとして戦争の「勇ましさ」や「勇敢さ」を思わせるエピソードがないことだった。"
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  • チビチリガマ荒らされる 沖縄戦で80人以上自決の洞窟:朝日新聞デジタル

    12日正午過ぎ、沖縄県読谷村にある洞窟「チビチリガマ」が荒らされている、と警察に通報があった。嘉手納署が現場の状況を調べている。 読谷村役場によると、ガマ入り口の説明版が引き抜かれ、内部では瓶やつぼが割られて散乱していたという。 母の両親やきょうだい計5人が犠牲となった遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)によると、ガマの入り口の看板が引き抜かれ、小さな骨や生活に使っていたビンなどを集めていたガマ内部では、ビンが割れ、入れ歯が動かされていた。遺族会は、ガマは犠牲者の墓でもあるとして立ち入りを禁止していた。「人のお墓に……。ショックと怒り」と憤った。さらに「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」と話した。 チビチリガマは、沖縄戦の際、避難していた約140人のうち80人以上が集団自決した場所。ガマの入り口前

    チビチリガマ荒らされる 沖縄戦で80人以上自決の洞窟:朝日新聞デジタル
  • 第423回:精神論系パワハラオッサンに殺されないために~インパール作戦と現代~の巻(雨宮処凛)

    戦争が終わって72年が経つ日に放送された「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」を観た。 インパール作戦。太平洋戦争で、もっとも無謀と言われる作戦。ちなみに20年ほど前に右翼団体に入っていた私の周りには、「真珠湾攻撃の話はするけど、ミッドウェー海戦とインパール作戦の話はしない」という「右翼ギャグ」があった。それくらい、右翼も語りたくないインパール作戦。 同番組を観て、「NHK戦争証言アーカイブス」の「ドキュメント太平洋戦争 責任なき戦場~ビルマ・インパール~」も観た。1993年に放映された、やはりインパール作戦についての番組である。 それでは、インパール作戦とはどのようなものだったのか。 ものすごくざっくり言うと、「気合い一発」みたいな感じで10万人の兵士をインパールに向かわせ(その間に幅600メートルの川を渡ったり、ジャングルみたいな山を越えたりする)、その後も料などを補給せずに2

    第423回:精神論系パワハラオッサンに殺されないために~インパール作戦と現代~の巻(雨宮処凛)
    holyagammon
    holyagammon 2017/08/23
    "20年ほど前に右翼団体に入っていた私の周りには、「真珠湾攻撃の話はするけど、ミッドウェー海戦とインパール作戦の話はしない」という「右翼ギャグ」があった。それくらい、右翼も語りたくないインパール作戦"
  • 「家族で禁句だった」 山本浩二さんの兄、被爆体験語る:朝日新聞デジタル

    「ミスター赤ヘル」と呼ばれた元広島カープ監督の山浩二さん(70)の兄、山宏さん(79)=東京都江戸川区=が17日、地元の区民館で催された原爆犠牲者追悼式で自身の被爆体験を初めて証言した。「原爆の話は、家族の中で互いに禁句だった。浩二にも語ったことはない」。つらい幼少期を振り返った。 宏さんは国民学校2年生だった7歳のとき、爆心地から約2・5キロの広島市己斐町(現西区)の自宅近くで被爆した。「朝なのにほこりや煙で夜のようだった」。自宅にいた母や祖父母らは血まみれだった。 自身も後頭部や首をやけどし、腫れ上がっていた。数日後にはただれ、ウジ虫がうごめいて「筆舌に表せない痛さだった」。髪の毛が生えそろうまでには、4年もかかったという。 「当時通っていた学校の校庭を、訪ねる勇気はありません。七十数年たった今でも思い出したくない」。大きな穴をいくつも掘って薪を積み上げ、遺体を焼いていた場所だった

    「家族で禁句だった」 山本浩二さんの兄、被爆体験語る:朝日新聞デジタル
  • シベリア抑留 露に生存者 北海道出身の89歳「もう一度日本に」

    第二次世界大戦末期の1945年に旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まり、シベリアで抑留された日人男性がロシアで生存していることが新たに判明した。抑留者のほとんどは56年12月までに日へ帰還したが、外務省の資料によると、約1000人がソ連にとどまったとされる。その男性が、初めて日メディアの取材に応じた。「戦後、一度も日に帰っていない。死ぬまでにもう一度日をこの目で見たい」と話している。 取材に応じたのは、北海道遠別(えんべつ)村(現遠別町)出身の田中明男さん(89)。10代で陸軍に入り、満州の関東軍に送られた。戦時中は機関銃を撃つ兵士として中国人の部隊と戦ったという。

    シベリア抑留 露に生存者 北海道出身の89歳「もう一度日本に」
  • 首相の真珠湾訪問、歴史認識問う質問状 ストーン監督ら:朝日新聞デジタル

    安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾訪問に関し、日米の学者ら約50人が25日、首相あてに歴史認識を問いただす公開質問状を出した。「侵略の定義は定まっていない」とした首相の国会答弁の真意や、真珠湾のみならず、中国や朝鮮半島、アジア諸国の犠牲者も「慰霊」する意思があるのかをただしている。 公開質問状を出したのは映画監督のオリバー・ストーン氏や、法学者のリチャード・フォーク・プリンストン大名誉教授、哲学者の高橋哲哉・東京大教授、安斎育郎・立命館大名誉教授ら計53人。 質問状では「日が攻撃した場所は真珠湾だけではない」と指摘し、安倍首相が2013年の国会答弁で「侵略の定義は定まっていない」と主張したことにも言及。「連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、対中戦争を侵略戦争とは認めないということか」と問いただした。 また、26日からの首相のハワイ訪問に関し、「中国や朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他

    首相の真珠湾訪問、歴史認識問う質問状 ストーン監督ら:朝日新聞デジタル
  • 日本兵が沖縄・国頭で住民虐殺 証言複数、村史新刊に掲載 | 沖縄タイムス+プラス

    【国頭】沖縄戦中から終戦直後、国頭村伊地、半地、桃原の3地区で少なくとも民間人9人がスパイ嫌疑をかけられ、日兵に虐殺されたことが複数の証言で明らかになった。10月末に新しく発刊された村史に掲載された。

    日本兵が沖縄・国頭で住民虐殺 証言複数、村史新刊に掲載 | 沖縄タイムス+プラス
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • 本土決戦 地域の演習資料 太平洋戦争末期 長野で見つかる | 信濃毎日新聞[信毎web]

    太平洋戦争末期、土決戦に備えて現在の長野市で計画された演習の資料が市内で見つかったことが20日、分かった。兵力不足を補うため全国的に制度化された「地区特設警備隊」の教育計画などで、米国の空挺(くうてい)部隊が吉田地区に飛行場を造ったと想定し、警備隊が「肉迫攻撃」などで応じる詳細な内容。専門家は、地域ぐるみで土決戦に備えざるを得なくなっていた状況が分かる貴重な資料だと評価している。 防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室によると、各地区特設警備隊の教育計画は所蔵していない。明治大平和教育登戸研究所資料館(川崎市)館長で、軍事史などが専門の山田朗(あきら)・明大文学部教授(59)によると、警備隊の具体的な行動を示す記録や証言はこれまでなく、「何も動いていないとみなされがちだった」と説明。地域で具体的な動きがあったことが分かる点で、今回の資料は重要だとする。 資料は、長野市信州新町の元高

    本土決戦 地域の演習資料 太平洋戦争末期 長野で見つかる | 信濃毎日新聞[信毎web]
  • 戦後71年に考える「私と戦争」〜惨めすぎた20歳の夏が、戦争との出会いだった〜の巻-雨宮処凛がゆく!

    戦後71年目の夏だ。 しかし、テレビをつければオリンピックとSMAP解散ばかりが繰り返されている。「終戦」や「戦争」というキーワードに密接な関係があるはずの安保法制や憲法改正などの言葉は聞こえてこず、はたまた沖縄・高江でのヘリパッド建設を巡る住民の人々の抵抗や、今月に入って再稼働された伊方原発について報じるメディアは悲しいほどに少ない。自衛隊が派遣されている南スーダンの状況についてももっと知りたいのに、詳しい状況はなかなか伝わってこない。 そんな戦後71年の夏、文藝春秋に掲載された「戦前生まれ115人の遺言」をぱらぱらとめくっていると、あるタイトルが目に飛び込んで来た。 「1939年との類似点」というタイトルだ。 この文章を書いたのは、国際オリンピック委員会名誉委員の岡野俊一郎氏。1931年生まれ。 氏が小学校に上がる前年の37年に日中戦争が始まり、4年生の頃に開戦。終戦の年の8月1日から

    戦後71年に考える「私と戦争」〜惨めすぎた20歳の夏が、戦争との出会いだった〜の巻-雨宮処凛がゆく!
    holyagammon
    holyagammon 2016/08/18
    "「テレビで戦争の映像を見て、どうしていいかわからなくなって、とりあえず右翼に入ろうかと思ってる」といった内容の連絡が入ったものだった。私にとって、夏の風物詩のひとつ"
  • 加害の記憶、被害の記憶〜オバマ大統領広島訪問から考える〜の巻-雨宮処凛がゆく!-第378回

    オバマ大統領広島訪問について、いろんな意見が飛び交っている。 感謝の気持ちを表現する人、謝罪がないことに対して憤慨する人、いろいろな人がいろいろ言ってるけど一定の評価はしたいという人、やっぱりどうにも評価できないという人。 メディアは繰り返し「歴史的」と伝えている。確かに、歴史的なことなのだろう。 広島の平和記念公園で「被爆者」を抱き寄せるシーンは、「感動的」なものだった。オバマ大統領の笑顔やその時々の表情の作り方や振る舞いは、常に「完璧」だった。ニュース番組なんかでオバマ演説を聞いた広島の被爆者の方々が「嬉しい」「やっと決着した」「ありがとうと言いたい」なんて言ってるのを聞くと、「よかったなー」と「いい話」にしてお茶でも飲んで「あーいいもん見た」って感じでそのまま終わりにしたくなってくる。だけど、「それでいいのか?」と、私の中の面倒な人が言ってるので、書きたい。 あの「感動的」なオバマ広

    加害の記憶、被害の記憶〜オバマ大統領広島訪問から考える〜の巻-雨宮処凛がゆく!-第378回
  • 沖縄戦被害・国家賠償訴訟 住民の訴え棄却 | 沖縄タイムス+プラス

    沖縄戦で身体・精神的被害を受けたとして、住民とその遺族79人が謝罪と1人あたり1100万円の損害賠償を国に求めた「沖縄戦被害・国家賠償訴訟」の判決が16日午後、那覇地裁(鈴木博裁判長)であった。鈴木裁判長は、住民ら原告の訴えを棄却した。

    沖縄戦被害・国家賠償訴訟 住民の訴え棄却 | 沖縄タイムス+プラス
  • フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS

    大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム

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  • 戦争に必要なのって、別に軍事的なものだけじゃないという問題〜最近いろいろ気になること〜の巻-雨宮処凛がゆく!-第367回

    「私たちは戦地に行くために船員になったのではない」「事実上の徴用だ」 船員たちが憤っている。 ご存知の通り、防衛省が民間の船員を予備自衛官として有事に活用する計画を進めていることに対してだ。既に民間船員21人を予備自衛官にする訓練費が来年度予算案に盛り込まれた。この背景にあるのは、やはり安保関連法だ。他国の紛争に自衛隊が出動できることになったわけだが、その際、民間の大型船を借りることとなる。が、海上自衛隊には、大型船を操舵できる人材が圧倒的に不足しているのだ。そのため、「民間船員を予備自衛官に」ということになったという経緯だ。 が、当の船員たちにとっては寝耳に水、たまったものではない。ということで1月29日、2万5000人の船員が加入する「全日海員組合」は「民間船員を予備自衛官補とすることに断固反対する声明」を発表。 「われわれ船員の声を全く無視した施策が政府の中で具体的に進められてきた

    戦争に必要なのって、別に軍事的なものだけじゃないという問題〜最近いろいろ気になること〜の巻-雨宮処凛がゆく!-第367回
  • 水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻-雨宮処凛がゆく!-第358回

    11月30日、漫画家の水木しげる氏が亡くなった。 その訃報に触れた時、「ああ、やっぱり会えなかったか…」としみじみ思った。 当は、今年の1月、水木氏に取材をすることになっていた。取材内容は、水木氏の戦争体験。マネージャーの方を通して人の快諾を頂き、日程も決まっていたものの、取材数日前、体調を崩されたとのことで話は流れてしまったのだ。高齢のため、大事をとりたいという旨の丁寧な連絡を頂き、残念だったが、出版の日も決まっていたので「水木氏への取材」は叶わぬ夢となってしまった。そのが、今年7月に出版した『14歳からの戦争のリアル』だ。書には、実際に戦争を経験した人として、俳人の金子兜太さんと女優の赤木春恵さんにご登場頂いている。 そんな水木氏の取材を巡るやり取りの中で、私の中に強く印象づけられた言葉がある。それは取材を快諾して頂いた際の、マネージャーさんからのメールの言葉。 高齢のため、長

    水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻-雨宮処凛がゆく!-第358回