【ソウル共同】韓国の文在寅大統領は27日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が4月の南北首脳会談に続いて「朝鮮半島の完全な非核化」の意思を明らかにしたと発表した。
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核兵器禁止条約の採択に貢献しノーベル平和賞を受賞した国際NGOのICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンは事務局長の来日に合わせて安倍総理大臣との面会を要請していましたが、政府から日程調整が難しいと返答があったことがわかり、核兵器廃絶に向けた議論の進展につなげてほしいと面会の実現に期待を寄せていた被爆者からも落胆の声が出ています。 核兵器の廃絶をめぐって日本は唯一の戦争被爆国として核保有国や核の傘のもとにある国々と非保有国との橋渡し役を果たすとする一方、核兵器禁止条約については現実的な核軍縮につながらないとして反対する立場を示しています。 フィン事務局長は「橋渡しをすると主張する日本の首相と核兵器禁止条約について意見交換をしたかった。次の機会に期待したい」と話しています。 また、広島の被爆者で日本被団協の箕牧智之代表理事は「今回は残念ですが、核兵器廃絶に向けた議論が進展するよう政府には今後もI
日本が国連総会に提出した「核兵器廃絶決議案」に対し、26日の第1委員会(軍縮・安全保障)で不満の声が相次いだ。昨年は109カ国だった共同提案国は、今回は約70カ国にとどまっており、27日午後(日本時間28日早朝)に予定される採決では賛成国が大きく減る可能性がある。 決議案は、被爆国の日本が1994年以来、毎年国連総会に提出。昨年は賛成167カ国(反対4)を集めるなど、多くの支持で採択されてきた。日本政府がこれまで核軍縮分野で存在感を発揮できたのは、毎年の決議案に対する支持国の多さが背景にあった。 ところが、今年の日本の決議案は、核兵器使用の非人道性を訴える表現を弱めるなど多くの修正が加えられた。7月に122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約にも言及していない。米国が提供する「核の傘」を理由に、日本が核禁条約に不賛同だからだ。 ブラジルは演説で核禁条約は…
日本政府は、核兵器禁止条約採択に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞の報を複雑な思いで受け止めている。核廃絶へ向けた意義を認める一方、核・ミサイルの脅威を高める北朝鮮に触れ「遠く離れた国と、現実の脅威と向き合っている我々とでは立場が違う」ととまどいを見せる外務省幹部も。首相官邸と同省は受賞決定を受けてのコメントを出さなかった。 核禁条約をめぐって、日本政府は「核兵器廃絶という目的は同じだが、アプローチが異なる」と不参加の立場をとってきた。同条約には核保有国が参加しておらず、非核保有国との間で溝を生じさせる原因になっているとの理由からだ。 安倍晋三首相は8月9日、原爆が投下された長崎市内で被爆者団体と面会後、記者団に核禁条約に参加しないことを問われ、「核兵器国と非核兵器国の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」と強調した。
1969年11月、米ホワイトハウスで会談する佐藤栄作首相(左)とニクソン米大統領。2人は沖縄返還に合意した(共同) 【ワシントン共同】日米両政府が沖縄の施政権返還で合意した1969年11月の首脳会談直前、当時の愛知揆一外相の意向を受けた外務省幹部がキッシンジャー米大統領補佐官に対し、返還後、非核三原則に背く有事の沖縄への核兵器再持ち込みに「異論はない」と外交ルートで公式に伝えていたことが13日、機密解除された米公文書で分かった。 佐藤栄作首相は外務省とは別に国際政治学者若泉敬氏を密使に立て独自に交渉、キッシンジャー氏との間で数日前、持ち込みを容認する密約を結ぶことで合意していた。愛知氏と外務省は密約を知らされていなかったが、返還交渉の決裂を懸念したとみられる。
安倍晋三首相(左)に要望書を手渡す被爆者5団体の代表者=長崎市内のホテルで2017年8月9日午後0時23分、矢頭智剛撮影 被爆者団体、安倍首相に 禁止条約に批准しない方針で 長崎への原爆投下から72年の「原爆の日」を迎えた9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。平和祈念式典後に長崎市内で安倍晋三首相と面談した被爆者団体代表は、核兵器禁止条約に日本政府が批准しない方針を示していることに強く憤った。 「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条…
広島は6日、被爆72年となる「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれ、広島市の松井一実(かずみ)市長が「平和宣言」を読み上げた。7月に採択された核兵器禁止条約の締結促進を目指し、日本政府に「核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めた。一方、安倍晋三首相は条約には言及しなかった。 安倍首相はあいさつで「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める」と語るにとどまった。式典後の会見では「核兵器国と非核兵器国の立場の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現をかえって遠ざける」結果になるとして、条約への署名・批准はしないと明言した。 式典には被爆者や遺族ら約5万人が参列。慰霊碑への献花に続き、原爆投下時刻の「午前8時15分」に、「平和の鐘」が鳴らされ、参列者が黙禱(もくとう)を捧げた。 北朝鮮の核の脅威が増す中
被爆から約8カ月後のカラー写真。旧広島瓦斯本社(中央)の右奥には旧燃料会館(現・レストハウス)、右端に旧本川国民学校も見える=原医研提供 1946年春ごろに広島原爆の爆心地から500メートル圏内を写したカラー写真が、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)で見つかった。写真は米軍病理学研究所(AFIP)から73年以降に返還された資料の一部で、原爆の威力を調べた米戦略爆撃調査団が撮影したとみられる。被爆から約8カ月後でも爆心地付近は焼け野原のままだが、バラックなどが確認できて少しずつ復興する様子がうかがえる。 当時、カラー写真の撮影技術があるのは米軍などに限られ、原医研は「被爆の実相が詳しく分かる貴重な資料」としている。
「ミスター赤ヘル」と呼ばれた元広島カープ監督の山本浩二さん(70)の兄、山本宏さん(79)=東京都江戸川区=が17日、地元の区民館で催された原爆犠牲者追悼式で自身の被爆体験を初めて証言した。「原爆の話は、家族の中で互いに禁句だった。浩二にも語ったことはない」。つらい幼少期を振り返った。 宏さんは国民学校2年生だった7歳のとき、爆心地から約2・5キロの広島市己斐町(現西区)の自宅近くで被爆した。「朝なのにほこりや煙で夜のようだった」。自宅にいた母や祖父母らは血まみれだった。 自身も後頭部や首をやけどし、腫れ上がっていた。数日後にはただれ、ウジ虫がうごめいて「筆舌に表せない痛さだった」。髪の毛が生えそろうまでには、4年もかかったという。 「当時通っていた学校の校庭を、訪ねる勇気はありません。七十数年たった今でも思い出したくない」。大きな穴をいくつも掘って薪を積み上げ、遺体を焼いていた場所だった
7日採択の核兵器禁止条約の全文は次の通り。 【前文】 本条約の締約国は、国連憲章の目的と原則の実現に貢献することを決意。 核兵器の使用によって引き起こされる破局的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識、全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である。 偶発や誤算あるいは意図に基づく核兵器の爆発を含め、核兵器が存在し続けることで生じる危険性に留意。こ… この記事は有料記事です。 残り6990文字(全文7200文字)
経済産業省と文部科学省、電気事業連合会の幹部らが、二〇〇六~一四年に高速増殖炉の実用化に向けて話し合った「五者協議会」の議事録が作成されていないことが、本紙が経産省に行った情報公開請求で分かった。協議会は開発体制や費用の分担のあり方などを原子力委員会に報告し、実証炉開発で重要な役割を担ってきた。会合は非公開で議事録もないため、核燃料サイクル政策の意思決定過程の一部が検証不可能な「ブラックボックス」になっていた。 協議会は、日本原子力研究開発機構が高速増殖原型炉「もんじゅ」と並行し、後継となる実証炉の研究を実用化につなげるため〇六年七月に設置された。経産、文科両省と電事連、日本電機工業会、原子力機構の幹部が出席し、事務局は資源エネルギー庁原子力政策課が務めた。 エネ庁によると、一四年までに八回の会合が開かれ、高速増殖炉のほか、サイクルに必要な新しい再処理工場のあり方なども話し合われた。エネ庁
国連総会第1委員会(軍縮)は27日、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を始めるとの決議を、123カ国の賛成多数で採択した。米ロ英仏などの核保有国や、米国の「核の傘」の下にある日本など38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。 年内に国連総会本会議で採択され、核兵器の法的な禁止をめぐる本格的な議論が初めて国連で行われることになるが、米国などは不参加を表明しており、状況しだいでは実効性を問われる可能性もある。 決議は、核兵器を禁止する法的措置を交渉する国連会議を2017年3月と6~7月に開催するように求める内容。メキシコやオーストリアなど核兵器の「非人道性」を訴える国々が提案し、推進してきた。 これに対し、米国は「第2次世界大戦後の安全保障体制を下支えしてきた長年の戦略的安定性を損ねかねない」などとして強い反対を表明し、自らが主導する北大西洋条約機構(NATO)の
オバマ大統領広島訪問について、いろんな意見が飛び交っている。 感謝の気持ちを表現する人、謝罪がないことに対して憤慨する人、いろいろな人がいろいろ言ってるけど一定の評価はしたいという人、やっぱりどうにも評価できないという人。 メディアは繰り返し「歴史的」と伝えている。確かに、歴史的なことなのだろう。 広島の平和記念公園で「被爆者」を抱き寄せるシーンは、「感動的」なものだった。オバマ大統領の笑顔やその時々の表情の作り方や振る舞いは、常に「完璧」だった。ニュース番組なんかでオバマ演説を聞いた広島の被爆者の方々が「嬉しい」「やっと決着した」「ありがとうと言いたい」なんて言ってるのを聞くと、「よかったなー」と「いい話」にしてお茶でも飲んで「あーいいもん見た」って感じでそのまま終わりにしたくなってくる。だけど、「それでいいのか?」と、私の中の面倒な人が言ってるので、書きたい。 あの「感動的」なオバマ広
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