レヴィナスにおける哲学と宗教 --レヴィナス「神と哲学」を読む (中山 元) レヴィナスにおいて、哲学と宗教がどのような関係にあるかを考えるには、『超越と知解可能性』の他に、この「神と哲学」が重要な位置をしめている。この論文は『観念に来れる神』に収められているものだが、まだ邦訳がないので、さまざまな問題を考えながら読んでみたいと思う。 ★存在論神学批判 一九七五年に発表されたこの論文は、アリストテレスを意識した「哲学しないためには、また哲学しなければならない」という文で始まっている。哲学の必要性を再確認するこの文章は、明らかにデリダのレヴィナス批判に呼応したものである。 デリダは「暴力の形而上学」の最後近くで、「一人のギリシア人」の言葉として、この「哲学しないとしても、やはり哲学しなければならない」というアリストテレスの『形而上学』の言葉を引用して、レヴィナスの「幻想」を批判した。デリダの
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