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レヴィナスに関するishikawa-kzのブックマーク (2)

  • 研究発表

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/14
    「、非暴力の中の暴力に敏感でありながら、暴力のエコノミーの中で最小限の暴力を選択せざるをえない二重拘束的な哲学の言説の状況に自覚的であること」
  • 本文

    レヴィナスにおける哲学と宗教 --レヴィナス「神と哲学」を読む (中山 元) レヴィナスにおいて、哲学と宗教がどのような関係にあるかを考えるには、『超越と知解可能性』の他に、この「神と哲学」が重要な位置をしめている。この論文は『観念に来れる神』に収められているものだが、まだ邦訳がないので、さまざまな問題を考えながら読んでみたいと思う。 ★存在論神学批判 一九七五年に発表されたこの論文は、アリストテレスを意識した「哲学しないためには、また哲学しなければならない」という文で始まっている。哲学の必要性を再確認するこの文章は、明らかにデリダのレヴィナス批判に呼応したものである。 デリダは「暴力の形而上学」の最後近くで、「一人のギリシア人」の言葉として、この「哲学しないとしても、やはり哲学しなければならない」というアリストテレスの『形而上学』の言葉を引用して、レヴィナスの「幻想」を批判した。デリダの

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/14
    「レヴィナスは哲学という営みも、この語り直すという行為の一つであると考える」
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