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労働と倫理に関するishikawa-kzのブックマーク (4)

  • http://162.teacup.com/sinopy/bbs/1189

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/01/04
    「日本社会をもっと人間的なものにするために、そして卒業生自身もより人間的な人生を送れるように、人材を社会に送り出すのであり、そのためにどのような進路が望ましいかを中心に考えるべき」
  • Guy Standing - tamuraの日々の雑感

    この前集めた論文のうち、Guy Standing, "Why Basic Income Is Needed for a Right to Work," Rutgers Journal of Law & Urban Policy, Vol. 2, No. 1, 2005を読む。どうやら、何とかという人への反論として書かれたものらしい。 生活の基的な保障として、「job」ではなくて、まっとうな「work」(それは彼によれば古代ギリシャにまで遡ることのできる考え方で、有償かどうかとは関係がない)への「権利」を保障するために、ベーシック・インカムが重要なのだ、という話。悪条件で強いられる「job」への短期的な選択を強いられるのではなく、ベーシック・インカムによって、長期的な視座で「work」を選択できるようにするべきだ、とも。 ちなみに、ガイ・スタンディング氏は、3月下旬に来日・講演予定です。ま

    Guy Standing - tamuraの日々の雑感
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    ishikawa-kz 2009/10/02
    「悪条件で強いられる「job」への短期的な選択を強いられるのではなく、ベーシック・インカムによって、長期的な視座で「work」を選択できるようにするべきだ」
  • 社会参加臨床 メモ - Freezing Point

    カテゴリー当事者ではなくて、プロセス当事者をしなければならない。 カテゴリー当事者という方法は、人権運動や女性運動で取り組まれてきた。 しかしそれだけでは、そもそもカテゴリーで人を分けることそのものの弊害を論じられない*1。 カテゴリーではなく、分析プロセスが、権利を主張しなければならない。(とはいえ、そんな法概念があり得るだろうか) 人や作品について、「ハイカルチャーか、サブカルチャーか」 「マジョリティか、マイノリティか」 「強者か、弱者か」etc... という分類は、それ自体がイデオロギーになってしまう。 大事な分類は、「自分の生きている関係性を素材化できているか」――そこにしかない*2。 外部から誰かや何かを論じるときにも、「加害/被害」を、安易なカテゴリー化に落とし込まない。 関係性の《素材化=プロセス化》は、実験動物のように「一方的に観察される」ことではない。 自分と他者とを同

    社会参加臨床 メモ - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/09/14
    「そもそもその論じようとする作業自体のフォーマットを組まなければならない、それをこそ主題化している(なぜなら、社会順応そのものが問題なのですから)。」
  • http://unkar.jp/read/money6.2ch.net/recruit/1210208923

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/08
    これはほんまかどうか別にして興味深い。
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