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排除とsocietyに関するishikawa-kzのブックマーク (4)

  • 洗脳されたまま反復する日常 - Freezing Point

    社会参加に関して、実務と理論がある。 ただしひきこもる人も、その状態のままですでに実務に参加している(参加していなければ生きていない)。 ところが、意識だけがその参加状況を黙殺していたら…? これは、ひきこもる人だけの問題ではない。 「参加している状況」は、なかなか反省的に吟味されない。 「その方針だと、破滅するしかないし、周囲が大変迷惑している(少なくともそう主張している)」、にもかかわらず人が主観的態勢を変えることができない、変えるつもりもないらしい、また周囲はそれを変える能力を持っていない。 人はあるカルト的態勢にあり、周囲はそれを軌道修正する能力をもたない。 カルトとスピリチュアリティ―現代日における「救い」と「癒し」のゆくえ (叢書・現代社会のフロンティア) 作者: 櫻井義秀出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2009/01/01メディア: 単行購入: 4人 クリ

    洗脳されたまま反復する日常 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/15
    「 むしろ、「すでに全員が洗脳されている、それを前提にした上でどうするか」という発想が要る。」ネクタイは私も儀式服みたいに見えました。朝のニュースが大本営発表のような洗脳放送だなと思ったこともあります
  • 破綻と制度 - Freezing Point

    治『いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)』Pp.210-216 「個性を伸ばす教育」と言う人の多くは、「個性」というものを誤解している。 「個性」とは、そもそも「哀しいもの」で、そんなにいいものではないのである。 (略) そこそこに平均的で特徴がない――そのような形で一般性に覆われてしまった人間が個性を目指したって、無理である。 「ここまで出来たんだから、その先にある“個性”も」と思ったって、個性は、「その先」に崖から転落して、そうして負った傷からしか生まれないのである。 個性の門口は、「破綻」という形でしか訪れてくれない。 その破綻によってできた傷の痛みに堪える力のない者は、「個性」なんか目指さない方がいいのである。 一般的な達成を得てしまった人間は、一ぺんその達成をぶち壊さなければ、「個性」への道を辿れない。 そんなことはムチャだから、やめた方がいいのである。 ぶち壊しのあとに

    破綻と制度 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/03/10
    ガタリ: 制度の中で働く、働かないなんて選択できませんよ。 制度の中で働かない? それはどんなことを意味するのですか?
  • 『排除型社会』を読む — 旧メイン・ブログ | Baldanders.info

    いやぁ, たかだか500頁ほどの内容を読むのに3ヶ月もかかってしまった。 といっても, 実際には通勤の行き帰りとか, 休日(の PSU に飽きたとき)とかにちょっとづつ読み進めてたので時間がかかっちゃったんだけど, それ以外にも読んでる途中で考え込むことが多くって。 私にとってはレッシグ教授の 『CODE』 以来のインパクトかもしれない。 (そういや, まだ 2.0 を買ってないや) このを読むことになったもともとのきっかけは, 宮台真司さんが例の秋葉原通り魔事件のコメントとして 「最大の問題は社会的包摂性で、これは格差に還元できない社会的相続財産の問題です。」 と書かれていたことである。 そこで宮台真司さんの言説を追うんじゃなくて, 社会的包摂に関する EU の取り組みとかを追いかけはじめて, このに辿り着いちゃうんだから, 我ながら変な奴である。 当はここから感想を長々と書いてい

    『排除型社会』を読む — 旧メイン・ブログ | Baldanders.info
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/03/09
    ジョック・ヤング「排除型社会」「私が本書のあちこちで強調しているように、社会から排除されていると感じている(そして相対的剥奪感をもっとも強く感じている)人々の多くは、仕事に就いている人々なのである。」
  • 「中間集団の再検証」という大義 - Freezing Point

    映画『スミス都へ行く [DVD] FRT-207』 教養のつもりで観はじめたが、感動もしたし、いろいろ考えた。 (以下、ネタバレ注意) 発言者として幅を利かせている人は右も左も私的利害の確保で終わっている。 ある人が集める支持は、思想が正しいからというより、その人を支持したほうが都合がいいと考えるエゴイストが多いからだったりする。 社会生活は、事情が見えれば見えるほど人間不信が強まる。 ・・・・と、こんなことは上の世代がさんざん言ってきたことで、自分で書いてみてもその陳腐さに驚くが、当にその通りで、しかもこの映画が作られたのは1939年。 10年前の私なら、「人物や筋書きが類型的すぎる」と古さしか感じなかったと思うが、今はスミスの屈辱に身体的な痛みがある。 何も変わらないで、70年がたった。 映画そのものの筋書きとは別に、「では自分はこれからどうするか」が鋭く問われる。 私は、次のような

    「中間集団の再検証」という大義 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/03/08
    「では自分はこれからどうするか」
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