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研究と人物に関するishikawa-kzのブックマーク (4)

  • 慶應義塾大学出版会|ウェブでしか読めない西脇順三郎| 回想の西脇順三郎

    わたくし達は第二次大戦後に、西脇先生から教えをうけた世代に属するが、それでも、昭和初年に、帰朝直後の西脇先生から教えをうけた人たちの感じたであろう新鮮な衝撃は、充分に理解することができる。 かつて西脇先生は、ある戦後の文章のなかで、いかに汲々として英語の韻律法を暗記し、ウォルター・ペイターの蜿々たる美文を範として真似し、これらを典範としてイギリスに行ったところ、彼の地では、いまや文学の風土はがらりと変わっており、韻律法もペイターも、何の価値もないものとされるに至っていることを知り、「痛ましいばかりに落胆」された次第を、乾いた筆致で見事に描破されたことがあった。 久しきにわたるロマン主義の支配から、欧米は自然主義の時代を経過して、そのあと、ダダイズム、未来派、シュルレアリスムをくぐりぬけ、総じて、主知主義的傾向に向かおうとする時代――おそらく、イギリス文学が、最後の世界主導権を発揮しえた最も

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/12/20
    「〈モダ二ズム〉は人間の尊厳を徹底的に笑い、それにより、人間を、いっそう強固なものにしようとした。」
  • ライト・ミルズ - Wikipedia

    チャールズ・ライト・ミルズ(Charles Wright Mills、1916年8月28日 - 1962年3月20日)は、アメリカの社会学者。 経歴[編集] 1916年、テキサス州生まれ。1941年、ウィスコンシン大学で博士号を取得、メリーランド大学準教授となる。第二次世界大戦後の1946年から没年まで、コロンビア大学教授を務めた。 研究内容・業績[編集] 出世作『ホワイト・カラー』では、新中間層が増加した理由を述べ、さらにその政治的無関心を指摘した。続く『パワー・エリート』ではアメリカ社会の支配構造を分析し、激しく糾弾した。ミルズにはマルクス主義への接近もみられたものの、急逝のため、理論的な統合は実現しなかった。 パワー・エリート[編集] パワー・エリートとはアメリカ社会の政策決定に対し、独占的な影響力を行使できるとされる権力層のことである。そうしたパワーエリートは、政治・経済・軍事の各

    ライト・ミルズ - Wikipedia
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/11
    ライト・ミルズ
  • 川喜田愛郎(かわきた よしお)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    1909-1996 昭和-平成時代のウイルス学者。 明治42年1月29日生まれ。東大助教授をへて,昭和24年千葉大教授となり,43年学長。日脳炎の研究などのほか,医学史研究にも力をそそぎ,医の倫理についても問題を提起。「近代医学の史的基盤」で54年学士院賞。平成8年12月6日死去。87歳。東京出身。東京帝大卒。著作はほかに「生物と無生物の間」「病気とは何か」など。

    川喜田愛郎(かわきた よしお)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • 川喜田二郎 - Wikipedia

    川喜田 二郎(かわきた じろう、1920年(大正9年)5月11日 - 2009年(平成21年)7月8日)は、日の地理学者、文化人類学者。 来歴[編集] 三重県出身。京都帝国大学文学部地理学科卒業。文学士。東京工業大学教授を経て川喜田研究所代表、筑波大学教授、中部大学教授、東京工業大学名誉教授。元日ネパール協会会長。財団法人・日エスペラント学会顧問。実父は、「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれる川喜田半泥子[1]で、兄は銀行家の川喜田壮太郎(異母)、実姉の澄子は民族学者岡正雄の。[要出典] 人物[編集] 中学生の頃より、先輩の今西錦司と山歩きに没頭。京都帝大時代は山岳部に入部し、今西錦司、森下正明、梅棹忠夫、吉良竜夫らと共に探検隊を結成しカロリン諸島や大興安嶺山脈を探検。大阪市立大学の助教授時代からはネパールを研究フィールドとするようになった。 生態学的な人文地理学を研究し、今西の生態

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/11
    「中華人民共和国のチベット侵略に際し、抗議の論陣を張り、頑として訪中しない方針を貫いた。」チベット通のため「チベット二郎」と呼ばれてたらしい。
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