「原発事故が起こったとき、それまで縁もゆかりもない福島なのに気になって仕方がなかった。まるで自分の娘たちがそこに住んでいるように思われ、飛んでいって何が起きているのか自分の目で確かめたかった」と野原さんは振り返る。結局、この想いがヤマトシジミにのめり込んだ理由なのだという。 事故後すぐに、ヤマトシジミで色模様の発生生理学的メカニズムなどを研究していた琉球大学の大瀧丈二准教授に「原発事故のチョウへの影響の研究」を提案し、他の院生とともに研究グループを結成して取り組んだ。 野原さんは、もともと理学畑の人ではない。それどころか、官庁の監査を行う「公監査」を愛知大学准教授として教えていた。その後、環境問題に方向転換して沖縄に移住。その矢先に3・11が起こった。 最初の研究結果の概要は以下の点だ。まず原発事故後2カ月目の2011年5月、サンプリングで得た福島市と本宮市の被曝1世のオスの翅(はね)の大