大英帝国史上、最大の悲劇と言われたシンガポールの陥落。日本軍が電光石火のごとく驚異的なスピードで成し遂げた作戦成功の裏には、英国が驚愕した完璧な諜報活動があった。 ※本稿は、岡部伸著『第二次大戦、諜報戦秘史』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。 イギリスが驚愕した日本軍の諜報活動 ウィンストン・チャーチルといえば、イギリスでは「歴史上で最も偉大な人物」と尊敬される名宰相だ。そのチャーチルが生涯悔恨し続けたのが、「東洋のジブラルタル」と称され、難攻不落の要塞と謳われたシンガポールの陥落である。 1941年12月8日未明、ハワイの真珠湾攻撃に先立つ1時間以上前に、マレー半島北端のコタバルに奇襲上陸した日本軍は、わずか55日間で半島南端のジョホールバル市まで到達。開戦からわずか70日間でシンガポールを陥落させた。マレー(馬来)作戦である。 イギリスを完膚なきまでに打ちのめした日本のマレー