香港の街頭で「香港に栄光あれ」を奏でる李解新氏=2022年12月(藤本欣也撮影)2年前、香港に出張したときのことだ。街頭で二胡の演奏をする男性がいた。懐かしい調べだった。 曲名は「香港に栄光あれ」。2019年の反香港政府・反中国共産党デモの際、市民たちが声を張り上げて歌った歌である。 《夜明けが来た 香港を取り戻そう…私たちの時代の革命だ 民主と自由が朽ちないように…》
23日、台北市で行われた香港を支援するデモに参加する李孟居氏(右)台北市中心部の繁華街、西門町で23日午後、香港で同日施行された、スパイ活動などの防止を目的とする国家安全条例に抗議するデモが行われた。台湾在住の香港人らを中心に約100人が参加した。「悪法を非難する」などと力強いシュプレヒコールをあげる人の中に、51歳の台湾人男性、李孟居氏の姿があった。 「私の身に起こった悲劇を二度と繰り返さないために、今は声を上げなければならない」と語った李氏は2019年夏、いわれのない罪で中国当局に拘束され、約4年間、台湾に戻ることができなかった。 台湾北部、新竹市出身の李氏は中国当局に拘束されるまで、台湾のハイテク企業の幹部として香港に駐在していた。中国側の顧客と打ち合わせをするため、毎週のように隣接する広東省深圳(しんせん)市に出張していた。19年8月20日、いつもと同じように深圳を訪れたが、入境時
香港立法会(議会)でスパイ活動などを取り締まる国家安全条例案が可決され、23日に施行された。2020年に中国政府が導入した香港国家安全維持法(国安法)を補完するもので、外国人や外国組織・企業を標的にしている。 岸田文雄政権は、中国本土で邦人が不当に拘束され続けている状況を香港で繰り返さないよう対策を講じるべきである。 1997年に英国から中国に返還された香港では2047年までの50年間、中国の共産主義体制下にあっても資本主義制度の存続が認められた。中国返還後も香港が「アジアの金融センター」としての輝きを保つことができたのは、この「一国二制度」が機能していたからだ。 しかし香港の李家超行政長官は国家の安全、つまり「一国」を優先する国安条例の制定を強行した。李氏は条例案可決後、今後は経済発展に力を尽くすと表明したが、「二制度」が形骸化した香港にヒトやカネが集まると考えているのだろうか。 米国務
【読売新聞】 香港の返還後も高度な自治を50年間保障するという「一国二制度」の国際約束は、完全に 反故 ( ほご ) にされたと言えよう。 習近平政権は、自らの強権的な統治が中国の信用を損ねていることを自覚すべきではないか。 香港の
日本語が堪能な香港の民主活動家として知られ、カナダに事実上亡命していた周庭(アグネス・チョウ)氏(27)が香港警察に指名手配された。 自由を求めてカナダにとどまり、香港に戻らないことを決めた周氏への報復である。 今後、周氏の安全が脅かされることがないよう国際社会は中国と香港政府への監視を強めなければならない。 周氏は2020年8月に香港国家安全維持法(国安法)違反の容疑で逮捕された。その後、保釈されたが、条件として警察に定期的に出頭する義務などを課せられていた。昨年9月、留学のためカナダに渡航した周氏は出頭日の12月28日、香港に戻らなかった。「香港に戻れば二度と出られなくなるかもしれない」という恐れからだった。 そんな周氏に、香港警察は指名手配を強行し「自首しなければ一生追われることになる」と脅迫した。「自由に生きたい」という周氏の基本的人権を踏みにじるその言動は、背後で香港政府を操る中
中国政府に批判的な香港紙として知られた蘋果(ひんか)日報(アップルデイリー)の創業者で、香港国家安全維持法(国安法)違反の罪で起訴された黎智英(れいちえい)(ジミー・ライ)氏の審理が本格化した。 香港民主化運動(2019~20年)の弾圧を象徴する裁判である。 香港は高度な自治を保障された「一国二制度」のはずで、報道の自由が認められていなければならない。それらを奪う国安法が、中国の習近平政権の主導で制定され、運用されていること自体、決して許されない。黎氏の起訴も、裁判も到底容認できないと、国際社会は声を上げるべきだ。 黎氏が問われているのは、国安法で規定された「外国または域外勢力と結託し国家の安全に危害を加える罪」2件と、刑事罪行条例違反の罪(扇動出版物発行などの共謀罪)である。 いずれも、報道の自由を攻撃する香港当局と、その背後にいる中国政府の姿勢を反映している。黎氏が起訴内容の全てを否認
一国二制度のもと、司法の独立や言論の自由などが認められていた香港。その自由を守るために闘い、「民主化の女神」と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)のトロント留学と“事実上の亡命”が大きな話題を呼んでいる。 ’14年の雨傘運動、’19年の民主化デモで香港の問題を世界に訴え続けた彼女は、’19年8月にデモを扇動した容疑で逮捕され、’20年12月に収監。その裁判のさなかの’20年8月には、民主化運動を潰すために中国政府が施行させた「国家安全維持法」(国安法)違反容疑でも逮捕された。 以降3年間、口をつぐんできた彼女はなぜ再び表舞台に出てきたのか? 周庭の肉声を届ける。 ――なぜ突然「香港に戻らない」と宣言したのか? 周庭:まずは香港の現状を知ってもらいたいと思ったから。中国政府の意向を受けて’20年に施行された国安法により、香港では自由に発言することもできなくなった。民主化を求めるだけで、国や政権を
香港の裁判所が、日本留学中に「香港独立」を支持する内容を交流サイト(SNS)に投稿した香港人女性(23)に対し、刑事罪行条例違反(扇動の意図を有する行為)罪で禁錮2月の実刑判決を言い渡した。 2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行後、香港では言論の自由が奪われてきた。その中で、海外での言論活動も容赦しない当局の意向を反映した不当な判決だ。国家安全に関する言論統制を進める中国の習近平政権を意識した判決といわざるを得ない。 この女性は18年から日本に留学し、同年以降、フェイスブックなどに投稿した13件の文章や写真が問題視された。19年に香港で続発した反政府デモのスローガン「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 私たちの時代の革命だ)や、「香港独立が唯一の道」「テロ組織共産党」などの文言が含まれていた。 19年当時、香港の反政府デモを支持した海外在住者は多い。ネット上にデモのスローガンなど
香港の小中学校や高校で最近、「習近平国家主席の手紙を学習する運動」という名の愛国主義キャンペーンが展開されている。中国の歴史や文化への理解を深め、愛国心を一層強化することが目的だ。「共産党が支配する中国は素晴らしい」という青少年に対する洗脳教育を通じて、数年前の反中デモの再来を未然に防ぐことが狙いのようだ。 6月、香港にある中高一貫の名門校、培僑高校の1年生の生徒たちが授業の一環として習近平国家主席に手紙を出したことがきっかけだった。生徒たちは手紙の中で近年、中国の経済発展と社会の安定を絶賛した上で「祖国はすでに強盛になったことを誇りに思う。私たちは引き続き、香港をさらに繁栄させていきたい」との決意を表明した。 数週間後、同校に習氏が自ら書いた返信が届いた。200字余りの短い内容で、「何千冊もの本を読み、何千キロもの距離を旅して、祖国の歴史、文化、現状を深く理解し、学業を積み重ね、愛国心を
香港で今、権力によって抹殺されようとしている歌がある。2019年に起きた反香港政府・反中国共産党デモのテーマソング「香港に栄光あれ」だ。 香港人の音楽家が作曲し、歌詞はデモ参加者たちの意見も取り入れて作られた。もともとは広東語の楽曲だが、英語や日本語など各国語にも翻訳され、ネットで公開されている。 《夜明けが来た 香港を取り戻そう…私たちの時代の革命だ 民主と自由が朽ちないように 香港に栄光あれ》 街頭やショッピングモールで普通選挙の導入などを求め、市民たちは自らを鼓舞するように歌った。香港の〝国歌〟のようにとらえる若者も多かった。 しかし、20年6月に香港国家安全維持法(国安法)が施行されるや「香港独立」の歌とみなされ、受難の時代に入った。 軍政下の禁止曲時の権力に演奏や放送などを禁じられた歌は少なくない。私が外国でそんな歌に最初に出合ったのは韓国だ。 留学のため渡韓したのは1988年初
中国への返還26年を記念する式典で掲げられた中国国旗と香港特別行政区の区旗=7月1日、香港(ロイター)読者からの声をもとに、評論家の石平さんに中国に関する質問をぶつけます。香港での反政府・反中デモを封じ込めるために中国の習近平政権が制定した香港国家安全維持法(国安法)の施行から3年がたちました。香港社会の底流にどのような変化が起きているのか、分析を聞きました。中国の社会や政治、歴史などに関するご質問をoshiete@sankei.co.jpまでお寄せください。 --香港では国安法施行により、言論や集会の自由が事実上消滅しました。「中国式統治」は香港社会や経済にどのような影響を与えていますか まず、香港全体でオフィスビルの空室率が顕著に上昇しています。米ブルームバーグ通信によると、中心部にある「長江集団中心写字楼(長江センターオフィスビル)」の空室率は25%という衝撃的な数字です。この記事が
日本に逃れた香港の民主活動家、葉錦龍氏=27日、東京都内(飯田英男撮影)香港に高度な自治を認めてきた「一国二制度」を有名無実化した香港国家安全維持法(国安法)の施行から30日で3年となる。2019年に大規模化した香港民主化運動や反政府・反中国共産党デモを弾圧するため、習近平政権によって強引に導入された。以後、自由と民主はどのように奪われていったのか。変わりゆく香港を目の当たりにし、昨秋、日本に拠点を移した民主活動家の証言を基に、暗黒時代に入った香港の3年を追う。 <葉錦龍(サム・イップ)氏、香港生まれの35歳。インターネット番組のパーソナリティーとして人気を博した後、14年の香港民主化運動「雨傘運動」に参加。19年の区議会(地方議会)選で当選し、民主派組織の連合体「民間人権陣線」の副代表も務めた。ゲームやアニメなどで学んだ日本語を流暢(りゅうちょう)に操る> --20年6月30日に国安法が
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