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使用できなくなった香港中文大の掲示板。デモのスローガンは一掃された(藤本欣也撮影)中国国家主席の習近平は昨年12月22日、北京で香港政府トップの行政長官、林鄭月娥(りんてい・げつが)と会談した。彼女から昨年1年間の定例報告を受けるこの場で、習の表情はいつになく険しかった。 ただ、会談の模様を伝えるニュース映像には、習が一瞬だけ、ニヤリとした場面がある。林鄭を見ながらこう評価したときだ。 「(香港の)社会は、安定を保った-」
昨年9月1日、香港の中学校で新学期の初日に行われた中国国旗の掲揚式(ロイター)2021年12月13日は、中国共産党の歴史観が香港の子供たちに叩(たた)き込まれた日だ。 「84年前のきょう、南京が日本軍に攻め落とされました。南京では30万人もの中国の同胞が虐殺されたのです-」 香港政府は昨年、「南京大虐殺」の追悼活動を小学校、中学校(中学・高校に相当)に指示。各校は、中国で追悼式典が行われる同日に合わせ、特別授業を実施した。初めてのことだ。
鎖で門が閉じられた蘋果日報本社ビル(藤本欣也撮影)香港・新界地区南東部の新興住宅街の外れに、かつて中国への批判的な報道で知られた大手紙、蘋果(リンゴ)日報の本社ビルが残っている。 昨年のクリスマスに訪れると、正門には鎖がかけられていた。黄色い小さなリボンが1つ、踏みつけられて、地面にへばりついている。苦境に立たされた蘋果日報への連帯の意を示そうと、市民が門などにたくさん付けていたものだ。 700人を超す記者らが働いていたビルにはもう誰もいない。美味なローストグースで知られた食堂からも物音ひとつ聞こえてこない。寒々としたその光景は、葬り去られた〝自由〟の墓場のようでもあった。
香港の「報道の自由」の牙城が崩れ落ちようとしていた昨年6月23日夜のことだ。最後の紙面の編集作業を行う大手紙、蘋果(ひんか)日報の本社ビル前に、市民数百人が集まっていた。 中国本土で生まれた鄭強(仮名、30代)も、その一人。涙が止まらなかった。彼にとって「自由」のシンボルだった蘋果日報のビルが、まるで炎に包まれているように見えた。 実は、鄭も蘋果日報で働いたことがある。中国当局から「スパイになれ」と迫られた敏腕記者だった。
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