令和2年4月に初めて緊急事態宣言が出たことを受け、休場した「なんばグランド花月」。お笑いの殿堂から、人々の笑い声が消えた=令和2年4月11日、大阪市中央区(渡辺恭晃撮影)5月に新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが2類相当から5類になった。マスクをしている人も徐々に減る中で、コロナ禍が始まった頃の忘れてはいけない記憶が、こぼれ落ちていきそうな感覚を抱いている。 思い返せば感染拡大が始まった3年前の春以降、各地の劇場は休館と再開の繰り返しを余儀なくされた。不要不急という言葉を前に、音楽や演劇、伝統芸能、お笑い、落語などが上演機会を失う姿を数多く目の当たりにした。感染拡大を防ぐため必要な措置だったとは思う。 しかし、そもそも劇場は不要不急の存在なのか-。街の情景が以前の姿に戻りつつある今、改めて取材で掬(すく)った劇場に生きる人々の言葉を顧みながら、その問いへの答えを見つけてみようと思う。