タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

文化と沖縄に関するkanoetatsuのブックマーク (4)

  • 【リトル沖縄 大正区の50年】(下)「ちむどんどん」で大好物 食材満載の商店街

    沢志商店で沖縄の物産を販売する知名初美さん。琉球舞踊の名取でもある=大阪市大正区(渡辺大樹撮影)住民の約2割が沖縄出身者とされる大阪市大正区で、沖縄の雰囲気が色濃く残るのが「平尾通商店街」(通称サンクス平尾)だ。アーケードの天井には「めんそーれ(いらっしゃい)」の文字や沖縄のシンボル・首里城が書かれた横断幕が掲げられ、店先のシーサー(魔よけの獣像)をあしらった垂れ幕など、リトル沖縄を最も感じられる場所だ。物産だけでなく、沖縄の芸能の発信拠点にもなっている。 同商店街は、昭和36年に設立の「南恩(なんおん)銀座商店会」(51年に平尾中央通商店会と改名)と39年に設立の「南恩銀座通商店会」(51年に平尾銀座通商店会と改名)が合併して57年に誕生した。 シーサーなどを描いたシャッターアートが目立つ中、明るい雰囲気を感じられるのが沖縄品専門の「沢志商店」だ。沖縄そば、ラフティー(豚肉の角煮

    【リトル沖縄 大正区の50年】(下)「ちむどんどん」で大好物 食材満載の商店街
  • 【リトル沖縄 大正区の50年】(中)2万人が集う「エイサー」 本土と世代をつなぐ踊り

    関西沖縄文庫を主宰する金城馨さん=大阪市大正区(渡辺大樹撮影)大阪市大正区には、「ウチナーンチュ」(沖縄の人)同士や「ヤマトンチュ」(土の人)が出会い、交わる空間がある。戦後、両親とともに移住した金城馨さん(69)が昭和60年に私設図書館として設立した「関西沖縄文庫」だ。 収集してきた沖縄関連の書籍や映像など約1万点を所蔵。書籍など資料の貸し出しや販売だけでなく、三線(さんしん)(ヘビの皮を胴に張った三弦の楽器)の教室や音楽ライブなど、沖縄文化を発信する拠点にもなっている。 「書籍などを通して自分たちのルーツなどを知ることで、沖縄出身者であることを意識し、大正区から沖縄をみつめてもらおうと開設した」と金城さん。自身も沖縄人としてのアイデンティティーを確立するため、多くの沖縄関連書籍にふれてきた。 金城さんは、コザ市(現沖縄市)生まれ。1歳のときに米国統治下の沖縄から両親と兵庫県尼崎市へ移

    【リトル沖縄 大正区の50年】(中)2万人が集う「エイサー」 本土と世代をつなぐ踊り
  • 【リトル沖縄 大正区の50年】(上)ウチナーンチュの誇り 大阪で語り継ぎ

    土復帰50年を記念するイベントで披露された琉球舞踊=5月15日、大阪市の大正区民ホール (高橋義春撮影)「リトル沖縄」。大阪市大正区はこう呼ばれる。区民約6万人のうち、約4分の1が沖縄にルーツをもつとされ、琉球舞踊の稽古場や琉球空手の道場、沖縄の特産品を扱う店が立ち並ぶ。沖縄の土復帰50年を迎えた今年は「大正区の沖縄」にとっても新たな節目だ。いかに伝統を紡ぎ、地域を作ってきたか、リトル沖縄の今をみる。 JR大阪環状線大正駅のホームに降り立つと、はねるような軽やかな旋律の発車メロディーが流れる。沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」。「てぃんさぐ」とはホウセンカのこと。「ホウセンカの花は爪先に染め、親の言うことは心に染めなさい」との趣旨を歌いあげる。先人の思いや教えを受け継いできた沖縄県人の誇りが込められているかのようだ。 大正区と沖縄のつながりは、第1次大戦後の大正時代中期にさかのぼる。 当時、沖

    【リトル沖縄 大正区の50年】(上)ウチナーンチュの誇り 大阪で語り継ぎ
  • 【クリップ!】沖縄復帰50年、家族の物語 黒島結菜

    沖縄が昭和47年に土復帰を果たしてから今年で50年。節目の年に、沖縄を舞台にした作品「ちむどんどん」が始まる。ヒロイン役を担うのは、沖縄出身の若手実力派俳優だ。 「朝ドラで地元の沖縄の話ができて、しかもヒロイン。この3つが合わさったのは特別なことですし、うれしいです」 序盤の主な舞台は沖縄島北部「やんばる地域」。土復帰前の昭和39年から物語は始まる。演じるのはサトウキビ農家を営む比嘉(ひが)家の4人兄妹の次女、暢子(のぶこ)。世界中のおいしいものを全部べたいと思っている、「いつも明るくて前向きな子」だ。「普段の自分はあまり感情を出さないので、いい意味で役から影響を受けている」という。 沖縄そばにジーマミー豆腐、ラフテー(豚の角煮)…。劇中で暢子がべる沖縄料理はどれも魅力的でおいしそう事の場面の演技でとりわけ大切にしているのは、「おいしいものをおいしくべる。遠慮せずにやる」こ

    【クリップ!】沖縄復帰50年、家族の物語 黒島結菜
  • 1