38年前、神奈川県警捜査1課員だった元刑事は、死を覚悟した。38歳のときである。 昭和60年3月。旧三菱銀行横浜支店に拳銃を持つ男2人が、行員らを人質に立てこもった。彼は「先頭で突入せよ」、ただし「丸腰で」と命じられた。行内が狭く、「銃撃戦になれば跳弾が人質を殺傷する恐れがあるから」と説明された。 「ああ、俺はここで死ぬんだな、と」。親の顔が浮かんだ。 彼に限らず刑事の多くは「道具(銃の隠語)の立てこもりほど嫌なものはない」と言う。 先月、埼玉県で郵便局に拳銃を持つ86歳の男が職員2人を人質に立てこもった。警察は8時間後に突入し、男を逮捕。人質は無事だった。警察首脳部は胸をなでおろしたことだろう。 銃の立てこもりは怖い。刃物も怖いが、銃はそれ以上だ。 トラウマ銃の籠城(ろうじょう)犯制圧の難しさを突き付けた起点が昭和45年、広島の定期旅客船「ぷりんす号」シージャックだ。日本警察が初めて犯人
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