≪オバマ来日と井上成美の言葉≫ 「アメリカがよくあれまで我慢したものだと思う。資金の凍結や油の禁輸などは窮余の策で、まだまだおとなしい方だ。日本のやり方は傍若無人と云うの外はない」 井上成美(しげよし)は、戦前、日独伊三国同盟の締結や日米開戦への動きには頑強な抵抗を示し、米内光政や山本五十六と並んで、「海軍左派三羽烏」と称された。井上は、戦時中には海軍兵学校校長、海軍次官を務め、帝国海軍最後の大将に昇進した。井上は、海軍兵学校校長在任時、英語が敵性語として扱われた時節に兵学校での英語教育の続行を指示した。 前に触れたのは、戦後、昭和30年代後半に、井上が日米開戦に至る過程を回顧して語った言葉の一節である。1940年9月の北部仏印進駐から翌年7月の南部仏印進駐を経て日米開戦に至る過程に関して、一つの解釈は、米国が資産凍結、石油・屑(くず)鉄禁輸といった様々な対日圧力を加え、それが日本を真珠湾