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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (9)

  • 新自由主義はなぜ支持されたのか - 狂童日報

    特に「派遣切り」の問題以降、2000年代の「小泉改革」が「新自由主義」「市場原理主義」などとして厳しく批判されるようになっているが(その一方でその中心メンバーたちの社会的地位は基的に安泰のままなのだが)、そこまで「間違った」政策が大きく批判されてこなかったのは、いったいどうしてなのだろうか。そろそろ、そもそもこうした「アメリカモデル」の「規制緩和」政策がなぜ支持されてしまったかの、政治的な流れを振り返っておく必要もあるだろう。結論的に言えば、それは「新自由主義」の勢力だけが強まったというのではなく、その周辺に多種多様なシンパサイザーが存在していたからである。どういう勢力かを、ノートして簡単にまとめておく。 (1)軍事主義派 外交・軍事を中心に政治を考える人たち。だから「親米派」以外の選択肢が事実上ない。経済については基的に無知・無関心で、結果的にアメリカ的な新自由主義を支持。とくに20

    新自由主義はなぜ支持されたのか - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2009/01/17
    新自由「主義」という言葉に違和感が/主義主張以前の「空気」が大部分のような気が
  • yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報

    ネット上のヘイトスピーチというと「2ちゃんねる」が有名だが、あきらかにそれ以上にひどいところがある。それはyahoo!ニュースのコメント欄だ。この欄のコメントの偏見の凄まじさにはときどきびっくりさせられる。 例えば先日の総務省の坂政務官の「派遣村」に対する「働く気があるのか」という、失言というよりも「暴言」としか言いようのない発言について、そのコメントが途方もなくひどい。「派遣村に集まったヤツだけ見てれば、あの発言は仕方ないだろうな」とか、「この派遣村だって露骨に政権与党批判のために集まってるじゃねーか」とか、「一般人はみんな必死で仕事してるんです。公園でタバコすってたむろして,9条がどうしたの旗掲げてるやつら,まさに”まじめに働こうとしていない”やつらばかり」などといったものだ。国籍法改正のときもとんでもないひどさだったが、ネット上とはいえ、ここまで露骨なヘイトスピーチは日ではありえ

    yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2009/01/07
    長い長い戦後が終わったら戦前のリピートが始まった
  • 自己責任論 - 狂童日報

    「自己責任論」再浮上 韓国政府、拉致被害者らに費用請求検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070831-00000904-san-int かつて日でも散々話題になったが、これは一体全体「自己責任」なのか。実は日では、あまり議論が詰められることなく終わってしまったのではないかと思うが、また起こる可能性の十分にある問題である。 私の結論は「まったく自己責任ではない」、つまり国が被害者に医療費や輸送費などを請求することなど断じてあってはならないというものである。理由は単純で、日の国籍をもつ人々の生命財産を無条件に保護するということは、日という国家の基的な義務であるからである。 たぶん「自己責任」論というのは、「現地の危険さに対する十分な備えもせずに渡航した」ことへの甘さに対する叱責なのであって、それ自体はその通りかもしれない。ただ、救出にかかっ

    自己責任論 - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/09/02
    「欧米では自己責任論は全くあがらないのに」ほんとに?
  • 集団主義的な自己責任 - 狂童日報

    長らく「日人は集団主義」だと言われてきた。会社も学校も「個人化」しているといわれる現在、これが変わったのだろうか?繰り返すように、日の労働・経済政策に大きな発言力を持っている某社長は「過労死は自己管理の問題」とまで言い放っている。この発言は大きく非難されているが、今でもこの社長の社会的地位に全く影響が及んでいないように、非難の力は圧倒的に弱い。そう考えると、もう日的集団主義は死んでしまったのだろうか。 しかし、私のみるところ全く変わっていない。某社長など財界人の発言を聞いていると、いろいろ言っているが要するに「甘えて楽するんじゃない。もっと競争社会の中で苦労しろ」という以上のことを言っていないような気がする。つまり、「苦労して働いていないやつがいるなんてけしからん」というわけである。これが個人主義の社会だったら、人がどう働くかは個人の問題で良いも悪いもない。ヨーロッパで失業率が高い理

    集団主義的な自己責任 - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/03/01
    日本では労働/努力が宗教を代替してると山本七平が書いていた
  • 東アジア共同体 - 狂童日報

    最近「東アジア」と題名のつくがたくさん出ているのでたまに手に取ることがあるが、例外なくおそろしいほど退屈なことが多い。書いてあることは間違いではない。というか、あまりに正しすぎることが書いてあるので退屈なのである。前にも書いたが、「もっと深く考えて」とか「日人はアジアの声の耳を傾けて」以上のことがそこには書いていないのである。だからどうしても、表現はきわめて穏やかであるものの、社会的な権威をもった学者や文化人たちが「もののわからない人たち」に教え諭すという口調になってしまう。北朝鮮韓国中国に対する批判の高まりも「困ったものだ」という感じの反論しかできず、なぜそうした批判が高まっているかという現実に踏み込んでいかない。こうして、学者や文化人あるいは経済界のトップ、政治家の一部くらいしか「東アジア共同体」の理念に共鳴しないのである。 こうした議論の看板を背負っている姜尚中がいい例である

    東アジア共同体 - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/01/21
    「東アジア共同体」と「大東亜共栄圏」の違いがわかりません
  • お上意識 - 狂童日報

    人は「お上意識」が強いといわれる。 確かにそうだ。「お上意識」を批判し、公務員の「特権」を批判し、その数を削減せよとのたまう人が、「行政は何をやっているのか」「政府の責任だ」と平然と言う。「お上意識」を強く批判する人の論理の中に、強固な「お上」願望がある。「お上意識」への批判は、ほとんど日社会のお約束であると言っていい。私の「お上意識」も相当なものだと思うが、こういうお約束的な「お上」批判を平然と繰り返す人たちほどではないと思う。 日人は「お上」というのは絶対になくならないものだと思っている。「下」がどれだけ批判し、「お上」の力をそぎ落とそうとも、天から降り注ぎ続けるものだと考えている。日中国との違いに何があるといわれたら、真っ先にこの「お上」意識を挙げるだろう。中国では「お上」の力なんていい加減なもので、砂上の楼閣でしかない、ということが暗黙の前提になっている。「お上」に対す

    お上意識 - 狂童日報
  • 「右傾化」の理由 - 狂童日報

    昨日赤木さんの文章を読んでいろいろ触発されたが、わかってきたのは「右傾化」の意味である。アカデミズムやジャーナリズムという場に属する人間にとっては、「右傾化」に対する批判的なスタンスはほとんど必要条件である場合がほとんどである。そのせいか専門では緻密な実証研究に従事する人でも、「偏見だらけで頭の悪い権威主義者」みたいな粗雑なイメージ(実際に粗雑ではあるが)で「右傾」を語り、そこにある歴史観を「修正主義」というレッテルで終わらせていることが多い。そして年長世代だけではなく若者までがそうした「右傾」にはまってしまうのは、今の社会に対する不安や閉塞感を打破しようと「安易でわかりやすいもの」に飛びついたからであると解釈されることが一般的である。つまり、アカデミズムやジャーナリズムは、これをどこまでも「不健全」で「病的な現象」として処理したがっているのである。しかし繰り返しになるが、「右傾化」という

    「右傾化」の理由 - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/12/08
    そんなものでしょう
  • 安倍晋三が総理大臣に - 狂童日報

    正確にはまだ「総理大臣」ではないが、安倍晋三の評判がネット上でのあまりにひどさに驚いている。この理由はいまひとつわからないが、小泉政権末期に露呈し始めた「負」の部分をまともにかぶってしまったようだ。 私自身、安倍氏を全く評価していない。期待していないというより心配だ、という点では今までの総理大臣の中で最悪である。それは彼の主張が「右」だからではない。「美しい国」とか内容空疎な薄っぺらなスローガンが多いから、というわけでもない。この2週間ほど自民党総裁候補三人がテレビに出演して議論を戦わせていたが、ほかの二人が私とは意見は違うにしてもいろいろ熟考した跡がそれなりに感じられたのに対して、安倍氏はどんなときでも理路整然とテキパキと議論を展開しようとする。要するにテレビの討論番組向けの口調なのだ。言っていることの筋はそれなりに通っているような気もするのだが、そうした筋を通すことによって国内および国

    安倍晋三が総理大臣に - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/09/23
    純粋まっすぐ君じゃないかと心配
  • 論理の飛躍 - 狂童日報

    エコノミストの常套句は「個人の活動の自由度が高まり、競争が激化すれば経済の活力は上がる」である。 最近経済学を専攻しようとする大学生は減少傾向にあるらしいが、むべなるかなである。第一に、このテーゼにはあまりに飛躍がありすぎる。エコノミストはこれを普遍的なテーゼとして語りたがるが、「自由化=景気の向上」というロジックがうまく当てはまるのは、言うまでもなく、あくまで具体的な状況に限られる。経済の専門家の多くがこれを「飛躍」だと思っていないとしたら、そもそも経済学理論に重大な欠陥があるのではないかと思ってしまう。竹中大臣を批判するような人も、このテーゼ自体が間違いだとは言っていないように思われるが、私はこの出発点からして間違えていると考えている。少なくとも「自由化=景気の向上」のロジックがうまく機能する具体的な状況を説明しなければ、このテーゼは単なる宗教であって経済理論ではない。 第二に、このテ

    論理の飛躍 - 狂童日報
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/07/04
    怠け者の自分には共感できる話だ
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