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科学と思想に関するmaangieのブックマーク (9)

  • 『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(青木薫): 馬場秀和ブログ

    「そのころのわたしにとって人間原理は、無内容で非生産的な、宗教的な願望にまみれたトートロジーのように思われたのである。----人間が現に存在しているこの宇宙が、人間が存在できるような宇宙だからといって、だからどうだというのだろう?」(新書版p.5) 宇宙は観測者たる人間の存在を許容するものでなければならない。「強い人間原理」と呼ばれる主張は、果たして無意味なトートロジーなのか、それとも万物理論の存在を揺るがす新しい宇宙観なのか。ポピュラー・サイエンスの翻訳で名高い著者が、人間原理が持つ意義を平易に解説。新書版(講談社)出版は、2013年07月です。 提唱直後、激しく拒絶された「強い人間原理」。しかし、私たちの宇宙観が大きく変わりつつある現在、それを受け入れる科学者が増えているといいます。なぜなのでしょうか。 書は、コペルニクスに始まる宇宙観の変遷を辿りながら、人間原理がどのようにして登

    『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(青木薫): 馬場秀和ブログ
    maangie
    maangie 2013/10/08
    「万物理論」。
  • 共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    A)自分のして欲しいことを他人に施す B)自分のされたら嫌なことは他人に施さない 両者の立場はともにダブスタを回避している点においては倫理的なものにゃんが、その中身はまるで違うものですにゃ。なぜかというと、Aの立場は自らと他者の間に【善】を共有しようとするものであることに対し、Bの立場は自らと他者との間に【悪】を共有しようとする立場といえるからですにゃー。 Aの社会はスバラシイ社会かもしれにゃーのだが、その【共有された善=共通善】を共有できない者にとってはきわめて抑圧的なものでありえますにゃ。宗教共同体なんかが典型例なのではにゃーだろうか。宗教共同体って、信者同士ではすんごく、きゃっきゃうふふ、していて楽しそうだけど、無信仰者はなかに入れずにつらいだろうし、それどころではなく具体的な不利益がもたらされることもありえるわけでしてにゃ。 この社会において、【善】はすでに与えられていて、倫理的葛

    共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊び
  • 疑似科学批判批判 - raurublock on Hatena

    この指摘は興味深いけど、しかし id:mojimoji さん自身が十字軍な人たちの心理を理解できているかと言うと、そうでも無いような気がする。 十字軍はバカに勝てるか (id:mojimoji) 圧倒的などうしようもないバカを前にして、「このバカとともに暮らそう」と言うことです。その先にしか未来はありえないのですから、そのように覚悟を決めるのが賢き人の責任というものでしょう。それは教育や労働といった、一見関係のなさそうな広い領域について考える必要があるでしょう。──そう思えないなら、バカの自己責任論を振り回すのであれば、賢き人たちだけを連れて、どこか遠いお星様にでも行って下さい。 十字軍な人は陽に言わないけど、そういう人が当に目指しているのは、「バカを救うこと」じゃなくて、「バカの侵略を防ぐこと」だと私は見てます。つまり、自分達のテリトリーがあって、そこは今のところバカの被害をあまり受け

    疑似科学批判批判 - raurublock on Hatena
  • Togetter - 国内最大級のTwitterまとめメディア

    maangie
    maangie 2011/05/08
    「科学は価値基準ではなく真理」…えっ。
  • 東はこういうべきだった・公共性と歴史と科学(追記で応答 - 地下生活者の手遊び

    はてなブックマーク - 進化論否定論者のように南京虐殺を扱う東浩紀 - 地下生活者の手遊び まあ、東浩紀も一応予防線は張っていて などに応答しますにゃー。 事実を扱うのは科学 自然科学は事実の共有を可能にしたという意味で、ジンルイにとって特別な地位をしめていると、科学論関連で何度か述べていますにゃ。で、これは自然科学以外の諸科学にも基的にあてはまることだと考えますにゃ。事実というのは、自然現象にだけあてはまるコトバなどではにゃー。 よって、事実認識が問題となった文脈において、科学を持ち出すのは当然のことではにゃーでしょうか? 科学を信仰するとかいう大仰な話ではなく、事実認定に関してジンルイが作り上げたもっとも強力で有用な体系が科学であるから、事実認定において科学を持ち出したというだけのことにゃんね。 自然科学も構成されたものである 自然科学は事実の探究で、歴史学(人文科学・社会科学など)

    東はこういうべきだった・公共性と歴史と科学(追記で応答 - 地下生活者の手遊び
  • 疑似科学批判者がしてはならないこと - 地下生活者の手遊び

    前回のエントリの続き。 疑似科学批判に対して文句をつけるにあたり、僕はドーキンスを念頭においていますにゃ。自然科学という知的体系を高く評価するがゆえに、「神は妄想である」のドーキンスが「自然科学を宗教のようなイデオロギーにしてしまっている」点、つまり確かにある種の疑似科学批判において、宗教と科学の区別がつかにゃーようなことになっているという理路を以下に示してみたいと考えますにゃ。 参考として ドーキンスの「神は妄想である」への直接的な批判エントリをリンクしておきますにゃ 「神は妄想である」書評(1 - 地下生活者の手遊び 「神は妄想である」書評(2 - 地下生活者の手遊び 「神は妄想である」書評(3 - 地下生活者の手遊び 自然科学は公的原理 政治という社会行為においては、司法・立法・行政のいずれにおいても自然科学の知見をシカトすることは許されにゃー。 例えば、いつどこで大規模な地震がある

    疑似科学批判者がしてはならないこと - 地下生活者の手遊び
    maangie
    maangie 2010/10/12
    ドーキンス批判(?)
  • 神と科学は共存できるか? - NATROMのブログ

    宗教家と無神論者を4タイプに区別したこういうジョークがある。 ■信仰心と無神論の計算の違い(らばQ)。(原文:■Today's Math Lesson (The Primate Diaries)) ●原理主義宗教家 2+2=5だと信じている。その理由はそのように書かれているから。 税金の控除額の計算のときによくトラブルになります。 ●穏健な宗教家 現実的には2+2=4という基に沿って生活している。しかし規則的に教会などに行き、以前に2+2=5の時代があったとか、いつかまたその日が来ると言われ続けている。そして実際精神的な世界では5であるはずと信じている。 ●穏健な無神論者 2+2=4であることを知っている。 しかしながら2+2=5と信じている人が感情を害するかもしれないので、大きく主張することは無礼だと考えている。 ●戦闘的な無神論者 おいおい、よく見てくれよ。ほら、ここに小石が2個ある

    神と科学は共存できるか? - NATROMのブログ
    maangie
    maangie 2010/10/12
    ※啓蒙についても。
  • ノーベル賞の憂鬱 - シートン俗物記

    連日騒ぎになっておりますノーベル賞受賞騒ぎ。 物理学賞を南部、小林、益川先生の御三方。化学賞を下村先生、と、久々の快挙でございます。 しかしですねぇ、浮かれて受賞者に電話までしてしまった麻生さんですが、 ・「国民みんな喜んでいる」=益川、小林両氏に祝意−麻生首相 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008100701011 ・「日に勇気と希望与えた」 首相、ノーベル賞の下村氏に祝意 http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081009AT1G0900Y09102008.html この受賞、って日の政策に対する痛烈な皮肉なんじゃないか、と勘ぐっておりますよ。 今回の受賞者のうち、二人が頭脳流出された方、で、一人が日教組シンパで、九条の会に名を連ねている方、というのは既に知られているとおりです。 ・「日人3人がノー

    ノーベル賞の憂鬱 - シートン俗物記
    maangie
    maangie 2008/10/12
    「今回の受賞者のうち、二人が頭脳流出された方、で、一人が日教組シンパで、九条の会に名を連ねている」
  • 井上哲士:義兄の葬儀/益川京大名誉教授にノーベル賞

    広島で義兄の葬儀。斎場から戻り初七日の法要まで済まして東京に戻りました。途中の新幹線で携帯が鳴り、ビッグニュースが届きました。京大名誉教授の益川敏英先生らがノーベル物理学賞受賞です! 未発見の「クォーク」の存在を理論的に予測した「小林・益川理論」が認められたもので、小林先生やお2人の先輩となる南部先生との共同受賞となりました。何年も前からノーベル賞候補に挙げられていたので、待ちに待った受賞です。 私の学生時代、学生自治会がとりくむセミナーの講師なども気軽に応じてくださっていたことを思い出します。世界的注目を集めていた益川先生が、素粒子研究には、弁証法的唯物論の物の見方が貫かれていることをいっかんして語ってこられたことは、科学的社会主義を学ぶ上で、とても励みになりました。 たとえば、1984年7月14日付けの「赤旗」では、みずからの研究をふりかえって次のように語っておられます。 「素粒子が、

    maangie
    maangie 2008/10/09
    「唯物弁証法と自然科学の研究方法との関係は非常に奥深いもので、今後もさらに追求する必要があると思います」うーむ。
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