●これも泥縄。神教の供犠(Sacrifice)について。ちゃんと理解してるかあやしいですが、自分のために書いてみます。 ●「Thunder Rebels」によれば(難しい説明でしたが)、神に生贄や物品を捧げることが供犠である、というのは間違った考えだそうです。神はそういうことを認識しません。経験や変化や創造は人間(それに近い生物)にだけ許されます。神は静止してるんですね。しかし信者は神と経験を分かち合うことができます。これが神教の秘密だそうです。 ●供犠の儀式で神に捧げられるのはこの分かち合う部分です。「物質的な道具は正確に、より簡単により強く儀式を誘導するのに必要ですが、主要な要素は入信者と帰依者の参加です」ということになります。そしてこの霊的な捧げものの見返りに魔術を受け取るのが神教の仕組み。 ●ヒョルト人が大がかりな祭礼の後、神に供犠した動物の肉でご馳走を食べるのもこの理屈によるよう