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ブックマーク / kamiegakibito.hatenablog.com (137)

  • 神世界のリンゴは腐らない - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    神は、死なないし、老いないし、衰えないし、忘れない。 人間みたいに記憶処理があいまいではなく、「この記憶は残してこの記憶は消去する」という風に的確に処理していて、残している記憶は、決して、忘れることはない。 だから、永い年月の間、ずっと、スムーズに、安定した状態で、自分の脳内にある記憶を雛形として、「人間の体」や「植物の体」を、それぞれのストーリーに沿った形で成長させることが出来ているのです。 神の脳が、遺伝子情報などの各種設定情報を読み取って、この世の全てを実体化させている。 だから、神の脳(アカシックレコード)にアクセスすれば、全ての成長ストーリーを読むことが出来る。 そして、もちろん、アカシックレコードの所有者である神が、全ての成長ストーリーを自由に変更できる立場にいることは、言うまでもありません。 神が、リンゴを映像化、味覚化、嗅覚化、触覚化、リンゴをかじる時の音を音声化しているか

    神世界のリンゴは腐らない - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~
  • 神世界の下に人間世界は存在している - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    「宇宙は神の体なのか?」という話はさておき、少なくとも、この宇宙を作った側である神世界、作られた側である人間世界、この2つの階層が存在していることは間違いない。 まず始めに神世界が誕生して、その下に人間世界が誕生した。 そして、神世界は、決して、滅びることがない世界なのです。 人間世界が、滅びゆく儚い世界なのは、テスト用に作られた世界だからなのであって、だから、わざと、住む環境をギリギリで生きられる過酷な状態に設定してあるのであって、苦しみだらけの世界で苦しみだらけの体でずっと生き続けるのは残酷な話だから、長く生きたとしても100年くらいを寿命として、むしろ、死ぬことは救済措置となっている。 死んだ時点で、天国へと、神世界へと行ける魂になっていたら、神が、天国へと、神世界へと連れていってくれるのだ。 Author:神描人(かみえがきびと) 読んでいただいてありがとうございます^^ 私自身、

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  • 原子は神が用意した絵の具 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    「ゴールド(Au)」は、「お金」的な価値がある物として使えるように土の中に埋められていた。 飲んだり浴びたり泳いだり出来る「水(H2O)」は、この世を、もっともっと楽しめる世界にするために、ちょっと凝ったデザインにしてあるのであって、「一ひねりを加えましたよ」ということをさりげなく知らせるために、ちょっとだけ複雑な化学式にしてあるのです。 偶然、たまたま、「海」や「雲」や「川」が存在している訳ではなく、「神が思い描いた通りに」存在している。 人間がパレットに「違う色の絵の具」を用意して、それを画用紙に塗り合わせて絵を完成させていくように、神は、「違う性質の原子」を用意して、それを組み合わせて絵を完成させていく。 同じようなことをやっているのだけど、神の方が、はるかに壮大にやっている、ということなのです。 H(水素)He(ヘリウム)Li(リチウム)……C(炭素)N(窒素)O(酸素)……Mg(

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  • ダーウィンの進化論は大間違い - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    人間の歯は、一生に「1回だけ」乳歯から永久歯へと生え変わるけど、ゾウの歯は、一生に「5回くらい」歯が生え変わる。 人間の歯は32で、牙を除いたゾウの歯は4。 ゾウの歯は、かなり大きくて、1当たりの重さは3~5kgで、ちょうど人間の大人用サイズである底みたいな形をしていて、草動物であるから草をすりつぶすのに適した臼歯(きゅうし)となっている。 古い歯がすり減ると口の奥(歯の後ろ)からスライドするように新しい歯が生えてきて、古い歯が手前に押し出される形で抜け落ちて生え変わるシステムになっていて、人間みたいに歯がない期間はなく、葉だけじゃなく樹皮や木の枝までもべるので歯の消耗が激しいから60~70年の生涯に5回も歯が生え変わり、5回生え変わったら、打ち止めで、もう生えてこなくなる。 ゾウの歯に関して、ダーウィンが進化論で語っていたように解説するなら「一生に5回くらい歯が生え変わる種類

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  • イエス・キリストは聖書の中に再臨する - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    イエス・キリストは聖書の中にずっと存在していて、ずっと語り続けていたけど、誰も、その真意を理解できる者はいなかった。 時が来て、神が真意を人々に伝え、そして、人々が聖書を読み直すと、イエス・キリストの言葉が輝き始めて、光り輝いたイエス・キリストが目の前に出現することになる。 これが「再臨」というものなのです。 聖書を読んだ人、それぞれ、思い描いたイエス・キリスト像が違うのだから、どんな人間が現れたとしても「あなたは私が待ち望んでいたイエス・キリストじゃない」と言われてしまう。 そう、聖書の中以外に、イエス・キリストが再臨できる場所は、有り得ないのです。 ~~~以下、新約聖書の『山上の垂訓』からの引用~~~ 【 マタイによる福音書 第5章 】 イエスは群集を見て、山に登り、おすわりになると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えられた。 心の貧しい人々は幸いである

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  • 「人間の体」は神が作成した教科書 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    人類が今まで生きてきた中で、「神の存在が隠されていた時代」はあっても「神が存在していなかった時代」はない。 なぜなら、神が存在していなければ、あなたは、「神から与えられた目」で映像を見ることが出来ていないし、「神から与えられた耳」で音声を聞くことが出来ていないし、「神から与えられた口」でしゃべることが出来ていないからです。 それらが出来ているのなら、「神は存在している」ということになる。 神がいなければ、人間は、今、ある、風景を見れていないし、今、ある、果実をべれていないし、今、ある、言葉をしゃべれていない。 「美しい大自然」や「美味しい果物」や「美しい歌声」は、「あって当たり前なもの」ではなく、神がデザインして用意してくれたからこそ存在しているのであって、神がいなくなれば、それら全ては、消え去ることとなる。 光を発明したのは神であり、水を発明したのも神であり、火を発明したのも神であり、

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  • 人類の進歩と苦しみは表裏一体 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    人類の進歩と苦しみは、表裏一体。 胃が痛くなれば、それを解消しようと様々な胃薬が開発されて、ストレスが1つの原因だと分かると「遊びやユーモアやプラス思考で気分転換をしよう」という方向に進み、目が疲れたら目薬をさして「目に優しい色である緑をもっと見よう」という気持ちになって森林浴でくつろいで、便通が悪くなれば大腸の健康のために善玉菌であるビフィズス菌入りのヨーグルトをべ始めて「気持ち良く排便するために物繊維を多く含む野菜をべて規則正しい生活と適度な運動を続けよう」という気持ちになり、骨折した時にはギプスを付けて固定して骨がくっつくのを待ち「今後は骨折予防のためにカルシウムを多く摂取して筋力トレーニングをして体を強化しよう」という気持ちになり、そうやって、人間は、どんどん、「体」と「心」の仕組みについて賢くなっていく。 カルシウムが骨の発育に欠かせない存在で、プロテインが筋肉増強に効果的

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  • 「人間の目玉」はオーパーツ - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    あなたが「目」で景色を「映像信号」に変換するまでには、かなりの労力が費やされている。 光が、眼球の前面にある「角膜」を通過したら、まず、前面にある「虹彩」が拡がったり狭まったりして眼中に入ってくる光の量を調節して、前面にある「水晶体」が厚みを変えてピントを合わせて、そして、眼球の大部分を占めている「硝子体」を通過したら、眼球の後面にある「網膜」にぶつかって映像となって、そこで電気信号へと変換されて、そして、その映像信号は「視神経」を通って「脳」へと伝えられて、その結果、「光を見る」ということが実現できている。 どう考えても、こんなに複雑で高度なテクニックを要する目玉が「偶然に出来上がる」なんて有り得ない話で、カメラやテレビを自分達で作って「映像化」の仕組みを理解できるようになった現代人なら、百歩譲って「自分の頭で思い描いた通りに自分の体を変形させて自分の目玉を作り上げた」という話の可能性は

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  • 神世界の魔法はケタ違い - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    この世に顕現している魔法は、神世界の技術力の一端が使用されているにすぎない。 ホタルに光魔法を使わせて、電気ウナギに電気魔法を使わせて、クモに糸魔法を使わせているのは神であり、神世界には、もっともっと凄い魔法が無数に存在していて、この世に存在している全ての魔法は神世界に存在する魔法の縮小版で、フルスペックの魔法は、神世界にある。 人間世界では目にしたことがない夢みたいな魔法で彩られているのが神世界であり、その技術力は圧巻で、今ある人間科学は神科学の足元にも及んでいない。 「永遠の命」で「悠久の時」を歩み続ける神々による夢の共演が実現していて、人間社会に今ある料理音楽ファッション、建築デザイン、芸能、それらを遥かに超えた光り輝く神作品で満ち溢れているのが、神世界なのです。 神世界の技術力が、この世に存在する全ての「体」を生み出して、そして、存続させている。 人間が、目で「映像化の術」、口

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  • 魔法の正体は「神世界の技術力」 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    電気ウナギは「サンダーボルト」という魔法が使えていて、ホタルは「光魔法」が使えていて、クモは「糸魔法」が使えていて、まるで、マンガの世界みたいに魔法が使えている。 これらの魔法の正体は、「神世界の技術力」なのです。 電気ウナギが電気を作り出すために何をしていたのかというと「エサをべていただけ」で、ホタルが光を作り出すために何をしていたのかというと「エサをべていただけ」で、クモが糸を作り出すために何をしていたのかというと「エサをべていただけ」。 電気ウナギは、電気を生み出す仕組みすら理解できていなくて、その仕組みを理解できているのは神であり、そして、電気を発明したのも神なのです。 電気ウナギの願望が実現して「魔法が使えるようになった」のではなく、神の願望が実現して「魔法を使わせている」、ということになる。 「エサさえべていれば何でも作り出すことができる」なんて都合の良い話は有り得なく

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  • わざと不便に作られた体 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    カンガルーのお腹には子供を入れるための「ポケット」が付いていて、蚊の口先には毛細血管を探り当てて採血できる超高性能な「注射器」が付いている。 夜行性であるフクロウの目は「暗視スコープ」みたいに暗闇でも見ることが可能で、夜中に目が光るのは目の奥にあるタペタム(輝板)という集光装置がわずかな光りを反射して増幅して明るくしているからで、同じく夜行性であるとネズミの目にもタペタムが付いているから、薄暗い屋根裏でも平気でドタバタと追いかけっこをしている。 目が退化してほとんど見えないモグラは主に土の中で生活していて、クモは体内から粘着性のある糸を出して網を張り巡らして獲物を捕らえることによって羽がなくても空中で生活できていて、ほ乳類であり空気呼吸が必要なマッコウクジラは、全身の筋肉に酸素を蓄えてから水深1kmにも達する深海へと潜っていって、最長で1時間ぐらい潜り続けて大量のエサをべてから水面へと

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  • 人間作品は神作品の模倣 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    神が、各種デザインの「雛形」を用意して強力にサポートしてくれているからこそ、人間のデザインセンスが格段に底上げされた形となり、個人個人が自分の実力以上の力を発揮できていて、「縁の下の力持ち」である神が存在しているからこそ、人間世界は「人間の実力以上の美しさ」で彩られた世界となっている。 デザイナーとしての師匠である神の作品を参考にして、弟子である人間は独自の作品を完成させていくのです。 そして、何故そうなるのかハッキリとは分からないけど、人間が「神の子」だからなのか、神が「人間の脳」をそのように設定したからなのか、弟子である人間は、師匠である神が描いたテンプレートに沿ったものしか「美しい」と感じ取れないみたいだ。 人間が、自由に発想して作り出したはずの「空想上の生き物」において、幻獣であるペガサスは「馬の体に鳥の羽を付けただけ」だし、ミノタウロスは「人間の頭を牛に変えただけ」の牛頭人身の怪

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  • 神の裁きは完全無欠 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    高画質なテレビゲーム画面において、何百万画素という膨大な数の小さな点「ピクセル」の全てをコンピューターが一括管理して表示しているように、宇宙において、神の脳が、膨大な数の小さな点「原子」を一括管理していて、座標と時間を完璧に把握した上で1つ1つの原子を出現させている。 神の脳は、原子単位、細胞単位で処理を行っていて、あなたの体の何十兆個ある細胞の1つ1つに遺伝子が組み込まれ、その遺伝子情報を参照する形で神の脳が人体の全細胞を一括管理し続けているのだから、その内の1つの細胞が「何年何月何日の何時何分何秒にどこにいて何をしていたのか」も、はっきりと記録されて残っているのです。 原子1つですらも、過去の動向を完璧に記録され続けながら、この世に存在している。 「遺伝子」という「思考を受け取ってからその後の細胞の動向を決定できるツール」が埋め込まれている「人体の細胞」に至っては、神があなたからの思考

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  • 全知全能である神 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    様々なシナリオやマップが用意された壮大な世界を旅するロールプレイングゲームにおいて、ゲーム画面内に無限に広いマップを作ることは可能だけど、実際には、プレイヤーとコンピューターが対面してやりとりをしているのであって、プレイヤーは自分が担当するキャラクターを十字ボタンで操作したり決定ボタンで選択したりしているだけで、話はコンピューターがシナリオ通りに進行させていく。 そして、ゲーム内で複数のプレイヤーが取った選択と行動の全てをコンピューターに記録して残しておくことも可能だ。 これが、そのまま、人間と神との関係につながり、違う点は「コントローラー」ではなく「人間の思考」を神の脳が受け取ってから宇宙全体を作り変えている点で、さらに、神は、「人間が思ったこと」ですらも記録して残しておくことが可能なのです。 「こう動かしたい」という手足を動かす命令系の思考だけじゃなく、「うれしい」「悲しい」「楽しい」

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  • 人間は神の掌の上で踊っている - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    神は、将来を見据えて「立派な神」とするために子供である人間を教育しているのだから、今の人間が使用している技術の未来形を考えれば、神が使用している技術が見えてくるようになる。 有限である「人間」という器で培った常識をかなぐり捨て、無限である「神」という器で何が出来るのかを想像して、「できるはずがない」という人間特有の思考的リミッターを解除すれば神世界の片鱗が見えてくるのです。 「美しい大自然が存在している」という「奇跡」は「奇跡」ではなく、実は、神の手による「創作」であり、人間が「あって当たり前」だと思っていたものは「あって当たり前」ではなく、神が神世界にある神科学で「原子」という姿形を維持し続けてくれているから、「原子」は「原子」として存在することが出来ている。 約100種類くらい発見された原子の1個1個が「神の手作り作品」であり、神が「絵の完成形」を頭の中で思い描いて、「どんな素材があれ

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  • 神は人間にお子様ランチを与えている - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    この世は神が創造した世界であり、教育上の理由から「作られた世界に住んでいる」という事実を隠すために、わざと、宇宙は、広大に作られている。 実際、その広さ故に、「神は宇宙を体として所有している」なんて答えに辿り着く人間は、いなかった。 人間が「自分の体」の全体を動かせるように、神は、「自分の体」である宇宙全体を動かせていて、さらには、「自分の体」を自分が思い描いた通りにデザインできている。 神がやっていることは、とてつもなく難解であり、そして、人間がやっていることとは比べものにならないぐらい壮大なのです。 人間の予想を遥かに超えた高い領域で、神は生きている。 人間達が「アカシックレコード」と名付けた「宇宙全体を管理し続けている」巨大な「神の脳」は、今、この宇宙に存在している星、人間、動物、植物、ありとあらゆる設計図を脳内に保有し、宇宙全体を丸ごと記憶することが出来ていて、そして、この宇宙内に

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  • 「人間的な法則」は神が定めた法則 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    この世は、子を想う「親の視点」で作られている。 神の愛は「人生一度きりで終わり」という考え方では理解できず、「体を変更して何度も命に限りある一生を繰り返す」という「永遠の視点」で考えると理解できるようになる。 神は、「永遠の命」で「不老不死」で生き続けている御方であり、神の体は、自由に何度でも作り直せる体であり、それ故に、「人間が人間を教育する視点」と「神が人間を教育する視点」は、かなり異なっていて、教育方針も、かなり違った角度から見た方針となっている。 人間みたいに病気やケガなどで「元の体の状態にすぐ戻れない」ということは、来、有り得ないことなのだけど、体を大切にするクセを身につけさせるために、人間の体は、わざと、体の管理を怠ると壊れて簡単に治らなくなるように設定してあるのです。 一生を共にする無二の体だからこそ、乳歯から永久歯へと一度しか生え変わらない歯だからこそ、人間は、毎日毎日、

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  • もしあなたが神であったなら - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    この世は、神が構築した世界であり、神世界に住む「作り手」側である「神の立場」で考えて、「自分が神だったらどうするのか」を考えてみれば、見えていなかった「この世の真相」が、見えてくるようになる。 新たに魂が生まれ、その魂が生まれたばかりで体験不足で何も知らない状態で「善も悪も知らない」魂だとしたら、まず、善と悪が存在する世界へと行かせて、善と悪を学ばせて、そして、生と死を繰り返して何度かその世界を体験させた結果、だいたい「善」を選べるようになった者を神世界へと引き上げる。 その道中で、ついでに、「体の扱い方」や、物理学、生物学、地学などの各種知識も学ばせておき、神世界へと辿り着いた時に、すぐに「神の体」と「神技術」を扱えるように前準備をさせておく。 これが、「この世」が存在している意味であり、意義であり、そして、理由なのです。 この世は神が管轄している世界であり、神がこの世に干渉する時は、「

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  • 聖典は「神が著した書物」 - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    釈迦が「悟りの境地」で得た真理は「この世はこういう風な設定になっていることが分かった」という所までで、さらに上の境地になると「神がそのような設定を作った」という所まで辿り着く。 ブッダは、悟って「神の教え」を忠実に人々に伝えた偉い御方。 預言者は、さらに、神の言葉を預かって「神の存在」までも人々に伝える。 ブッダは、人間側からの積極的アプローチで真理へと辿り着き、預言者は、神側からの積極的アプローチで真理へと辿り着く。 ブッダと預言者では、少し説き方が異なるけど、言っている「真理」は同じ。 真理は1つだから、皆、同じ真理へと辿り着くのです。 神は、宇宙が誕生してから今まで、ずっと、生き続けている御方だから、皆、同じ結論へと終着する。 はるか昔、釈迦やイエス・キリストが生きていた時代にいた神と、今いる神は、同じ神。 ずっと、宇宙の頂点に君臨し続けていて、「永遠の命」を当たり前のように所持して

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    masuhiro6595
    masuhiro6595 2020/05/25
    死の淵を越える時、苦しいのかどうか、どのくらい苦しくて辛いのか。悲しいのか、不安な毎日です。
  • 神がいるからケーキを食べていられる - 父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

    人間が「うまい」「うまい」とべているケーキは、神がいてくれているから有るのであって、人間は、神からの恩恵を享受する形で、ケーキを味わうことが出来ている。 この世に存在する全ての「材」と「人間の舌」は、神がデザインした創作物であり、神が神技術で「現在有る形」を維持し続けてくれているから存在できているのであって、神のサポートなしでは存在しえない、完全に神に依存している「儚き存在」なのです。 この世は、神の技が、ご披露されている世界。 「星々の姿形」「生き物たちの体」「木々に実る果実」全てが神による創作物であり、「運動」「事」「学問」ありとあらゆる分野で、さりげなく、そして、強力に神がサポートしてくれているからこそ、この世に居る生き物たちは「自分の実力以上の力」を発揮できているのです。 さりげなくサポートしてくれているから、「あって当たり前」だと錯覚してしまい、人間は、その有り難さに気付け

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