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思想とオタクに関するmn_krのブックマーク (4)

  • Hiroki Azuma: The philosopher of 'otaku' speaks › Japan Today: Japan News and Discussion

    Hiroki Azuma: The philosopher of 'otaku' speaks By Matthew Chozick and Akane Suzuki TOKYO — Familiar scenario: you’re going to be marooned on an island and you can only bring X number of books with you. If that island happens to be part of the Japanese archipelago, you could do a lot worse than schlepping a copy of Hiroki Azuma’s “Otaku: Japan’s Database Animals.” First published in Japanese nine

  • 「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    國文學 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 学燈社発売日: 2008/10/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (15件) を見る 「國文学」が、トチ狂って「萌え」についての特集を組んだので、一応買った。「萌え」というのは単なる流行語*1にすぎないだろうし、数年後にはたぶん「そんなのもあったねえ」とか言われるのだろう。もう「萌え」の話は飽和状態だし、今回の特集もあまり期待していなかった。 ところが、意外と数は面白い文章が載っていた。中でも、田透「『萌え』の行く先――文学は敗北したのか」は印象に残った。田さんは、以下のように文学史をまとめる。 吉隆明ふうに言えば、「大きな物語」=「共同幻想」に自己の居場所を見いだせなくなった70年代後半以降の大衆は、徐々に「小さな物語」=「対幻想」の内部へと入りこんでいった。この「対幻想」の中に「

    「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    mn_kr
    mn_kr 2008/10/19
    “「共同幻想」から逃れ、「対幻想」にも浸りきれない人間が、「私的幻想」を大事に温めている。そしてその「私的幻想」自体が内部を突き破って、現実の「共同幻想」に向かおうとする”
  • 岡田斗司夫氏の次の本『食べても太らない男のスイーツ』 - 伊藤剛のトカトントニズム

    このタイトルの意味は、エントリーを最後までお読みいただくと分かります(微妙に「釣り」ですw)。 オタクはすでに死んでいる (新潮新書) 作者: 岡田斗司夫出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2008/04/15メディア: 新書購入: 17人 クリック: 634回この商品を含むブログ (170件) を見る 岡田斗司夫氏の新著『オタクはすでに死んでいる』をめぐって、激しく、しかし冷ややかな反応がそこここでなされている(たとえば「幻視球 : 自称オタキング逃亡事件」http://xn--owt429bnip.net/2008/05/otaking.php 「オタクは死んだ! そしてゾンビとなって岡田斗司夫に襲いかかる - かむかむごっくん」http://d.hatena.ne.jp/kossetsu/20080507/p1)のを横目で見てたんですが、そういえばオレ五年前に「オタクは死んだ」って書

    岡田斗司夫氏の次の本『食べても太らない男のスイーツ』 - 伊藤剛のトカトントニズム
    mn_kr
    mn_kr 2008/06/09
    “私たちは「分かりあっている」からコミュニケートするのではない。そもそも互いにすべて「分かりあえない」から懸命に言葉をつむぐのです。「他者と出会う」とはそうした認識のこと”
  • オタク、サブカル、そして東京 - 死に舞

    新年にとある夫とベトナム料理べていたときの話である。あくまでも酒飲みながらの講釈であるからマジメにとってもらうと困るのだが、オタクとサブカルはそんなに対立していないとか、いやそれでもオタクとサブカルは大分違うとか、言う議論のとき、我々はその二項対立に囚われすぎているのではないだろうか。 昔、大橋先生(いまではすっかりはてなダイアラー)が文学批評の授業でともかく二項対立は単純化してしまうから、三項関係で解釈すると何でも良くなると話していた。だからオレはこの二項対立に、もう一項付け加えてみた。それが東京。オタクでもなく、サブカルでもなく、東京という趣味、あるいは東京原住民の趣味というのがあるように思える。 その昔、渋谷陽一がロキノンで東京原住民について書いていたことがあったが、地方ゆえのスノッブさから卓越化ゲームに走るサブカルとも、ある種のルサンチマンの発情であるオタクとも違った、東京と

    オタク、サブカル、そして東京 - 死に舞
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