「モデル、やっています」と言われて、返事に困ったことがある。「すごいねー」とも言えないし、かといって「ふーん」と聞き流すのも悪いかなと思ったからだ。かといって、それを認めないというのではない。 しかしモデルを「自己表現」であるかのように語られるのも、それなりに辛い。というのも、それを聞かされる私は、「そこには確かにあなたが写っているが、あなたでなくても成立したかも…」と、考えてしまうからである。 これは、意地悪ではない。モデルは、それが服飾等を印象づけるための媒体である限り、どこかで主体の代替可能性を肯定しなくてならない。しかしこの人材の流動性の高さが、自己承認をめぐる不安を引き起こす。「この撮影は、本当に私でなくてはならなかったのか」と。その意味で、モデルになるとは、こうした不安を引き受けることなのだ。 だからこそか、モデルによっては、趣味や特技といった「内面」に関する情報が必要になる。