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ブックマーク / hazuma.hatenablog.com (15)

  • 批判に答えて - hazumaのブログ

    友人に教えてもらって下記のインタビューを見ました。なるほど、例の「プチ思想」記事はこの延長線上だったのですね。 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200909170300.html 別にここでぼくや『思想地図』が批判されているわけでもないので、反応するのもなんかブログ読者を喜ばすだけのような気がします。しかし、ここで言われていることと、最近ストレスを溜めていたあるできごとがあまりにフィットしたので、これを機会にひとつ一般的な反論を。 ■ 最近『思想地図』やぼくの仕事に対していろいろ風当たりが強いのですが、そのひとつのテンプレとして、「あの連中は社会学的な状況分析ばかりで、強度をもった作品論、作家論がない」というのがあります。 そしてこの批判に対するぼくの答えはきわめてシンプル。 ならばあなたがやればいい。 ■ たとえば佐々木さんは上記

    批判に答えて - hazumaのブログ
    mn_kr
    mn_kr 2009/09/30
    “今後、批評では、表象文化論的な作家論、作品論は主流になりえない。社会学的な知や工学的な知とも交雑したハイブリッドなものになるほかなく、それは同時にポストモダニズムの幻影との完全な決別を意味する”
  • 濱野くんの論文 - hazumaのブログ

    最近、リアルな仕事で忙しくほとんどネットを見なくなってしまったもので、ブログの更新が滞りすみません。 そんな状況なのですが、濱野くんが最近「10+1」に寄せた論文、すぐれていたので紹介しておきます。 http://tenplusone.inax.co.jp/monthly/2009/09/post.php これ、じつは早くも、『思想地図』次号に掲載される某氏の投稿論文への反論になっているのですよね。このあいだの飲み会の会話がこんなに早くフィードバックされるとは!(笑) まあ、その文脈は『思想地図』発売のあとのお楽しみということで。 >某氏 投稿論文、よかったらこれをどこかの註釈で触れてみてください。 ■ ところで『思想地図』も含めた昨今の動き、どうも朝日新聞では「プチ思想ブーム」とか呼ばれて揶揄されているようです*1。 しかし、ネットやサブカルの話題を扱っているだけで「プチ」と括ってしまう

    濱野くんの論文 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/09/30
    “ネットやサブカルの話題を扱っているだけで「プチ」と括ってしまう(裏返せば、マルクスとかデリダとか言っておけば重厚だということになる)ような偏見”
  • hirokiazuma.com廃止 - hazumaのブログ

    ぼくがはじめてウェブサイトを作ったのは2000年の春です。それ以来、9年以上にわたってhirokiazuma.comというドメイン名を維持してきたのですが、このたび契約が終了するのを機に手放すことにしました。 理由は簡単で、いまや「公式サイト」の時代ではなくなったな、と感じるからです。 かつてぼくは、ウェブは情報のストックの場としてあるべきだと考えていました(いまでも理想としてはそうあるべきだと信じているのですが)。だから公式サイトを開設し、公開原稿を地味にでも充実させていくことが大事だと考えていたのですが、実際には日のウェブはフローの場として成長しました。そして、フットワークの軽い情報発信については、ここのように既存のブログサービスを活用したほうが効率がいい。原稿を公開するにしても、Googleそのほか、いくらでも便利なサービスがある。どうせ、検索エンジンが発達したおかげで、だれでも「

    hirokiazuma.com廃止 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/07/26
    長期的には“ツイッター上の「つぶやき」だけで、周囲を賑わすには十分だし、また読者もネットにはその賑わい=祭りしか期待していないように見える”
  • ヱヴァンゲリヲン劇場版:破 - hazumaのブログ

    東浩紀です。一週間ほど休暇を取り、日とネットから離れていました。ブログのほう、ご無沙汰してすみません。 さて、帰国後すぐに「ヱヴァンゲリヲン劇場版:破」を観てきました。この作品についてはおそらくあちこちで語ることになると思うので、短い感想だけ。 結論から言えば、ぼくの予想よりもはるかによかったです。まずは新しい使徒のデザインがすばらしい。このために劇場に足を運んでも後悔しません。批評家的には、たとえば新キャラ眼鏡っ子に注目でしょうか。彼女はゼロ年代的というか決断主義的というか、要は西尾維新キャラとして導入されており、90年代ひきこもり組(シンジ&レイ)と対照的な存在です。そこに、2009年にこの作品を問うことの意味は十分含まれていると言えなくもない。 ほか鑑賞中も、批評的な物語*1がいくつも思いつきました。おそらくぼくは、批評家としては、この作品を評価するべきでしょう。少なくとも「序」よ

    ヱヴァンゲリヲン劇場版:破 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/07/08
    “90年代作品をちゃんとゼロ年代化できている。|(主人公3人の)「イタさ」がうまく物語のなかに回収されてしまうと、作品からなにか欲望の核みたいなものが抜け落ちてしまう”
  • ised - hazumaのブログ

    思想地図のアーキテクチャ特集が売れているようですので、参考資料までに下記のリンクを挙げておきます。 ised@glocom : 情報社会の倫理と設計についての学際的研究 2004年から2006年にかけて、ぼくがGLOCOMで主催していた若手中心の研究会「情報社会の倫理と設計」の記録です。全14回で、一回数万字あります。思想地図の特集のアイデアは、ほとんどすでにここにあります。 ちなみに、いま売り出し中の濱野智史くんは、じつはこのとき、連絡係からテープ起こし、議事録の整理まですべてを担当した、ぼくの万能のアシスタントでした。彼はじつは、ゼロアカなど目ではない過酷な修羅場をくぐっているのですw。 さて、このised、当時としては先駆的な議論だったし、面子も悪くなかったのではないかと自負しているのですが(北田さんも白田さんもcharlieもいます、はてなーとしては楠さんや高木さん、近藤社長の参加

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    mn_kr 2009/06/11
    “ちなみに思想とか批評の業界では、印刷物の優位はまったく揺らいでいません。論壇の権威とか読者の世代とかいった問題以前に、「ウェブだけの言論」は端的に信頼されていない”
  • serious/unserious - hazumaのブログ

    文學界の連載でもいちど書いたネタなのですが、最近、「真面目」と「ふざけている」の境界についてよく考えます。 ■ そもそも批評家というのは詐欺師みたいなもので、どこまでマジでどこまでネタなのかよくわからない文章を生産するのが役割であるような変わった職業です。 しかし、それにしてもぼくは最近、ネットスターとかゼロアカとかやっているせいで、その混乱がますます進行している。たとえばぼくがネットスターで発している発言の多くはネタであるとして、しかしでは、ゼロアカで藤田くんやら坂上くんやらを褒めているのもネタなのか、ニコ動的生成力に批評の可能性が宿るとかいう発言もネタなのかといえば、ネタのような気もすればベタ(マジ)のような気もする。 逆に裏返せば、思想地図だってどれくらいマジなのか、自分でもよくわからない。客観的に観て自分の行動は「東はマジだ」と言われる水準をクリアしているとは思うけれど(したがって

    serious/unserious - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/06/03
    “「すべてをネタとして見る」ことと、「すべてをネタとして見る立場に立っているとベタに書く」ことのあいだには大きな差異がある。”
  • 若者世代撃退 - hazumaのブログ

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090424-00000614-yom-soci このニュースはアツい! こんな若者撃退の方法があったとは! モスキート音は世代が進むとどんどん聞こえなくなっていく音なので、こんなことができるんですね。 ところでぼくは37歳ですが、 http://kwne.jp/~alpha/kenkyu/01.html このサイトで検査したら16000Hzまで聞こえました。ぼくもあやうく撃退されそうです。 (後記) ところで、むろん、公的空間におけるこんな露骨な環境管理の導入にはぼくは原則的に反対です。それに、これ、実際にはそんなに効力がないか、あるいは個人差が強すぎて近所の住民から苦情が出るかで、成功しないんじゃないのかな。

    若者世代撃退 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/04/30
    モスキート音→“公的空間におけるこんな露骨な環境管理の導入”というのも言われるまで気づかなかった。聴覚的なものだけじゃなく、視覚的な作用で無意識にゾーニングする技術も今後出るかもしれない
  • グーグル問題 - hazumaのブログ

    多くの書き手が同じ経験をしていると思うのですが、この一月ほど、例のグーグル和解問題について各出版社より立て続けに書面が送られてきています。そのいずれもが、「今回のグーグルのやりかたは承服しがたいが参加するほかない」という意見になっていて、なるほどこれがアーキテクチャの権力ってやつか、とかぼんやり思っていたら、講談社より名指して「あなたの著書がスキャン対象に入っています」と通知が来てしまいました。 具体的な書名があがると興味のレベルもいちだんとあがるもので、あらためてもろもろ調べてみましたが、たぶんぼくは和解拒否の申し立てはしません。 というわけで、『ゲーム的リアリズムの誕生』の(最大)20%は、そのうちグーグルで無償で閲覧できるようになる予定です。この、当然日では市販中なのですが(このあいだ増刷したばかり)、アメリカ国内では普通は手に入らないので「品切れ」扱いとされ、公共の福祉に資する

    グーグル問題 - hazumaのブログ
    mn_kr
    mn_kr 2009/04/25
    “いろんな本の20%が無償閲覧できるようになると、きっとその20%しか読まないで本を参照したり批判したりする読者がどっと増えることでしょう。 それはある意味でウィキペディア依存問題よりも
  • 韓国「教授新聞」 - hazumaのブログ

    韓国の「教授新聞」という大学関係者向けのメディアより、メールインタビューを受けました。下のサイトに韓国語で掲載されています。 http://www.kyosu.net/news/articleView.html?idxno=18058 日語で記した応答の全文を以下に公開します。誌面の都合上、翻訳掲載されているのは一部だけかと思います。 ぼくのところにはしばしば外国から取材依頼が来るのですが、「オタクの心理について知りたい」とか「萌えについて説明してくれ」というものが圧倒的に多く、そういうのは軒並み断っています。しかし、このメディアの質問はとても真摯なものだったので、引き受けたのでした。 ■ ――1.初期デリダに対する研究から、おたくなどサブカルチャーに対する研究に至るまで東浩紀先生の軌跡には、他の研究者からは独特だと思われている点も多々あるのではないかと思います。先生が研究者として生きな

    韓国「教授新聞」 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/04/25
    “イデオロギーがない状態、つまり「友」と「敵」が単純に区別できなくなった世界において、言論人がどうあるべきかと考えていくのが、とりあえずの課題だと考えています”|「人間的部分と動物的部分の解離的共存」
  • クール・ジャパノロジー/仮定法過去への旅 - hazumaのブログ

    こんにちは。アメリカから帰ってきた東浩紀です。といっても、もう帰国して3日も経っているのですが。 アメリカにいたときは書きたいことがたくさんあったのですが、いざブログに書こうとするとたいへんな時間がかかりそうです。じつは時間節約のためにもうこうなったらニコ二コ動画でいいやと思って、ニューヨークに滞在していたとき、遊園地が廃園になったばかりのコニーアイランドに行って、寒風吹きすさぶ浜辺でザクティでアメリカルポを撮影したりもしてみたのです。自分ひとりで。 しかしこれが、あとで聴き直したら風が強すぎて重要な箇所がまったく聴き取れない! やむなく投稿を断念しました。 ちなみに下がその自撮り写真。なんやってんだか。マジで風強いです。背後に見えるのが「ワンダーホイール」という有名な木製観覧車です。 ■ というわけで、しかたないのでブログで報告します。 もろもろのディテールを省略して要点だけ述べると、今

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  • 批評について - hazumaのブログ

    ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定

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  • 汐は救われているのか - hazumaのブログ

    こんばんは。筒井先生に「東くんは肥えてから良くなった」と言われ、調子づいている東浩紀です。 さてさて、原稿がいっこうに進まないので、現実逃避のエントリを上げることにしました。 http://d.hatena.ne.jp/syusei-sakagami/20090316/1237211444 ここで坂上くんは、CLANNAD AFTER STORYの最終話は「駄作」だと言っています(以下ネタバレ含むので注意)。その理由はリンク先には書かれていませんが、ぼくは彼に直接ゼロアカ懇親会で聞いたので知っています。要は、ゲームでは汐バッドエンドのあと、いろいろプレイヤーが努力してようやくトゥルーエンドに辿り着くのに、アニメでは一足飛びにトゥルーエンドに行ってしまっているからダメだ、主人公はもっと努力しなければ幸せになれないはずだ、あれでは御都合主義だというのが彼の主張です。それはまた、坂上くんがFat

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  • 政府紙幣 - hazumaのブログ

    たまには慣れない政治の話を。といっても別にオリジナルの意見があるわけではなくて、感想ですが。 政府紙幣の発行に向けて議員連盟が出来たらしいですが、この「政府紙幣」というアイデア、学生のころに岩井克人の『貨幣論』などまじめに読んだ身からすると、とんでもない話に聞こえます。それとも、ぼくの知らぬあいだに経済学のブレイクスルーでも起きたのでしょうか。日銀の管理を外れて、政府がじゃんじゃん紙幣を刷って公共事業でもやろうという話のようですが、常識で考えてそりゃまずいでしょう。 なんというか、不況や派遣切りばかりがマスコミで取り上げられて、財政改革とか言っているやつはネオリベで氏ねみたいな空気になっていますが、日の財政赤字はこの10年間でとんでもないことになっている。それは事実なわけです(下に財務省のサイトからわかりやすいグラフを張っておきます。慣れない資料を探してしまったw)。 http://ww

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  • 批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ

    とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公でにするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい

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  • シンポジウム満員御礼 - hazumaのブログ

    こちらではおひさしぶり。東浩紀です。メインのブログがなぜか不調のため、こちらに投稿しておきます。はてな記法も忘れていました。 さて、東工大のシンポジウム、無事終了しました。パネリストのみなさん、ありがとうございました。とりわけ、体調が思わしくないにもかかわらず、3時間連続の討議につきあっていただけた磯崎さんには、いくら感謝してもしきれません。基調報告を行った濱野さん、宇野さんもご苦労さまでした。 内容のほう、討議の冒頭でいきなり浅田さんから「まったく新しくない」発言があり、続けて宮台さんから「このシンポジウムは失敗だ」宣言があって、お約束とはいえどんなシンポ潰しなのかと一時は頭を抱えましたがw、最終的には浅田さんも宮台さんもいい発言をしてくださり、刺激的なシンポジウムになったのではないかと思います。 ぼくの印象に残ったところだけコメントすれば、昨日のシンポジウムでは、後半、濱野くんの発表を

    シンポジウム満員御礼 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/01/30
    当日参加しました。有意義なシンポジウムでした。|写真がいい感じ。
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