この講義ノートの構成は、酒井邦雄・寺本博美・村上亨・吉田雅彦著『経済政策入門』成文堂、2002年、に基づいています。
この講義ノートの構成は、酒井邦雄・寺本博美・村上亨・吉田雅彦著『経済政策入門』成文堂、2002年、に基づいています。
svnseedsさんのエントリーに関連していると思うので旧稿の一部をここに。これはいま書いている福田徳三論に収録するんだけれども。要するに生存権を国民にすべて認めることを福田は経済的なコストから考えているわけです。翻っては、いま某誌に書評キボンを出している稲葉・立岩本の問題意識にもクロスしていくのかなあ、と思います。 戦略的な不可知―生存権と自然淘汰=清算主義的メカニズム― (全文は『脱=「年金依存」社会』http://www.amazon.co.jp/gp/product/489434422X/に収録) 福田徳三が穂積陳重の老人権を社会権とみなすという主張に賛成したのは、彼の生存権に対する考えに基づくものであった。福田の生存権は「ナショナルミニマム」と意味するところはほぼ同じであったが、その思想的な背景はウェッブ夫妻やマーシャル、ピグーらのイギリス社会政策学派や厚生経済学の影響を受けなが
2006年08月28日18:30 カテゴリMoney トイチでなくてニジュウイチ 私自身は、年率二割で金を借りたら負けだと思っている。 週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]20%以上の金利で借金する権利がなくなる? ちなみに、最後のポイントは、まったくおっしゃるとおり。年間20%以上の収益率(厳密には、「利益+支払金利」を有利子負債で割った数値)があるビジネスでなかったら、中小企業なんて、資本蓄積がないんですから、心配しなくてもとっくの昔に潰れています。きっと霞ヶ関や大企業に勤めている方々には、過少資本の苦しみや資金繰りの苦労が分からないんでしょうね。 とはいえ、確かに競争原理で決まるべき金利に法律で天井を設けるのは腑に落ちないとも思う。 ちなみにタイトルの「ニジュウイチ」は、年利二割だと20日で一分(1.2^(20/360))になることを指している 例えば、我々は
オンラインオークションといえばこんな話もあった。*1昔々の話、まだ入札額を手動で上げていくことができた前世紀の話だ。*2その頃、次のような「変わった」現象がeBayでよく見られた。例えば、あるオークションの期限が2週間だとする。その2週間の間、なぜか価格はほとんど0のままでほとんど動かない。そして最後の最後、オークションが閉じる寸前に、入札が集中して価格が跳ね上がるのである。 何故か?一つの説明は、オークションの参加者は暗黙に談合しているというものだ。詳しく言うと、参加者は次のような戦略をとっていると考える。まず(1)「最後の瞬間」まで、価格を上げることはしない。そして「最後の瞬間」に自分の最高金額を入札する。(2)誰かが(1)のルールを「最後の瞬間」の前に破ったら、他の参加者がその時点で最高金額で入札してくる。(ProxyBiddingを仮定しよう。すると、前にも述べたように、入札する時
■ [economy]経済学と経営学の違い 溜池通信のかんべえさんが気になることを書かれていたので、とりあえず反論をば。当サイトを今でもご覧いただいているかはわからないのですけれども。 〇今日聞いた話で、これが面白かったな。「経済学と経営学はどこが違うか?」「経済学者は競争を善であると考える。従って利益がゼロの状態をもって理想とする。これに対し、経営学者は利益の極大化を理想とする」〇実際問題として、個人や企業としては利益がゼロでは困るのであって、それを理想だと思っている時点で理屈倒れになってしまう。だから、「経済学は使えない学問だ」とか、「経済学者は現実を理論に近づけようとする」といった批判が出る。他方、利益の極大化を目指す学問というのもいささか胡散臭いので、「経営学なんて科学じゃない」「言ってることがしょっちゅう変わる」といった悪口が付きまとう。〇というわけで、ふたつのサイエンスにはあま
2006年08月01日15:00 カテゴリValue 2.0 種もみと糧もみ 約束通り以下を解説する前に、 404 Blog Not Found:資本社会主義と社会資本主義 収穫物の配分を全て資本主義にまかせるべきでない理由ともなる その逆、すなわち「種もみの配分を全て社会主義にまかせるべきではない」ことから解説することにする。 実現象としては、「オリジナル」社会主義がいかに役立たずだったかは、ソ連が日本人の平均寿命より短い69年しかもたなかったという貴重な記録があるが、そこで何が起こったかを見れば、答えは明らかだ。 ソビエト人民は、種もみを全部食ってしまったのだ。 オリジナル社会主義においては、種もみはその種を播こうが播くまいが必ず配分される。そして苦労して種を播き、育て、収穫したものはすべて一旦社会に取り上げられてしまう。要するに、種を播くインセンティブが全くないのだ。 種もみは、食う
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。
【この文章は、N. Gregory Mankiwの"The Macroeconomist as Scientist and Engineer"を勝手に翻訳したものです。段階的にアップロードしていく予定です。内容などおかしなところがあれば、メールもしくはコメントにてご指摘いただければ幸いです】 バックナンバー 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(1) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(2) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(3) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(4) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(5) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(6) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(7) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(8) 科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(9) 歯医者は見当たらない ジョン・メイナード・ケインズ(Joh
Baatarismさんのご要望?にお答えして次期首相問題を考える で、現実的には麻生氏か安倍氏か、ぐらいが許容範囲。安倍氏はたぶん自分では何も考えてないので面白くないので置いといてw 麻生氏の経済関係の主張を少し考えてみようw 面倒なので今年に入ってからの発言に絞る。 ○麻生氏はキャッシュフロー仮説を支持しているようである。 この仮説はデフレ期待が続くために、企業はキャッシュフローを投資にまわさないで借金の返済にまわす+内部資金でまかなってるので銀行の貸し出しは伸びない(ちなみに回復期でもすぐには伸びない)というもの。 リフレ派の理論的コアのひとつ。 麻生外相はこれを支持して日本経済の全体像をみているようだ。 「しかし、これまで貸し渋りや貸しはがしで痛い目にあってきた企業は、安易に金を借りようとはしません。 そこで余裕資金というか、経常利益の範囲でくらいしか設備投資をしようとはしないんです
経済学者は進化理論家から何を学べるだろうか。 What Economists Can Learn From Evolutionary Theorists (ヨーロッパ進化政治経済協会での講演, 1996/11) Paul Krugman 山形浩生 訳 おはようございます。進化論的政治経済を専門にする人々に向かってお話するというので、大いに名誉だと思う一方で、ちょっと不安でもあります。すでにご存じかと思いますが、わたしは進化経済学者というわけじゃ必ずしもありません。自分が多くの人よりも経済学に対するオルタナティブなアプローチには好意的だと思いたいところですが、でも基本的にわたしは最大化と均衡を奉じるような輩です。それどころか、多くの場合にはわたしは、標準の経済モデルの重要性を熱烈に擁護する立場にまわります。 じゃあなぜこんなところにきたのか? ええ、理由の一つは、わたしの研究が新古典派パラダ
市場の失敗 (しじょうのしっぱい、英: market failure)とは、市場経済が働いた結果、資源配分が最適ではない状態、つまり経済的な「パレート効率性」が達成されていない現象を指す。 ある前提の下では、需要と供給の均衡によりパレート最適な配分を実現し、安定した経済を形成すると考えられている市場メカニズムは、多くの経済学者から支持を得ている方法である。ただし、人々や企業が利潤を最大化しようと利己主義的に行動(見えざる手)したことで、社会的に望ましくない・最適(パレート最適)ではない結果がもたらされるケースもある[1]。例えば、独占や寡占、失業や公害、貧富や格差などの「市場の失敗」が生じる[2]。 経済学者の八田達夫は市場の失敗は一般的に、1)外部性(外部経済・外部不経済)、2)公共財、3)情報の非対称性、4)規模の経済、の4つの類型があるとしている[3]。 経済学者の飯田泰之は市場の失
ハンガリーの経済学者コルナイの自伝。ハンガリー語では、日本語と同じように姓・名の順に書くので、コルナイ・ヤーノシュが正しい表記だ。バルトークも本来はバルトーク・ベーラ、フォン・ノイマンもノイマン・ヤーノシュである。 経済学者の伝記がおもしろい本になることはまずないが、本書は例外である。1928年生まれの著者の人生は、20世紀の社会主義の運命とそのまま重なる。著者は共産主義者として青春を過ごし、戦後はハンガリーの社会主義政権のもとで、ナジ首相のスピーチライターもつとめた。しかしハンガリーの民主化運動は、1956年にソ連の軍事介入によって弾圧された。著者はマルクス主義と決別し、政治の世界を離れて研究者になる。 著者は、線形計画法を使って計画経済を効率化する研究を行う。特に1965年に数学者リプタークとの連名で発表した"Two-Level Planning"(Econometrica)は、社
(The Economist Vol 379, No. 8483 (2006/6/24), "Economic Focus: The euro and trade," p. 90) 山形浩生訳 (hiyori13@alum.mit.edu) 通貨統合のメリットと称されるものは、実はかなり小さかった。 ヨーロッパ通貨統合という大胆な実験についてはまだ論争が続いているが、少なくともそのコストと便益がどこらへんにあるかについては、多少なりとも合意ができている。コストはマクロ経済的なもので、メンバー国の個別の経済状況にあわせて金利を設定できなくなるということだ。便益はミクロ経済的なもので、貿易や経済成長が拡大する可能性だ。なぜ拡大するかといえば、各国の通貨を両替するコストや、為替レートの不確実性が取り除かれるからだ。 たとえば 2003 年にイギリス財務省は、フランクフルトの設定した金利でやってい
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