「プッシュ・オーケー?」と家をのぞきこむ米兵 1947年9月9日、午後10時ごろだった。越来(ごえく)村字安慶田(あげだ)(現沖縄市)の松林で、ドラム罐をたたく音がし始めた。それは松林のなかの仮小屋から始まって、しだいに丘の下のほうへ伝わり、木の枝に吊った酸素ボンベや軒先の石油罐など、一斉に鳴りだした。 敗戦から2年後、いったん“捕虜”の扱いをうけた住民も収容所から出されて、ほとんどが仮小屋の不便な暮らしながらも、生活の建てなおしをはかっている時期である。この住民区域に、夜になると米兵が女漁りにあらわれ、「プッシュ・プッシュ・オーケー?」と誘惑とも脅迫ともつかぬことば(プッシュは性交の意味)をならべながら、家をのぞきこむ。 人妻であろうが娘だろうが拉致して行き、2、3日もてあそんでから帰すようなことが頻繁に起こっていた。住民はたった一つの自衛手段として、音のするものをガンガンたたき、斧や棒
