首相は「国民が(私の)聞く耳を持たなくなっていってしまったのは残念で、私の不徳の致すとこその原因は二つだけ言う。一つは普天間の問題だ。今ひとつは政治とカネの問題だ。さらに政治とカネに決別をさせる民主党を取り戻したいと思っている」と述べた。 そのうえで「このことで私自身も職をひかせていただくことになる。幹事長と相談し、『私もひく。幹事長も恐縮だが、幹事長の職をひいてもらいたい。そのことによって新しい民主党を作ることができる』と言った」として、小沢幹事長に退任を迫ったと説明した。
鳩山由紀夫首相は31日夕、民主党内から自発的な辞任を求める声が出ていることについて「いろいろと私自身のことでご迷惑をかけていることは理解している。ただ、国民のために働かせていただきたい。初心に戻る思いでがんばるしかない」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。 ぶら下がり取材の詳細は以下の通り。 小沢幹事長らとの会談 −−先ほど国会内で民主党の小沢一郎幹事長、輿石東参院議員会長と話をしていたが、党の運営や今後の政権のあり方など、どういった話し合いだったのか 「厳しい局面だけれども、国家国民のために3人で力を合わせてがんばろうと。その打ち合わせです」 首相進退 −−首相の続投については確認したか 「それは当然であります」 −−各社の世論調査で内閣支持率が2割を切り、首相が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で辞任すべきという声も半数を超えている。どのように受け止めるか 「厳しさはよく
鳩山内閣は、読売新聞社の緊急全国世論調査(5月29〜30日実施)で支持率が19%に下落し、平成以降で5番目の「20%割れ内閣」となった。 過去の4人の首相は、その後2〜7か月ほどで退陣しており、データで見ると、鳩山首相も厳しい状況に追い込まれている。 過去に支持率が20%を割り込んだのは、竹下(最低8%)、宮沢(同10%)、森(同9%)、麻生(同17%)の各内閣だ。竹下、宮沢両内閣は約2か月後に退陣した。森、麻生両内閣はその後、支持率をやや持ち直したが、低迷から抜け出せなかった。宮沢内閣は1993年、麻生内閣は2009年の衆院選に敗れて政権を失い、自民党は野党に転落した。 鳩山内閣で特徴的なのは、昨年9月の発足直後の緊急調査で75%あった支持率が、8か月余りで56ポイントも急落したことだ。とくに、当初60%あった無党派層の支持率は今回9%と、1けたにまで落ち込み、民主支持層での支持率も97
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