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平和に関するooaminosoraのブックマーク (3)

  • 長崎市|平和・原爆|長崎平和宣言

    68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。 日政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委

    ooaminosora
    ooaminosora 2013/08/10
    人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。>その通り。
  • 朝日新聞デジタル:平和への誓い 被爆者代表・築城昭平さん - 社会

    今年もまた、暑い夏がやってきました。あの日のことは、私の脳裏から消えることはありません。 長崎原爆の日「原点に返れ」首相あいさつ〈全文〉長崎市長平和宣言〈全文〉  当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。毎日、動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロのところにある寮に戻ったのが午前7時ごろでした。主のカボチャをべた後、すぐに寝ました。  バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついた時には部屋の壁に打ちつけられていました。隣に寝ていた友人は血だるまになっていました。私自身も左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていましたが、はだしのまま20メートルほど先の防空壕(ごう)まで逃げました。  防空壕の中はすでに人でいっぱいでした。その前には黒焦

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    ooaminosora 2013/08/09
    ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください>よく聞けよ、阿倍。
  • 若者を戦争の犠牲にする政治はいらない-私の細胞は平和憲法、私は憲法9条に守られた――高遠菜穂子さん - Bloggers Today - 朝日新聞社(WEBRONZA)

    沖縄県宜野座村のキャンプ・ハンセンで昨日(8/5)起きた米軍ヘリの墜落事故。住宅地から4キロしか離れておらず、「もし住宅地に墜落していたら」という沖縄県民の怒りは当然です。加えて、米軍がオスプレイの普天間飛行場への追加配備を強行しようとしていた最中でもありましたが、この上にオスプレイの追加配備を強行することなど許されません。 そして、きょう8月6日は、広島に原爆が投下されてから68年となる「原爆の日」です。68年を経てもなお、「ナチスの手口学べ」(麻生太郎副総理兼財務相) 、「国防軍に従わず戦争しないものは軍法会議で死刑」(石破茂自民党幹事長)などと公言してはばからない政権党。多数の議席を持つ危険極まりない政権与党のこうした性を抑え込んでいくためには、私たち一人ひとりの「細胞は平和憲法でできている」「私たちは憲法9条で守られている」ということを日々示しその思いを広げていくほかないと思いま

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    ooaminosora 2013/08/07
    自国の「安全」のために若者たちを戦地に行かせる政治ではなくて、紛争を予防する外交・政治を本気でしてくれる政治家がほしい。>防衛の本質はそこだよね。
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