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戦後史の検索結果1 - 38 件 / 38件

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戦後史に関するエントリは38件あります。 社会歴史 などが関連タグです。 人気エントリには 『今もいる。見えてない。隠されている。――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて』などがあります。
  • 今もいる。見えてない。隠されている。――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて

    本書『ひとり暮しの戦後史』に書かれた女性の人生は多様だ。彼女たちの人生を通じて、まさしく戦後史のB面にふれることができる。その多様な人生において、悲しいかな、経済的に豊かではないということは共通していた。 私の祖母は、私の母を生んでから数年後に寡婦となった。続いて舅も亡くなり、農家は男手を失った。一家の大黒柱として、祖母は外で働き始めた。それから50年以上働き続けた祖母が、私の高齢女性のモデルであった。 一家7人を養うため、生活のために働いていた祖母は、職歴や学歴があったキャリア女性というわけではない。祖母が落ち着いた職業は保険外交員。職歴や学歴を問わずとも女性が働ける職場であった。自分の夫が亡くなったときいかに苦労をしたか、と保険の大切さを説いていた(それはつまり、いかに公的扶助が足りなかったか、ということである)。そして、寡婦・母子家庭子供会で、福祉活動をしていた(そう、これも、いかに

      今もいる。見えてない。隠されている。――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて
    • ブースカちゃんはANTIFA on Twitter: "あなたがいくつくらいの年齢の人なのか、どういう背景をお持ちなのかはわかりませんけど、最近は若い人だけでなく、高齢の人でも、日本の戦後史をまったく知らない人がいるので、常識の範囲内でちょっとだけ書いておきますね。 (・ω・) https://t.co/0cmeDH17sa"

      あなたがいくつくらいの年齢の人なのか、どういう背景をお持ちなのかはわかりませんけど、最近は若い人だけでなく、高齢の人でも、日本の戦後史をまったく知らない人がいるので、常識の範囲内でちょっとだけ書いておきますね。 (・ω・) https://t.co/0cmeDH17sa

        ブースカちゃんはANTIFA on Twitter: "あなたがいくつくらいの年齢の人なのか、どういう背景をお持ちなのかはわかりませんけど、最近は若い人だけでなく、高齢の人でも、日本の戦後史をまったく知らない人がいるので、常識の範囲内でちょっとだけ書いておきますね。 (・ω・) https://t.co/0cmeDH17sa"
      • ジャニーズ事務所と統一教会を結びつける“ある芸能夫妻”…知られざる芸能の戦後史

        「懐かしい」というアラフィフの方もいるかもしれない、昭和のテレビCM。実はこの「一和」という会社は旧統一教会のフロント企業とされ、このCMに出演していたのは宝塚歌劇団で活躍した元娘役スターのあの女優。こういった“事案”はやはり耳目を集めやすいのか、YouTubeなどでこうしたCMをまとめた動画が散見される。(画像は「YouTube makotosuzuki」チャンネルより) ジャニーズ事務所はかつて、世界平和統一家庭連合(以下:統一教会)とのあいだに“間接的な接点”を持っていた。もちろん、所属タレントが関連イベントにビデオメッセージを送っていた、ライブ会場で高額の壺を売っていた……という話ではない。旧統一教会(あるいは関連団体)のPR活動にかかわっていた2人の人物と、蜜月関係にあったのである。 霊感商法問題化以前は、テレビでフツーに流れていた統一教会系のCM 旧統一教会のいわゆる“フロント

          ジャニーズ事務所と統一教会を結びつける“ある芸能夫妻”…知られざる芸能の戦後史
        • 優しかった独身女性たちの記憶、背景を知り瞠目する――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて

          戦争で夫や恋人を失い、あるいは疎開や戦災・戦後の生活難に振り回されたがために婚期を逸し、その後も「ひとり暮し」を続けざるをえなかった女性たちは、戦後30年を経た段階で約100万人いたとされる。1976年(昭和51)生まれの私にとって、そうした境遇の女性は身近な存在であり、わが家の近所にも、また親戚にも何人かいた。 その中のある女性は、学徒出陣により沖縄で戦死した私の伯父の想い人だった。伯父の死亡日は1945年6月23日とされているから、沖縄戦が終わった「慰霊の日」と同じである。彼女は伯父の50回忌を迎えるまで、命日には折々わが家を訪ねてくれた。また別の親戚の女性は、戦後の食糧難の時期に「口減らし」のため里子に出され、その後も他の兄弟・姉妹の生活を支えるために必死に働き、ついに良縁を得なかったという。 私の記憶の中にある彼女らの印象は、男社会の中で不利な立場に置かれながらも、しっかりと自身の

            優しかった独身女性たちの記憶、背景を知り瞠目する――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて
          • 戦後史の「主演」が舞台降りた 女王なき英国、求められる次代の姿は:朝日新聞デジタル

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              戦後史の「主演」が舞台降りた 女王なき英国、求められる次代の姿は:朝日新聞デジタル
            • 常夏通信:その105 戦没者遺骨の戦後史(51)コロナ禍の五輪 歴史は再現? | 毎日新聞

              権力者は、私たち庶民の想像力をはるかにこえた、桁外れの間違いをする。そしてそのツケは庶民に長く広く押しつけられる。それが一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている「常夏記者」こと私の「常夏史観」だ。コロナと東京オリンピックを巡る政治をみていると、「ああ、やっぱり常夏史観は正しいのかな」と思う。 五輪まっただ中で、新型コロナの感染拡大が続いている先月30日夜、菅義偉首相は記者会見を開いた。東京、沖縄の緊急事態宣言は延長された。さらに4府県が追加された。沈静化する見込みはないが、五輪は中止しない。交通規制やテレワークで人流(人出)が減少している。それが菅首相の認識だ。記者の一人が「ワクチン接種も進み、人流が減っているのであれば首都圏でここまで感染が急拡大することはないのではないか」とただした。 五輪、コロナ拡大に影響なし? 菅首相は、およそ18万人が来日すべきだったところ国際オリンピック

                常夏通信:その105 戦没者遺骨の戦後史(51)コロナ禍の五輪 歴史は再現? | 毎日新聞
              • 【独自】自由同和会の京都トップ・上田藤兵衞の告白本が戦後史を書き換えてヤバすぎる件…イトマン事件とを引き起こした闇社会の住人たち(伊藤 博敏) @gendai_biz

                永田町(政界)、霞が関(官界)、経済界、任侠界を縦横無尽に飛び回る部落解放運動家──通称「同和のドン」と呼ばれるフィクサーがいる。1945年生まれ。現在も存命の上田藤兵衞(うえだ・とうべえ)氏(「自由同和会」創立メンバー)だ。 前篇《【独自】岸田文雄と写真におさまり、山口組五代目とも盟友だった「同和のドン」上田藤兵衞が初めて口を開いた》に引き続き、骨太ノンフィクション『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』の内容のエッセンスを速報する。 自民党の歴代総理大臣経験者や経済人、広域暴力団の親分衆の実名がこれでもかと躍る。マスメディアでは報じられないアンダーグラウンドな戦後日本史に、読者は瞠目するはずだ(以下、文中敬称略)。 『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』連載第1回後篇 東京佐川急便事件につながる点と線 前回の連載《【独自】岸田文雄と写真におさまり、山口組五

                  【独自】自由同和会の京都トップ・上田藤兵衞の告白本が戦後史を書き換えてヤバすぎる件…イトマン事件とを引き起こした闇社会の住人たち(伊藤 博敏) @gendai_biz
                • 常夏通信:その86 戦没者遺骨の戦後史(32) あまりにずさんな遺骨収容の実態 | 毎日新聞

                  「この人たちは、本当に日本人の遺骨を日本に取り戻すという気持ちをもっていたんだろうか」。その報告書を見て、私はそう思った。「『すべてが日本人の遺骨ではないかもしれない』。現地で収容に当たった厚生労働省の担当者の中には、そう感じる人はいなかったのだろうか」とも。 本連載その85で見た通り、2019年夏、ロシアで厚労省がシベリア抑留で亡くなった「日本人」として収容し日本に移した遺骨の多くが、日本人ではなかったことが分かった。悪意はなかったとしても他国、他民族の墓を荒らしてしまったのだ。墓を間違えること自体は、やむを得ない面もある。しかしDNA鑑定の専門家が繰り返し「日本人ではない可能性がある」と指摘したにもかかわらず、厚労省はそれを事実上無視した。なぜそんなことになったのか。 厚労省は第三者による検証を余儀なくされた。たとえば「戦没者遺骨の所属集団の鑑定及び鑑定方法の検討等に関する専門技術チー

                    常夏通信:その86 戦没者遺骨の戦後史(32) あまりにずさんな遺骨収容の実態 | 毎日新聞
                  • 陸軍将校たちの戦後史 角田 燎(著) - 新曜社

                    紹介 戦後、親睦互助を目的として戦友会を結成した旧陸軍のエリートたちは、戦争を指揮したことに自責の念を抱いていた。その彼らがなぜ「歴史修正主義」に接近し、政治団体として会を先鋭化させていったのか。陸軍将校たちの戦後史と戦争観の変容に迫る。 *これまでの軍隊経験者の戦後史研究はおもに、末端の兵士や下士官(準エリート)を扱ってきた。本書は、旧陸軍の上級者であった者たちに焦点を絞り、彼らの戦後史と戦争認識を明らかにしている。 *戦友会を対象とした従来の研究群においても、戦友会の非政治性や、戦後世代へ会を継承することの困難さが指摘されてきた。一九九〇年代に会の政治化を遂げ、元自衛隊幹部へ門戸を開いた本書の事例は、戦友会研究の蓄積にも一石を投じるものである。

                      陸軍将校たちの戦後史 角田 燎(著) - 新曜社
                    • 兵藤釗『戦後史を生きる』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

                      兵藤釗『戦後史を生きる 労働問題研究私史』(同時代社)を、聞き手の1人である野村正實さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。 http://www.doujidaisya.co.jp/book/b456806.html 「兵藤さんは労働問題研究の最盛期を作り上げた中心的研究者です。兵藤さんの研究の歩みを理解することは、とりもなおさず労働問題研究とは何であるのか、何であったのか、を理解することにつながります」野村正實 「兵藤先生が私たちのどのような質問に対しても極めて率直に答えてくださったことです。研究についてはもちろんですが、思想形成や生き方そのものについても然りでした。その中には、東大闘争の際の行動や東大定年後に転任された埼玉大学で発生した学長選挙やり直し事件への対応等、先生が関与された事件の話も含まれています」上井喜彦 戦後生まれの研究者二人に、自らの思考の軌跡と時代精神を

                        兵藤釗『戦後史を生きる』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
                      • 飢餓のガダルカナルで大隊長は肉の缶詰を独占していた・・・ 『兵士たちの戦後史』 | BOOKウォッチ

                        タイトルを見ただけで、何となくわかったような気分になる。『兵士たちの戦後史――戦後日本社会を支えた人びと』 (岩波現代文庫)。あの戦争を戦った元日本軍兵士が、戦後の日本社会でどう生きて、どんな思いを抱いていたかという物語――。 たしかにその通りの内容だが、いろいろと認識を新たにするような話が出てくる。とにかく「エビデンス」が豊富なのだ。「元日本軍兵士」と言っても多様で、決してひとくくりにできないことがよくわかる。 「日本軍兵士」の多くは餓死 著者の吉田裕さんは1954年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任教授。東京大空襲・戦災資料センター館長。2017年に出した『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』 (中公新書)がベストセラーになった。アジア・太平洋賞特別賞や新書大賞を受賞。BOOKウォッチでも紹介した。 同書の最大の特徴は、兵士たちの最期が、実は悲惨なものだったということを克明に伝

                          飢餓のガダルカナルで大隊長は肉の缶詰を独占していた・・・ 『兵士たちの戦後史』 | BOOKウォッチ
                        • 日本における 飛行機から自動車へ 航空技術者たちの戦後史

                          HIROKI HONJO @sdkfz01 【飛行機から自動車へ 航空技術者たちの戦後史】 1945年、日本は戦争に敗れました。それは、戦時下にあって世界水準の航空機をいくつも開発してきた航空技術者たちの努力が潰えたことを意味していました。 やがてGHQが航空機の製造を禁じると、彼らの多くが未だ揺籃期にあった自動車産業へ移ります。 pic.twitter.com/FqKdUc6FhP 2020-04-18 15:30:23 HIROKI HONJO @sdkfz01 そこで彼らが目にしたのは、幼稚な技術、貧弱な設備、不足する資金、多発する不具合でした。これだけでも大変な逆境ですが、更なる脅威がありました。欧米の巨大自動車会社が日本市場を狙っていたのです。 日本の再建を賭け、彼らは再び日の丸を背負い、技術の戦いの最前線に立つのです。 pic.twitter.com/fe7RYXNeDU 20

                            日本における 飛行機から自動車へ 航空技術者たちの戦後史
                          • 『シン・ウルトラマン』の55年以上前から「ウルトラマン」は社会問題を描いていた──「特撮」から見る戦後史|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

                            <若い肉体を求める誘拐犯から、避難民のエイリアン、化学物質を過剰摂取した猿まで――。環境問題や東西冷戦、核開発、人口問題など、さまざまな現実の社会問題をウルトラマンシリーズは描いてきた> 『シン・ゴジラ』は、震災や原発、安全保障、政治システムといったさまざまな社会問題の暗喩としても読み取れる作品であった。『シン・ウルトラマン』ではどんな問題が提起されるのか気になるところだが、そもそもウルトラマンシリーズは子ども向け番組でありながら、「特撮」というフィルターを通して、現実の社会問題も描いてきた。物語を俯瞰すると、もうひとつの戦後史、昭和史が見えてくる。現在発売中のPen 6月号『ウルトラマンを見よ』特集から抜粋してお届けしよう。 【環境汚染】 第二次世界大戦後、日本は科学によって急激に発展を遂げた。しかし同時に失ったものも大きい。自然環境である。アメリカでは1962年、生物学者レイチェル・カ

                              『シン・ウルトラマン』の55年以上前から「ウルトラマン」は社会問題を描いていた──「特撮」から見る戦後史|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
                            • 常夏通信:その68 戦没者遺骨の戦後史(14) 〝地獄〟硫黄島からの生還者「戦場に聖人君子はいない」 | 毎日新聞

                              その元海軍中尉は、私の目をまっすぐに見ながら言った。「むごい、と思いますか? では1週間、いや3日でもいい。飲まず食わずの生活をしてみてください。少しは当時の状況が想像できるかもしれません」。第二次世界大戦末期、硫黄島(東京都小笠原村)の日本軍守備隊は米軍と激戦、2万人が戦死した。生還した大曲覚さん(故人)が、私のインタビューに戦場の地獄を振り返ってくれた。「戦場に聖人君子はいません」 ペリリューにサイパン、フィリピン、沖縄と旧満州(現中国東北部)。一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている常夏記者こと私は、第二次世界大戦の激戦地から生還した人たちから話を聞いてきた。行軍の途中で歩けなくなった戦友を助けることができなかった。自分のことで精いっぱいだった。逃げ惑う途中、母親が爆撃で倒れた。「あなたたちは逃げなさい」とうながされ、母を置いて現場を離れざるを得なかった。「戦友が死にそうにな

                                常夏通信:その68 戦没者遺骨の戦後史(14) 〝地獄〟硫黄島からの生還者「戦場に聖人君子はいない」 | 毎日新聞
                              • 常夏通信:その56 戦没者遺骨の戦後史(2) 遺族任せの硫黄島での収容 国の手抜きでは | 毎日新聞

                                東京都心からおよそ1250キロの南に、硫黄島(東京都小笠原村)はある。第二次世界大戦末期の1945年2~3月、日米両軍が死闘を展開した。 米軍は44年夏にサイパンなどマリアナ諸島を占領した。そこから大型爆撃機B29を飛ばし、日本本土を爆撃していた。ただB29は新鋭機であり、故障がままあった。また爆撃機には護衛の戦闘機をつけるのが望ましいが、戦闘機は航続距離が短く、マリアナからB29に同行し、往復することはできなかった。 硫黄島は、そのマリナア諸島と日本本土の中間地点で、飛行場があった。米軍としては故障や被弾などで飛行できなくなった爆撃機が着陸する場所として、また護衛の戦闘機の基地としても必要な島であった。日本軍としては、何としても守り抜くべき島だった。 45年2月19日。米軍が上陸した。およそ6万人。迎え撃つ日本軍は2万1000人とされる。米軍には兵士や武器弾薬、食料などの補充がある。それ

                                  常夏通信:その56 戦没者遺骨の戦後史(2) 遺族任せの硫黄島での収容 国の手抜きでは | 毎日新聞
                                • 室井康成(Muroi Kosei) on Twitter: "1975年刊行の岩波新書『ひとり暮しの戦後史ー戦中世代の婦人たち』。戦争で未亡人となり、あるいは戦後の混乱期に家族を支えるために働いて婚期を逸した「一人暮らし」の女性たちが、サービス業や企業の事務担当者として熟練し、高度経済成長を… https://t.co/klqCizwUzK"

                                  1975年刊行の岩波新書『ひとり暮しの戦後史ー戦中世代の婦人たち』。戦争で未亡人となり、あるいは戦後の混乱期に家族を支えるために働いて婚期を逸した「一人暮らし」の女性たちが、サービス業や企業の事務担当者として熟練し、高度経済成長を… https://t.co/klqCizwUzK

                                    室井康成(Muroi Kosei) on Twitter: "1975年刊行の岩波新書『ひとり暮しの戦後史ー戦中世代の婦人たち』。戦争で未亡人となり、あるいは戦後の混乱期に家族を支えるために働いて婚期を逸した「一人暮らし」の女性たちが、サービス業や企業の事務担当者として熟練し、高度経済成長を… https://t.co/klqCizwUzK"
                                  • 常夏通信:その67 戦没者遺骨の戦後史(13) 硫黄島生還者が語る栗林忠道中将 戦術巡る対立でいらだち | 毎日新聞

                                    第二次世界大戦末期、硫黄島(東京都小笠原村)の戦いでは、日本軍守備隊約2万1000人のうち、生き残ったのは1000人ほどだった。私はこのうち3人にインタビューしたことがある。大曲覚さん(故人)はその一人だ。日本軍の奇跡的善戦で知られる硫黄島の戦いだが、兵士たちは米軍との戦闘前から相当弱っていたようだ。「兵たちは壕(ごう)掘りや陣地造りのため、ほとんど不眠不休で働いていました。おまけにアメーバ赤痢や飢え、渇きに苦しんでいたんです。米軍が上陸してくる前、すでにまともに戦える状態ではなかった」と、大曲さんは証言してくれた。 1922年、福島県小高町(現南相馬市)生まれ。地元の旧制中学を卒業し海軍を志願。44年5月、21歳で少尉に任官した。同年8月、南方諸島海軍航空隊(南方空)の一員として渡島。若くしておよそ200人を指揮する立場である。 硫黄島の戦いといえば、守備隊を指揮した栗林忠道陸軍中将(戦

                                      常夏通信:その67 戦没者遺骨の戦後史(13) 硫黄島生還者が語る栗林忠道中将 戦術巡る対立でいらだち | 毎日新聞
                                    • 戦後史のタブー・パンドラが開いた - 植草一秀の『知られざる真実』

                                      7月11日に鳩山友紀夫元内閣総理大臣が理事長を務める東アジア共同体研究所が主宰するUIチャンネルに出演させていただいた。 https://www.youtube.com/watch?v=_-jTiEwJ_Ss 対談テーマは「参院選結果と日本の諸問題」 上記URLで視聴が可能なのでぜひご高覧賜りたい。 参院選は予想通り自民大勝、立憲惨敗、維新伸長という結果に終わった。 投票日2日前に安倍晋三元首相が殺害された事件は自民党の得票を増やす効果を持ったと見られる。 自民党は改選過半数の63議席を獲得。 立憲民主党の獲得議席は16議席(6年任期の議席数)。 非改選議席を1獲得したが、これを含めた非改選議席23から7議席も少ない獲得議席数になった。 維新は比例で8議席を獲得し、比例7議席の立憲を抜き、比例獲得議席数で第2党になった。 2014年から2017年までの国政選挙では投票率が約5割の状況下で自

                                        戦後史のタブー・パンドラが開いた - 植草一秀の『知られざる真実』
                                      • 瀬長亀次郎氏の活動写真もネットで閲覧できる 沖縄の戦後史を記録した1万3000点の写真を公開 - 琉球新報デジタル

                                        革新共闘会議の活動で、腕を組む(左から)屋良朝苗氏、瀬長亀次郎氏、上原康助氏、安里積千代氏=1970年前後(読谷村史編集室所蔵) 読谷村史編集室は22日、沖縄の日本復帰運動や戦後教育の象徴的な場面などを含む写真資料がインターネット上で閲覧できる「沖縄戦後教育史・復帰関連資料」の写真データベースの公開を開始した。写真は、県教職員組合(沖教組)から2013年に譲り受けた資料で、1964年から2000年までに撮影された1万3145点。クラウドファンディングで支援を募り、写真やフィルムの電子化に取り組んだ。同村は、戦後史の学習や調査・研究などを含め、幅広く活用を呼び掛けている。 データベースには、復帰闘争や全軍労スト、教公2法阻止に向けた運動、毒ガス移送などの政治社会史や、沖縄教職員会の活動などの写真がある。瀬長亀次郎氏や屋良朝苗氏ら戦後を代表する政治家らの活動も記録されている。 電子化やデータベ

                                          瀬長亀次郎氏の活動写真もネットで閲覧できる 沖縄の戦後史を記録した1万3000点の写真を公開 - 琉球新報デジタル
                                        • 日本人が「知ってはいけない」、日本とアメリカの「本当の関係」…日本の戦後史最大の「謎と闇」(矢部 宏治)

                                          日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。 日米両国の「本当の関係」とは? 安保関連法を強引に可決させた安倍首相は、おそらく日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカと「どんな攻撃に対しても、たがいに血を流して守りあう」対等な関係になれるという幻想を抱いているの

                                            日本人が「知ってはいけない」、日本とアメリカの「本当の関係」…日本の戦後史最大の「謎と闇」(矢部 宏治)
                                          • 『「なんで英語やるの?」の戦後史』 | 荒野に向かって、吼えない…

                                            寺沢拓敬著 『「なんで英語やるの?」の戦後史  <国民教育>としての英語、その伝統の成立過程』 この文章を読んでいるあなたは何歳だろうか。日本の公立学校で教育を受けたとしたら、ほとんどの人が中学時代に英語を学んだはずだ。あるいはすでに、小学校で英語の授業があったという人もいるだろう。 僕は1970年代後半生まれだが、同世代で中学に上って英語の授業が始まることに不安や不満を覚えた人はいるかもしれないが、なぜ中学生になったら英語を学ばなければならないのかについて根本的な疑問を抱いたことがあったという人はごく少数だったのではないだろうか。それほど当たり前のこととして、英語というのは(強制的に)学ばねばならないのだという考えが内面化していたし、僕より若い世代にとってはなおさらそうだろう。 「まえがき」にこうある。「そもそもいつから、全員が英語をやるルールになったかご存知でしょうか」。これを「英語が

                                            • 格差拡大を問題と受け止めた1958年の「経済白書」から約40年後、竹中平蔵が議論を主導した「経済政略会議」は格差拡大を正当化する答申を発表した 〜 橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』より - kojitakenの日記

                                              橋本健二著『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書,2020)を読み終えた。少し前のピケティを思い出させる本だが、本書が河出ブックスから最初に出たのは2009年で、ピケティよりも早い。経歴も、主流派経済学から始めたピケティとは対照的に、マルクス主義の立場から研究に入った人ではないかと推測されるが、本書では随所にマルクス主義系の研究者に対して容赦ない批判を浴びせるくだりがある。ことに1970年代の日本共産党に対する批判は辛辣を極めている(後述)。著者は、当時の共産党は資本家階級対労働者階級の対立構造しか認めておらず、中間階級の生成を否定し、共産党系の研究者たちに対してもそのような階級観を押しつけたと考えているようだ。ピケティは主流派経済学のあり方を批判し、橋本健二はマルクス主義経済学のあり方を批判した結果、類似した地点に到達したかの観がある。随所に小説(太宰治の『斜陽』や松本清張の『砂の器』

                                                格差拡大を問題と受け止めた1958年の「経済白書」から約40年後、竹中平蔵が議論を主導した「経済政略会議」は格差拡大を正当化する答申を発表した 〜 橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』より - kojitakenの日記
                                              • 「あの事件をやったのはね、兄さんかもしれない」私の祖父は“戦後史最大のミステリー”下山事件の実行犯なのか?〈衝撃的な大叔母の証言〉 | 未解決事件を追う | 文春オンライン

                                                〈“戦後史最大のミステリー”として、いまなお多くの謎につつまれる占領期最大の未解決事件「下山事件」〉。今年3月に「NHKスペシャル」で取り上げられ、あらためて話題を呼んだ。「あの事件をやったのはね、もしかしたら、兄さんかもしれない」。祖父についての親族の証言を契機に「下山事件」に新しい光を当てた作家・柴田哲孝氏の著書『下山事件 最後の証言 完全版』(祥伝社文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編から続く) ◆ ◆ ◆ 祖父の後ろ姿を追っていた幼少期の記憶 かすかな記憶がある。 私は泣きながら、必死に祖父の後ろ姿を追っていた。 季節は、初冬だった。まだ生まれたばかりの弟が母の背に負ぶわれていた頃だから、私はおそらく3歳にはなっていなかったと思う。午前中の穏やかな日射しが、街並を淡い色に染めていたことを覚えている。 祖父の背中は遥か遠くにあった。私は、何かを叫んでいた。祖父の名

                                                  「あの事件をやったのはね、兄さんかもしれない」私の祖父は“戦後史最大のミステリー”下山事件の実行犯なのか?〈衝撃的な大叔母の証言〉 | 未解決事件を追う | 文春オンライン
                                                • 時代の風:BC級戦犯の戦後史 黒塗りでは忘れられる=梯久美子・ノンフィクション作家 | 毎日新聞

                                                  戦後75年の夏が過ぎようとしている。毎年この季節には、どのようなテーマと切り口であの戦争の報道がなされるか注視しているが、近年ほとんど取り上げられることのないテーマがある。BC級戦犯のことである。 戦犯とは戦争犯罪人のことで、A、B、Cは犯罪の内容による分類(Aは平和に対する罪、Bは通例の戦争犯罪、Cは人道に反する罪)である。 いわゆる東京裁判で裁かれたA級戦犯についてはさまざまに研究がなされ、メディアで取り上げられることも多いが、BC級戦犯については、若い世代では聞いたことさえない人がいるのではないだろうか。

                                                    時代の風:BC級戦犯の戦後史 黒塗りでは忘れられる=梯久美子・ノンフィクション作家 | 毎日新聞
                                                  • 【感想】中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』 - 明晰夢工房

                                                    「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史 (幻冬舎新書) 作者:中村 光博 発売日: 2020/01/30 メディア: 新書 2010年、「伊達直人」を名乗る人物から児童福祉施設に寄付が行われる「タイガーマスク現象」が起きた。「伊達直人」からプレゼントが届けられた児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」の事務室には、靴磨きをしている少年たちの写真が飾られている。この少年たちは戦争孤児だ。伊達直人ことタイガーマスクは孤児院の出身という設定だが、「伊達直人」が寄付をしたこの施設にも、かつては戦争孤児が存在していた。本書『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』では、この施設に飾られている写真に写っている元戦争孤児へのインタビューも掲載されている。 写真の中で靴磨きをしていた戦争孤児のひとりが伊藤幸男さんだ。伊藤さんは大阪で空襲に遭い、後に母も過労で逝ったため10歳で放浪生活に

                                                      【感想】中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』 - 明晰夢工房
                                                    • なぜ「日本兵1万人」が消えたままなのか…“硫黄島に人生を賭けた記者”が挑んだ「戦後史の謎」(酒井 聡平)

                                                      なぜ日本兵1万人が消えたままなのか? 滑走路下にいるのか、それとも…… 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査した北海道新聞記者・酒井聡平氏による『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が7月27日に刊行される。 硫黄島に渡り、土を掘り、汗をかいた新聞記者が執念でたどりついた「真実」とは――。 「硫黄島 連絡絶ゆ」 約1ヵ月前に硫黄島南部に上陸した米軍は遂に、兵団司令部壕の目前に迫っていた。 キャタピラ音や砲撃音が、絶海の孤島の温い空気を切り裂く。戦車を先頭に前進する米軍部隊が、壕の入り口からも見える。それほどの近さだ。 「死を急ぐな!死を急ぐな!」 壕の入り口に立つ髭面の参謀の声が響く。最高指揮官の栗林忠道中将が守備隊兵士2万3000人に命じたのは、1日でも長い持久戦だ。米軍の本土侵攻を1日でも遅らせる狙いがあった。「壕に戻れ!壕に戻れ!」。出撃しようとする兵士

                                                        なぜ「日本兵1万人」が消えたままなのか…“硫黄島に人生を賭けた記者”が挑んだ「戦後史の謎」(酒井 聡平)
                                                      • 基地の街にロックは流れて~嘉手納とコザの戦後史~ - ETV特集

                                                        基地の街にロックは流れて~嘉手納とコザの戦後史~初回放送日:2020年9月26日 沖縄市コザ。去年、あるライブハウスが復活。オーナーはロックミュージシャンの宮永英一さん(69歳)。嘉手納基地からベトナムなど戦地に向かうアメリカ兵の前で演奏してきた。今、宮永さんは平和への願望などアメリカ兵が曲に託した想いを観客に語り、町の歴史を伝えようとしている。基地に土地を奪われた住民、アメリカ兵相手のバーの元従業員、反戦を訴えたアメリカ兵など様々な人生が交錯した町の戦後史を描く。語り:Cocco

                                                          基地の街にロックは流れて~嘉手納とコザの戦後史~ - ETV特集
                                                        • 「貧困の戦後史」岩田正美著 - 爽風上々のブログ

                                                          格差が拡大し貧困者が増加したと言われています。 しかし振り返ってみれば国民のほとんどが食べる物にすら苦しんだ終戦直後は皆が貧困だったとも言えそうです。 また、高度経済成長期には貧困者は減ったのでしょうか。 そういった事々は分かっているようで実は詳しい知識はほとんど無いのかもしれません。 そういった、戦後から今までの「貧困」について、その「かたち」を詳しく振り返っています。 終戦直後にはひどい食糧不足から「総飢饉」とまで言われたのですが、それでも特にひどい貧困に苦しむ人たちは居ました。 「浮浪者」「浮浪児」などと呼ばれた人たち、海外からの「引揚者」といった人たちは中でも非常に厳しい生活を強いられ、餓死する人すら多かったようです。 家を失い、戦時中の地下壕や何とか屋根だけ作ったような所で生活する「壕舎生活者」といった人たちも多かったのですが、その人々は「みんなが貧しい」時代のその「みんな」の最

                                                            「貧困の戦後史」岩田正美著 - 爽風上々のブログ
                                                          • 常夏通信:その58 戦没者遺骨の戦後史(4) 交渉の末、初めて硫黄島へ 地下壕で感じた恐怖感 | 毎日新聞

                                                            第二次世界大戦の激戦地、硫黄島に上陸した米海兵隊。摺鉢山(左)などから日本軍の激しい迎撃を受け苦戦した=1945年2月16日、米国防総省所蔵 前回(その57)、見たように、私は2006年、硫黄島(東京都小笠原村)に渡島すべく防衛庁(当時)と交渉した。クリント・イーストウッド監督が硫黄島の激戦を描いた映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」が話題を集めていて、それに関連した特集紙面を作るためだ。 防衛庁の担当者は当初、対応は丁寧ながら渡島は許可しないふうだった。一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道を行う常夏記者こと私は、簡単にはあきらめられない。考えられるあらゆる手を尽くした。その結果、意外な事実を知った。 特集紙面は06年12月8日付朝刊(大阪本社発行)と決まっていた。締め切りをぎりぎり延ばしてもらっても、前日の7日朝には原稿を出さなければならない。そこから逆算して、恐らくは最後の

                                                              常夏通信:その58 戦没者遺骨の戦後史(4) 交渉の末、初めて硫黄島へ 地下壕で感じた恐怖感 | 毎日新聞
                                                            • 特集ワイド:団結連帯 沖縄「島ぐるみ」は昔話? 戦後史研究者・古波藏契さんの問い | 毎日新聞

                                                              本土並みの「マイホーム主義」 「島ぐるみ」は、昔も今も沖縄が反基地運動などで団結する際の決まり文句だ。だが実は、その中身は半世紀も前に失われていた――。挑発的な議論を、東京在住の沖縄戦後史研究者兼地域政策コンサルタント、古波藏契さん(33)が、初の単著「ポスト島ぐるみの沖縄戦後史」(有志舎)でしている。本書の内容は、自身が地域政策に関わる理由にも絡むとか。その心は? JR中央線、高円寺駅前から老舗沖縄料理店を通りすぎた先、古波藏さんが常連の古書店兼居酒屋「コクテイル書房」へ来た。先に着いていた古波藏さん、「沖縄の風景が大嫌いでした」と、止まり木でビールをぐびり。のっけから、おだやかじゃないぞ……。 青い海や赤瓦の民家が嫌? 「いやいや」。那覇市の北隣、浦添市出身だ。近所の国道58号はパチンコ店やチェーン店が建ち並び、安っぽい飲食店ができては潰れた。「郊外のあの閉塞(へいそく)感がしんどくて

                                                                特集ワイド:団結連帯 沖縄「島ぐるみ」は昔話? 戦後史研究者・古波藏契さんの問い | 毎日新聞
                                                              • 常夏通信:その109 戦没者遺骨の戦後史(55)能弁な為政者と無言の庶民 | 毎日新聞

                                                                出土した遺骨を持つ、遺骨収容ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん=沖縄県西原町で2014年5月、栗原俊雄撮影 日本近現代史に関する取材をしていると、為政者たちの大甘な希望的観測で国策が誤ったことが多々あることが分かる。第二次世界大戦はその典型だ。歴史は簡単には繰り返さない。しかし繰り返すこともある。去る8月25日、菅義偉首相の記者会見をテレビで見ていて「大丈夫?」と思った。 菅首相はコロナを巡って「明かりがはっきり見え始めている」と述べた。私は「本当ですか、本気ですか?」と聞きたくなった。私は8月上旬、2回目のワクチン接種の後、38度台後半の高熱が3日続いた。「こんなの、子どもに打たせられないよ」と思った。行政の区分でいう中等症(症状によっては「重篤」)の患者たちが入院できず自宅で苦しんでいる。ワクチンは足りない。子ども→家庭への感染が広まっているともされる。それで新学期。「

                                                                  常夏通信:その109 戦没者遺骨の戦後史(55)能弁な為政者と無言の庶民 | 毎日新聞
                                                                • 盆踊りの戦後史 「ふるさと」の喪失と創造 大石始著:東京新聞 TOKYO Web

                                                                  明治以降の近代化は、盆踊りの伝統を大きく変えた。戦後の急激な社会変動、とりわけ地域社会の解体が引き起こした盆踊りの変質ぶりが、本書を読むとよくわかる。 この本で主に取り上げられているのは、各地の有名な盆踊りではなく、戦後生まれの新しい盆踊りだ。著者は、郊外の団地や商店街の一角で開かれる「歴史的な厚みや伝統文化としての風格とは無縁」の「その場かぎりで薄っぺらい盆踊り大会」に注目し、そうした盆踊りを生んだ時代の流れをたどってゆく。 新しい盆踊りは伝統に縛られない。例えば一九八〇年代半ば、荻野目洋子のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」にのった盆踊りが若者たちを引きつけ、発祥地の名古屋から各地に広まった。どんな曲でもOK。だれでも気軽に参加して盛り上がれる。祖霊供養や夜通しの不届きな行いといった盆踊りの伝統から遠く離れ、健全なイベント、レクリエーションとなった現代の盆踊りの特徴を示す好例だ。 よさこ

                                                                    盆踊りの戦後史 「ふるさと」の喪失と創造 大石始著:東京新聞 TOKYO Web
                                                                  • 常夏通信:その42 74年目の東京大空襲(29) 「人間として扱って」 戦災孤児の壮絶戦後史 | 毎日新聞

                                                                    東京を襲った米軍の爆撃機B29に、日本軍機が体当たりし、撃墜したことを伝える毎日新聞(1945年1月10日朝刊)。本土も戦場だった。 1945年夏の敗戦まで、日本の近現代史は戦争にまみれていた。1894~95年の日清戦争。1904~05年の日露戦争。14~18年の第一次世界大戦。18~22年のシベリア出兵。37年に始まった日中戦争。この間には「満州事変」など、多数の局地戦もあった。そして41年。大日本帝国の為政者たちは、アメリカ相手に勝てるはずのない戦争を始めた。 国内も戦場だった 同じ戦争でも、日中戦争までのそれと41年に始まった戦争には大きな違いがあった。前者には「銃後」があり、後者にはそれがなかった、ということだ。 「銃後」は銃弾や爆弾が交錯する最前線との対比で使われた表現だ。日露戦争にしろ、日中戦争にしろ、日本列島がそうした戦場になることはなかった。ところが第二次世界大戦では、アメ

                                                                      常夏通信:その42 74年目の東京大空襲(29) 「人間として扱って」 戦災孤児の壮絶戦後史 | 毎日新聞
                                                                    • Amazon.co.jp: 同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史: 伊藤博敏: 本

                                                                        Amazon.co.jp: 同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史: 伊藤博敏: 本
                                                                      • 昼寝猫 on Twitter: "CiNii 論文 -  朝鮮学校の戦後史と高校無償化 (特集 高校無償化制度と朝鮮学校) https://t.co/5PoSn0HAu2 #CiNii"

                                                                        CiNii 論文 -  朝鮮学校の戦後史と高校無償化 (特集 高校無償化制度と朝鮮学校) https://t.co/5PoSn0HAu2 #CiNii

                                                                          昼寝猫 on Twitter: "CiNii 論文 -  朝鮮学校の戦後史と高校無償化 (特集 高校無償化制度と朝鮮学校) https://t.co/5PoSn0HAu2 #CiNii"
                                                                        • KASUGA, Sho on Twitter: "↓そりゃそうだ。日本の若者には「戦後史」の知識が必要なんだよね。特に、「逆コース」とか、なぜ公職追放された人々がさっさとアメリカの支持を受けて政界に返り咲いたか、とか。"

                                                                          ↓そりゃそうだ。日本の若者には「戦後史」の知識が必要なんだよね。特に、「逆コース」とか、なぜ公職追放された人々がさっさとアメリカの支持を受けて政界に返り咲いたか、とか。

                                                                            KASUGA, Sho on Twitter: "↓そりゃそうだ。日本の若者には「戦後史」の知識が必要なんだよね。特に、「逆コース」とか、なぜ公職追放された人々がさっさとアメリカの支持を受けて政界に返り咲いたか、とか。"
                                                                          • 「小学校の校庭や農家をホテル代わりに…」米兵相手の“派手な服の女性”だらけになった山形の町の戦後史 | 文春オンライン

                                                                            札幌、横浜、渡鹿野島、飛田新地、沖縄……。かつて日本各地に「青線」と呼ばれる非合法の売春地帯が存在した。戦後の一時期売春が認められていた「赤線」と区別され、そう呼ばれていた場所は、その後どうなったのか。 10年以上かけて全国の青線とその周辺を歩いたノンフィクション作家、八木澤高明氏の著作『青線 売春の記憶を刻む旅』(集英社文庫)から、一部を抜粋して転載する。(全3回の2回め/#1、#3を読む) ◆◆◆ この町に、原色のドレスを着た女性が…… 神町駅から車で5分ほどの場所に自衛隊駐屯地があった。そこがかつての米軍基地である。駐屯地から西方向、山形空港へと延びた道の両側にスナックや焼き肉店などの飲食店が軒を連ねていた。着いたのは昼間ということもあり、ほとんどの店が開いている様子はなかった。私は日が暮れるまでホテルで休むことにした。 ざっと町の中を走っただけだが、駅の周辺は住宅街、少し外れると果

                                                                              「小学校の校庭や農家をホテル代わりに…」米兵相手の“派手な服の女性”だらけになった山形の町の戦後史 | 文春オンライン
                                                                            • 知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・上~沖縄・東京二拠点日記(番外)|DANRO:ひとり時間を楽しむメディア

                                                                              藤井誠二 2019.08.11 真栄原新町 『沖縄アンダーグラウンド』では紙数の関係で書き切れなかった戦後史の重要な局面について、あらためて触れておきたいと思う。 →知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・上 知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・中 知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・下 那覇に置いてある取材ノートをめくってみる。よく今でも飲食店にレブリカの標章がかけられているけれど、いわゆる「Aサイン」(Aサインバー)について、たぶんあまり知られていない歴史を振り返っておきたい。 「Aサインバー」の始まり 1952年7月に「風俗営業取締法」が琉球立法院第1回議会で可決される。飲食店やカフェー、喫茶店の体裁をとっていても内実は売買春店だったから、それを取り締まるものだった。ひとことでいえば、営業形態を届け出通りのことしかさせないというものだった。 これに続いて「食品衛生法」も可決さ

                                                                                知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・上~沖縄・東京二拠点日記(番外)|DANRO:ひとり時間を楽しむメディア
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