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  • 【原爆】アメリカ人、広島より長崎で教会を焼いたことにショックを受ける

    MIB@C103土曜日(1日目) 東ユ61a @MIBkai アメリカ人、核で焼いた教会に案内するとやたらショック受けるんだよな。数十万人広島と長崎焼き殺しといてそこにショック受けるんだっていうか。 2019-07-10 13:26:33

      【原爆】アメリカ人、広島より長崎で教会を焼いたことにショックを受ける
    • 池田信夫さんのブログ:在日はなぜ帰化しないのか の嘘

      ロック親父@LOVE♥️&PEACE☮️ @kind_of_rock @masterlow 慰安婦問題は終わっていない。 在日特権は存在しない。 そもそも帰化しない在日韓国人を否定するのが間違い。 無学な私でも、3つ見つけた! 2014-09-28 19:28:15 nos @unspiritualized 一文目から終わってますが、例えば1952年に「韓国籍か日本国籍を選ぶことができた」は間違いですね。 @masterlow これ、いろいろ間違っていると思うんだけどどうなのよ?・・・在日はなぜ帰化しないのか #BLOGOS blogos.com/outline/95387/ 2014-09-28 20:23:27

        池田信夫さんのブログ:在日はなぜ帰化しないのか の嘘
      • 原爆投下「正しい」「誤り」米英で対照的に | NHKニュース

        アメリカによる広島と長崎への原爆投下が正しい決定だったのかどうかを問う世論調査を行ったところ、アメリカでは「正しい決定だった」と答えた人が多かった一方、イギリスでは「誤った決定だった」と答えた人のほうが多く、対照的なものとなりました。 それによりますと、2000人余りが回答したアメリカでは、45%の人が「正しい決定だった」と答え、「誤った決定だった」という答えの25%を上回りました。 これに対し、イギリスでは、回答した1600人余りのうち、「誤った決定だった」と答えた人が41%と、「正しい決定だった」と答えた28%を上回り、原爆投下の決定に対するアメリカとイギリス両国市民の考え方は対照的なものとなりました。 ただイギリスでも65歳以上の世代では、原爆投下について「正しい決定だった」と答えた人のほうが多く、半数近くに上りました。 一方、アメリカ、イギリスとも、核兵器が開発されたことを「好まし

        • ナチス占領の損害「6兆円」 ポーランドが賠償請求検討:朝日新聞デジタル

          ドイツに対するナチス占領時代の損害賠償請求を検討しているポーランド議会は8月31日、損害額は540億ドル(約6兆円)以上に達するとの試算結果を公表した。ポーランドは2015年に保守政党「法と正義」が政権について以来、ドイツに対する批判的な姿勢を強めている。賠償請求に踏み切れば両国の関係が悪化するおそれがある。 現地報道が伝えたポーランド議会の調査結果によると、ナチスが侵攻した1939~45年、ユダヤ人を含む510万人のポーランド国民が殺され、ワルシャワを中心に都市のインフラ破壊などで同額の損害が発生したという。 ポーランドは53年に賠償請求を放棄し、現ドイツ政府は賠償問題は「決着済み」との立場だ。だが、ポーランド現政権は「賠償放棄は冷戦時代にソ連に強要されたもので国際法的に無効」と主張している。(ベルリン=高野弦)

            ナチス占領の損害「6兆円」 ポーランドが賠償請求検討:朝日新聞デジタル
          • 歴史研究家・半藤一利さんが語っていた令和の日本人への懸念 | FRIDAYデジタル

            はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日本のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 作家で歴史研究家の半藤一利さんが1月12日に亡くなった。享年90。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社した半藤さんは、専務取締役を経て文筆家に。終戦の日を描いたベストセラー『日本のいちばん長い日』をはじめ、『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など数々の作品を書き残した。 歴史とは何か、戦争とはなにかという問いに徹底的に向き合った半藤さん。その根底にはどんな思いがあったのか。フライデーが2019年6月、ご本人にその壮絶な半生を聞いてまとめたインタビューをここに再掲する。 「オマエは非国民だ」 半藤氏は昭和5年、東京の下町、向島(現・墨田区)に生まれ

              歴史研究家・半藤一利さんが語っていた令和の日本人への懸念 | FRIDAYデジタル
            • 迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行

              大小140あまりの島々が連なる長崎県の五島列島。ペトロ尾上勇(おのうえいさむ)さんはその北部に位置する中通島(なかどおりじま)で生まれ育った。キリスト教徒であり、一人の漁師として生きてきた。「ペトロ」は洗礼名だ。 尾上さんは江戸時代のキリシタン禁制下でも信仰を守った「潜伏キリシタン」を先祖にもつ。江戸後期の18世紀末、多くのキリシタンたちは当時の迫害を逃れて、九州の外海(そとめ)地方(現・長崎市の北西部に位置)を離れ、たくさんの小舟で海を渡った。五島の島々に新天地を求めたのだ。 離島への大規模な移住には政治的な背景もあった。未開の土地を開拓する人手を欲しがった五島藩が、逆に人口が増えすぎて困っていた九州本土の大村藩に協力を求めたと言われる。その結果、3000人もの移民が五島を目指したが、その多くが潜伏キリシタンだったのだ。 2018年に世界遺産となった潜伏キリシタン関連資産が、九州本土だけ

                迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行
              • http://gonta13.at.infoseek.co.jp/index.htm

                • 近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について

                  「最近の若者はダメだ」は昔から言われているが、特に今の若者はひどい。まず、当事者意識が完全に欠如している。さらに、独り立ちをしようとせず、常に何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけようとしている。これはゆゆしき事態であり、日本社会のありかたにかかわる重大な問題である。 最近の若者は、定職に就きたがらない。あるいは、会社に入っても一定のポジションで身を立てようとしない。なぜなら、社会的なかかわりを、全て暫定的・一時的なものと見なしているからだ。 彼らに言わせると、本当の自分は別のところにあり、現実の自分は仮の姿に過ぎないんだそうだ。本当の自分は棚上げしておいて、いつまでも立場を替え、考えを変え、自分自身をも変身させる余地を残しておく。一貫した主義主張をもたないか、もたないふりをする。特定の党派、集団に全てを賭けることを避けようとする。 その結果、今の若者は、全ての価値観か

                    近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について
                  • 自民元幹事長の野中氏 憲法改正に反対の考え示す | NHKニュース

                    自民党の幹事長などを務めた野中広務氏は、東京都内で記者団に対し、安倍総理大臣が憲法を改正して2020年の施行を目指す意向を示したことについて、「戦争を2度と起こしてはならない」と述べ、憲法改正に反対する考えを示しました。 これに関連して、自民党の幹事長などを務めた野中広務氏は、東京都内で記者団に対し、「私のように、戦争に行って死なないで帰って来た人間にとって、再び戦争になるような道は歩むべきではないというのが信念だ。戦争を2度と起こしてはならない」と述べました。そのうえで、野中氏は「私に力はないが、私個人は憲法改正には反対だ」と述べました。

                      自民元幹事長の野中氏 憲法改正に反対の考え示す | NHKニュース
                    • 朝日新聞が号泣…全国紙の「1945年8月15日」を読み比べてみた(辻田 真佐憲) @gendai_biz

                      泣きまくる朝日新聞、涙で「天皇陛下……」と絶叫 終戦の日、1945年8月15日。 朝日、毎日、読売、日経、産経の5紙はこの日をどのように報道したのか。すべて同じと思いきや、比較すると意外にもその差異が浮かび上がってくる。 まずは、朝日新聞からみてみよう。 この日の朝日は、とにかく泣きまくる。社説も「一億相哭(そうこく)の秋(とき)」。「相哭」は「みんなで泣く」という意味だ。その名のとおり、天皇も、臣民も、涙、涙の様相である。 「誰か涙なきを得るものぞ」「言々句々、御血涙の結晶」「この度の大詔を拝しては、必ずや哭(な)かずにゐられないであらう」「相懐いて哭するの情に堪へない」「君国の直面する新事態について同胞相哭」。 2面の記事もタイトルで泣いている。「玉砂利を握りしめつゝ宮城を拝したゞ涙」。しかも、その内容は社説よりすさまじい。 書いた記者は、正午の玉音放送にあわせて、宮城(皇居)前広場に

                        朝日新聞が号泣…全国紙の「1945年8月15日」を読み比べてみた(辻田 真佐憲) @gendai_biz
                      • UKで感じた戦後70年:「謝罪」の先にあるもの(ブレイディみかこ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                        以下は英ガーディアン紙の8月13日から15日までの日本関連記事の見出しである。 8月13日 日本、米国人POW(戦争捕虜)を人体実験に使った最も暗い瞬間を振り返る 8月14日 日本の安倍首相、終戦記念のスピーチで新たな謝罪は避ける 8月15日 日本の天皇、安倍首相よりも第二次世界大戦について謝罪的 14日の記事は安倍首相の終戦70周年談話について、そして15日の記事は全国戦没者追悼式での天皇陛下の「おことば」についてのものだ。 で、わたしが最も興味を覚えたのは、13日の記事である。14日と15日は同紙でも一定の枠が日本関連記事のために設けられていただろう。そしてその前日に、九州大学生体解剖事件の目撃者、東野利夫医師の記事を掲載しているのだ。 九州大学生体解剖事件は、遠藤周作の小説『海と毒薬』のモデルになった事件で、1945年に九州帝国大学医学部の敷地内で当時の教授らが米国人捕虜に対して生体

                          UKで感じた戦後70年:「謝罪」の先にあるもの(ブレイディみかこ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                        • 新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

                          今日のイチオシ! 簡単&インパクト抜群!速水もこみちが「目玉焼きライス」を紹介。今週話題のYouTubeまとめ

                            新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
                          • 戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法 | JBpress (ジェイビープレス)

                            空襲で焦土と化した東京。本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(資料写真、出所:Wikimedia Commons) 今から71年前の今日、日本は終戦を迎えた。太平洋戦争は民間人を含めると300万人を超える犠牲者を出したといわれるが、経済的な損失も計り知れないものだった。戦費総額は国家予算の74倍に達しており、空襲によって生産設備の50%以上が失われていた。 この天文学的なレベルの経済損失を日本政府はどのようにして穴埋めしたのだろうか。 実質ベースの戦費総額は国家予算の74倍 太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円だった。日中戦争開戦時のGDP(当時はGNP)は228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると33倍、国家予算(一般会計)に対する比率では何と280倍という数字になる。 現実には過大な戦費調達から財政インフレが進んでおり、実質ベース

                              戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法 | JBpress (ジェイビープレス)
                            • 「徴用」めぐり 三菱重工の資産売却手続きへ | NHKニュース

                              太平洋戦争中の「徴用」をめぐる韓国の裁判で、原告側は、被告の三菱重工業が賠償に関する協議に応じなかったとして、すでに差し押さえていた三菱重工の資産を売却し、現金化する裁判所への手続きを近く始めることを明らかにしました。 原告側は三菱重工に対して、賠償に関する協議に応じるよう求めていましたが、16日午前ソウルで会見を開いた原告側の弁護士は「三菱重工から返事がなく、遺憾であり、手続きを速やかに進める」と述べて、すでに差し押さえていた三菱重工の特許と商標を売却して現金化する手続きを裁判所に近く申し立てることを明らかにしました。 「徴用」をめぐる一連の裁判では、ことし5月、新日鉄住金、現在の日本製鉄と機械メーカー不二越を訴えた原告も株式を売却する裁判所への手続きを始めていて、手続きが終われば、日本企業に実害が生じることになります。 このため日本政府は、韓国政府に日韓請求権協定に基づく第三国を交えた

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                              • 自民党が選挙で勝てなくなった県のこと、知っていますか

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                                • 米国務長官らが千鳥ケ淵墓苑で献花 国際ニュース:AFPBB News

                                  東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花するジョン・ケリー(John Kerry)国務長官(右)とチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官(2013年10月3日撮影)。(c)AFP/POOL/FRANCK ROBICHON 【10月3日 AFP】(一部更新)来日中のジョン・ケリー(John Kerry)国務長官とチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官は3日、東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。安倍晋三(Shinzo Abe)首相が5月に訪米した際、靖国神社を米国のアーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)になぞらえたことに対するけん制とみられる。 ケリー国務長官とヘーゲル国防長官は外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)のため来日中。千鳥ヶ淵戦没者墓苑によると、今回の訪問は日本の招待ではなく米国側

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                                  • 「中国の歴史を知りなさい!」和服を着た中国人が、別の中国人に注意され大問題に | 「私が親ならあなたを引っ叩いているわ!」

                                    「私が親ならあなたを引っ叩いているわ!」──中国遼寧省のとある公園の一角で、女性が怒りをあらわにした。彼女の怒りの矛先は、和服を身にまとった中国人の女性に向けられている。 和服の女性も釈然としない様子で反論する。いったい2人は何を言い争っているのか。 中国メディア「极目新闻」によると、この騒動が起きたのは、中国の東北地方にある遼寧省。和服を着た女性は、友人と公園を散歩しながら写真撮影を楽しんでいたという。 そこへ、公園にいた別の女性が「中国の歴史を知りなさい!」と彼女たちに文句をつけてきたという。どうやら、かつて中国を侵略した日本の伝統衣装を中国人の彼女たちが身にまとって公園を散歩していたことが、この女性は気に食わなかったようだ。 いきなり文句をぶつけられた和服の女性は、「和服を着ているからといって、私が日本人になってしまったとでも言うのですか?」と反論。それを聞いた女性は、「私が親ならあ

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                                    • 黒い噂に染められた笹川良一の実像とは?

                                      ──日本財団の笹川陽平会長と最初に会った目的は、やはりハンセン病制圧活動に関してですか? そうですね。世界中、アフリカの奥地まで足を運んで活動しておられることは知ってました。そこまで旅を続けるっていうのはそうそうできることじゃない。何かを自分に課して活動してる印象がありました。その情熱とはどういうものなのかと。 ──妾(めかけ)の三男に生まれ認知もされず生活は貧窮。ようやく父・笹川良一と同居しても、徹底して下男扱い。小説を地で行く少年時代ですね。 陽平さんは「私なんかちっとも面白くないよ。女の話一つなし、バクチの仕事はしてるけど自分は全然しないし株券1枚持ってない。面白いとすれば、まあ妾の子だってことくらい」と。そこで、包み隠さず話してください、と言ったわけ。彼はそれに正面から応えたんですよ。 特異な親子関係が不可欠に ──陽平氏の内面を探っていくうちに、特異な親子関係が不可欠な要素になる

                                        黒い噂に染められた笹川良一の実像とは?
                                      • 当事者だから語れない…… ある学者がどうしても言葉にできなかった原爆体験

                                        Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

                                          当事者だから語れない…… ある学者がどうしても言葉にできなかった原爆体験
                                        • 「司法権の独立揺るがす」資料見つかる NHKニュース

                                          昭和32年にアメリカ軍基地を巡って起きたいわゆる「砂川事件」の裁判で、「アメリカ軍の駐留は憲法違反」と判断した1審の判決のあとに当時の最高裁判所の長官がアメリカ側に1審の取り消しを示唆したとする新たな文書が見つかりました。 研究者は、司法権の独立を揺るがす動きがあったことを示す資料として注目しています。 「砂川事件」は、昭和32年7月、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り、学生ら7人が起訴されたもので、1審の東京地方裁判所は、「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」として7人全員に無罪を言い渡しました。 1審の9か月後、最高裁判所大法廷は、「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の対象外だ」として15人の裁判官の全員一致で1審判決を取り消しました。 今回見つかった文書は、最高裁判決の4か月前の昭和34年8月、ア

                                          • 「鳥類学者オリバー・L・オースティンが撮影した占領下の日本」のまとめ。

                                            オリバー・L・オースティン Jr.(1903-1988)はハーバード大学で鳥類学の博士 号を修得し、その後アメリカ海軍に従軍した。従軍中も南太平洋で2,000以上の 鳥類やコウモリを採取、2つの新種のコウモリを発見するなどした。 1946年の4月から1949年の12月まで米国天然資源局(the Natural Resources Section)の野生生物部署の代表に就任、占領下の日本で狩猟法の改善や動物保護 区の設定など野生動物の保護に尽力した。また山階芳麿などの研究者とも交流し た。日本に滞在中の約4年間で駐留中のアメリカ人の生活や東京や地方の生活に 関する1,000枚以上のカラースライドを残した。 このコレクションは氏の息子のトニー・オースティン氏が所有していたものを フロリダ州立大のアニカ・カルヴァー准教授が中心となり戦後70周年を記念して デジタル化したものである。

                                              「鳥類学者オリバー・L・オースティンが撮影した占領下の日本」のまとめ。
                                            • 「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布を指示

                                              (CNN) ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出していることが1日までにわかった。カードの裏には、法王の要請により「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている。 この写真は、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。第2次世界大戦末期に原爆が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんにより撮影された。 法王は今回、カードの裏に自身の署名とともに「戦争が生み出したもの」という言葉を記載するよう要請した。 写真の内容と由来は短いキャプションにより説明。「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などと記している。

                                                「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布を指示
                                              • 「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"

                                                「みんなね、8月15日に負けて終わりました、気持ちが自由になったっていうけれど、あたしなんかそんなの全然なかった。そもそも戦争が終わったことも知らない。自分が生きるのに、精一杯でね」 BuzzFeed Newsの取材にそう語るのは、鈴木賀子さん(82)。東京大空襲で母親や姉を亡くし、孤児となった。 「空襲のあとも、生き残った姉と弟と一緒に暮らすことすらできなかったんですよ。どこにも、行くところはなかった。地獄そのものでしたよ」 日中戦争がはじまった翌年の、1938年に生まれた。幼少期を過ごしたのは、いまの東京都江東区、北砂という町だ。ガスタンクが近くにあったことをうっすら覚えていると話す通り、近くには大きな工場などもある住宅街だった。 運送業を営んでいたという父親を病気で亡くし、木造平家の長屋に母親とふたりの姉と弟と暮らした。裕福ではなかったが、下町らしい、ささやかで幸せな暮らしだった、と

                                                  「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"
                                                • 深町秋生の序二段日記

                                                  昭和30年代が好きだ。 なぜならそこにあるのは混沌と暗黒の世界。右翼はいつ起きるかわからない革命に怯えて政治家や出版社を襲い、左翼は大勢で道端や国会や大学で暴れまくった。長嶋が天皇の前でホームランを打っていた頃に、熊本の漁民は有機水銀たっぷりの魚を食べて苦悶していた。正義のヒーロー力道山はドラッグと酒にトチ狂い、目の前にあるものすべてをぶん殴った。 高度成長期の東京はオリンピックに向けて大工事。騒音と埃と神風トラック、神風タクシーが行きかうやかましい街だった。増える車の台数に道がおっつかず、そこいらで大渋滞が起きていた。環境保護という概念は確立されてはいないために、煙突からは有害な黒い煙がもくもくと吐かれ、東京湾には得体の知れない物質の混じった廃液が垂れ流し。 輸送に明け暮れる国鉄は鶴見と三河島と宇和島で大事故を起こし、100人単位で乗客をあの世に送った。戦争の苦しみを知っていた規律正しい

                                                    深町秋生の序二段日記
                                                  • 戦前と戦後で日本の建物が劣化しすぎwwwwwwwwww : 哲学ニュースnwk

                                                    2014年07月30日12:00 戦前と戦後で日本の建物が劣化しすぎwwwwwwwwww Tweet 1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/29(火) 14:05:18.01 ID:uJ1Jav/20.net 転載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1406610318/ 【閲覧注意】巨大な物が怖いという『世界で最も危険な道』 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4712062.html 戦前 大学 郵便局 駅 デパート 市役所 県庁 銀行 家 4:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/29(火) 14:06:43.45 ID:uJ1Jav/20.net 一方戦後は・・・ 大学 駅 デパート 市役所 県庁 銀行 家 8:以下、\(^o^)/でV

                                                      戦前と戦後で日本の建物が劣化しすぎwwwwwwwwww : 哲学ニュースnwk
                                                    • 昔の雑誌の『未来予想図』を鑑賞する :: デイリーポータルZ

                                                      現代の我々を取り巻く環境は、年々厳しさを増している。地球温暖化、不況、そしてこのたびの震災、それに続く原発問題・・・。たまに心躍る技術や科学的発見のニュースも散見されるが、どうも世間の総体的気分としては、下降気味な感じだ。そうではないという方もおられるだろうが、そういうことにしないと記事が始まらない。まあ聞きなさい。 そんな折、実家へ帰省し、恒例の納戸あさりを行った。昔の雑誌や漫画、おもちゃなど掘り起こして、少しでもネタになるものでも見つかればと思ってやっているわけだが、最近こんなものを発掘したのだ。 輝く未来を信じることができた時代の、学習雑誌である。 (乙幡 啓子) 30年探し続けたら突然見つかった本 「発掘した」と書いたが、実はこれを長年探していたのだ。小さい頃よくパラ見していた「科学クラブ」という、これは学習誌だろうか。「株式会社東雲堂発行」とあるが、現在この社名で検索しても博多の

                                                      • 故・水木さん、描きたかった敗戦の話 未発表随筆発見:朝日新聞デジタル

                                                        漫画家の故・水木しげるさんが半世紀前に書いたとみられる未発表の随筆原稿が、東京都調布市の自宅から見つかった。陸軍二等兵として送られた戦場で左腕を失い、悲惨な経験を漫画で伝えたいという水木さんの思いに反し、読者や版元から「勝ち戦」の話を求められる葛藤が記されている。 「ぼくが書きたいのは敗け戦さの話だったんだが、それはゆるされないのだ。少年たちは花々しいガダルカナル戦あたりまでしか読んでくれないのだ」 随筆は原稿用紙1枚に鉛筆で書かれ、書斎のファイルに挟んであったのを次女が見つけた。当時の大人向けの漫画誌「ガロ」(青林堂)向けに1967年ごろ執筆されたとみられる。売れずに廃刊になった貸本を作っていた漫画家2人の名前を挙げており、水木さんと親交の深かった作家の京極夏彦さんは「この漫画家たちを気遣って掲載を見送ったのでは」と話す。 随筆では、水木さんが60年…

                                                          故・水木さん、描きたかった敗戦の話 未発表随筆発見:朝日新聞デジタル
                                                        • ある戦後映像の謎を解く

                                                          昨年(2014年)の夏、友人のある"推理"を元に、羽田空港近くを探索した。これがものすごく楽しかったので、その話をしたい。 "推理"の元はある動画。ここに映っているのはどこなのか。いつ撮られたものなのか。 そしてぼくは「人の話聞かなきゃいけないな!」と思ったのでした。

                                                            ある戦後映像の謎を解く
                                                          • 「反・反戦」イデオロギー - はてな匿名ダイアリー

                                                            「この世界の片隅に」について。まだ見てねえけど、いい映画なんだろうなーというのは何となく感じる。 ただ、それをめぐってこういう言論が飛び交うのにはつくづくウンザリするなあ…。 http://togetter.com/li/1048335 ここにはどうも「反戦」という概念が戦時中には「なかった」とか思い込んでる人が一定数いるようで、それこそ鳥肌立つ。それじゃ憲兵さんや特高は何を取り締まってたんだよ。大正から昭和初期に言論を取り締まられてた人たちが何を唱えていたか、当時の雑誌を少しでも見てみればわかることなんだが。図書館に行けば復刻でもなんでも見られる時代だよ。見て確かめたのかよ? 何より、大昔に死んだうちのひいじーちゃんは、右翼の大物ともつきあいのあったそれなりの医者だったそうだが、戦時中酔っぱらって「こんな阿呆な戦争を誰が始めたんじゃ!負けるに決まっとろうが」とか叫んで警察のお世話になった

                                                              「反・反戦」イデオロギー - はてな匿名ダイアリー
                                                            • 原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話

                                                              原爆被爆者で、何十年も被爆者の地位向上などのため活動し、 署名活動をしたり、デモに参加したという祖母。 滅多に他人の批判や悪口を言わなかったけれど、そんな祖母が生前に一度だけ、 明確に「許せなかった」話をしてくれたことがあった。 テレビで被爆者のドキュメンタリー映像を見ていた時のこと。 なんとなく、「やっぱり被爆者手帳って嘘ついて持ってる人結構いるの?」と聞いてみた。 原爆被爆者に対する補助はかなり手厚く、年金ならぬ被爆者に対する援助のために 死にかけの親を何とか生かしてくれと頼む家族もいるくらいの代物である。 祖母はあっさりと、「そりゃそうよ」と言った。 「あの人原爆に遭うてないよねって人もおったよ。でも証人がおれば手帳貰えたからね」 「なんという税金泥棒。そういう人ムカついたりせんかった?」 「そりゃ良い気分はしなかったけど、でもねえ、もっと許せん人がおったけえね」 おばあちゃんでも許

                                                                原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話
                                                              • すずが見た広島、街は今 爆心地「ここに生活があった」:朝日新聞デジタル

                                                                その瞬間まで、確かにそこにあった街、暮らし、命。当時の人々の営みを丹念に描いた映画「この世界の片隅に」がロングランを続けている。主役のすずが見つめた風景から、失われたものに思いをはせる。原爆投下から、きょうで72年――。

                                                                  すずが見た広島、街は今 爆心地「ここに生活があった」:朝日新聞デジタル
                                                                • 国立国会図書館デジタルコレクション

                                                                  • 池田香代子ブログ : 1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家嬉野京子の証言  - ライブドアブログ

                                                                    2010年06月14日00:00 カテゴリ社会・世界情勢 1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家嬉野京子の証言 沖縄の「今」は、この一瞬の延長線上にあり、この一瞬からさかのぼれば、沖縄戦があり、琉球処分があり、薩摩侵攻がある、そんな一瞬をとらえた報道写真家・嬉野京子さんの講演の書き起こしを、筆者の芳沢章子さんのご厚意で転載します。改行などを変更しました。 沖縄では、米軍関係者による事件・事故が年におよそ1000件、日に3件近く起こっていることは、保坂展人さんのブログ情報で広く知れ渡ることになりました(こちら)。COCCOさんの言葉(こちら)、「基地とやっていくためには、受け入れて諦めなければならないことがいっぱいありました……諦めることに慣れていって……『しょうがないさ』が口ぐせっていうのもほんとはほんとです」にある受け入れなければならないこと、諦めなければならないこと、しょうがないこと

                                                                    • 紅林麻雄 - Wikipedia

                                                                      紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月)は、日本の警察官。担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。 人物[編集] 現在の静岡県藤枝市出身。 自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決の後、再審が決定)などの冤罪事件を生む温床ともなった。 あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「拷問王」と称されている[要出典]。 紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた

                                                                        紅林麻雄 - Wikipedia
                                                                      • インド首相ネルーが「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」との発言はあり得ない - 電脳塵芥

                                                                        インドのネール首相から「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」 という書き込みをツイッターで見ました。……怪しい。こういった「名言」はデマも多く、そしてそのデマをまとめて書籍にしたり、ネットの有象無象に書き込まれたりするのですが、上記発言を検索すると全然出てこない。現状、グーグル、ツイッター、5ch過去ログを見た限り、下記の3つのツイートのみです。なお「ネルー」、「ネール」とこの記事では表記が揺れていますが、一般的には「ネルー」の方が多いようなので基本的には「ネルー」、デマ発言の引用の際には「ネール」と記述しています。 https://twitter.com/2cnVN0qBlipIR7U/status/1058248483814039552 https://twitter.com/PNFBLRp1Ulm4pGh/status/12944794092

                                                                          インド首相ネルーが「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」との発言はあり得ない - 電脳塵芥
                                                                        • 中国、兵力30万人削減表明 戦勝70年「覇権唱えず」:朝日新聞デジタル

                                                                          中国共産党と軍、政府は3日、「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念式典を北京・天安門広場で開いた。兵士1万2千人による大規模な軍事パレードも行われ、最新兵器を披露した。習近平(シーチンピン)国家主席は演説で、列強の侵略を受けた歴史からの決別と、平和的な台頭を目指すという中国の立場を強調し、中国軍の兵力30万人削減を表明した。 習指導部は1945年9月2日に日本が降伏文書に調印したことを受け、戦勝を祝った3日を「抗日戦争勝利記念日」とし、終戦70周年に合わせて初めて国家的式典を開いた。 習主席は演説で「抗日戦争の勝利で日本軍国主義の企てを徹底的に粉砕し、大国としての中国の地位を再び打ち立てた」と戦勝の意義を強調。「中国は永遠に覇権を唱えず、拡張を図らず、自らが経験した悲惨な経験をほかの民族に押しつけることはしない」と平和発展を目指す姿勢を示し、約230万人の中国軍の兵力

                                                                            中国、兵力30万人削減表明 戦勝70年「覇権唱えず」:朝日新聞デジタル
                                                                          • 歴史改変かリアリティか『この世界の片隅に』のセリフが変わった意味(佐々木 俊尚) @gendai_biz

                                                                            2020年8月15日は、75回目の終戦記念日だ。そして8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が投下された。戦争を知る人がどんどん少なくなるからこそ、私たちはその現実を語り継ぐ必要がある。しかし「戦争」を題材とした映画やドラマが、必ずしも「史実」とは限らない。作られた時代の背景も踏まえて考証することで、私たちは「戦争」をより深く感じ取ることができるはずだ。 ジャーナリストの佐々木俊尚さんが戦後に作られた映画を分析していく「映画から見る戦後史」、今回は2016年に公開され、大絶賛を浴びた『この世界の片隅に』にたどり着くまでの作品を紐解いていく。 戦死した兵士たちは、 戦後の日本を豊かだと思うのか 1935年(昭和10)生まれの倉本聰が脚本を書いた『歸國』という戯曲がある。2009年に初演され、2010年にはテレビドラマになった。アジア太平洋戦争で戦死した日本軍兵士たちの英霊が、60余年ぶり

                                                                              歴史改変かリアリティか『この世界の片隅に』のセリフが変わった意味(佐々木 俊尚) @gendai_biz
                                                                            • 誤用され続ける「A級」戦犯(dragoner) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                                                              先日、週刊誌の中吊り広告でこんなのを見かけました。 週刊文春2014年3月13日号の中吊り広告見て頂きたいのは、広告の左側『「慰安婦問題」A級戦犯 朝日新聞を断罪する」』のところです。記事の内容についての言及ではありません。「A級戦犯」という表現です。 この「A級戦犯」という言葉、最近では、 『ソニーからモノ作りを奪った「A級戦犯たち」』(週刊新潮2014年2月20日号)『米国 オバマ政権がS&Pを詐欺の疑いで提訴 金融危機招いたA級戦犯・格付け会社の正体』(週刊ダイヤモンド2013年3月16日号)『3・11から一年 原発事故 あの災厄の責任は誰がとるのか 「3・11」の「A級戦犯」』(週刊アエラ2012年3月12日号) など、週刊誌を始め、様々な雑誌で使われている表現です。 ソニー凋落の原因、金融危機を招いた格付け会社、原発事故の責任者……。いずれの責任も重大であり、責任追及の最上級の表

                                                                                誤用され続ける「A級」戦犯(dragoner) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                                                              • これが戦後日本?!東松照明の写真に固定概念が崩壊:DDN JAPAN

                                                                                DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

                                                                                  これが戦後日本?!東松照明の写真に固定概念が崩壊:DDN JAPAN
                                                                                • 何故、犯人は自殺しなければならなかったか -金田一耕助の時代と『けじめ』-

                                                                                  二日市とふろう (旧名:北部九州在住) @hokubukyuushuu 自分メモ カドカワ祭りで『犬神家の一族』をやっていたので見ていたのだが、積年の疑問であった、「なんで犯人が自殺しないといけないのか?」についての答えがなんとなく分かったので、残しておく。ようするに、金田一 耕助の時代の事件は『解決』するものではなく『けじめ』をつけるものだったと。 2014-09-30 18:46:13 二日市とふろう (旧名:北部九州在住) @hokubukyuushuu wikiにあった、初期金田一作品のコメント『戦前の因習にとらわれた封建的な動機による殺人を、戦後の民主的な精神によって断罪する』だが、その結果出た作品群はそりゃもうかくやといわんばかりの日本的封建制のストーリーだったが、それはその封建制に根本的理由がある。 2014-09-30 18:49:24 二日市とふろう (旧名:北部九州在住

                                                                                    何故、犯人は自殺しなければならなかったか -金田一耕助の時代と『けじめ』-