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秋葉原在特会事件に関するquagmaのブックマーク (6)

  • 殴られたのはネットで有名な日本人だった - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    先日、9月27日、秋葉原で在特会*1のデモが行われました。デモを行う街道で、一人の男性がビラに「排外主義 反対です」と書いて、無言で立ちました。在特会の人たちは、男性を取り囲み、日の丸を掲げて、男性を壁際に追いやりました。杖で殴ったと証言する在特会の人もいます。男性は警察の保護もあり、集団から逃れました。その様子を動画に撮り編集した人がいます。おそらく在特会のメンバーもしくは支持者でしょう。以下にリンクします(実際に殴っている様子もありますので、ご注意ください) 動画について、「排外主義はともかく、暴力はよくない」というコメントをする人が、たくさんいました。 このビラを持って立っていた男性は、id:toled(常野雄次郎)さんです。toledさんは、「はてなサヨク」を名乗るはてなダイアリーの書き手です。toledさんは、すべての暴力を、暴力であるがゆえに、否定する立場をとりません。フランス

    殴られたのはネットで有名な日本人だった - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    quagma
    quagma 2009/10/05
    「はてなサヨク」揶揄の気分が読み取れるように思ったけど、コメ欄読む限りそうではなかったらしい。自分も「はてサ」のつもりで書いたというんだけど、やはり、そうは読み難いと思います。
  • 排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090929/p1の続き。たとえば、「「暴力」の意味がブレてる。暴行・障害罪等の意味で取れば思想は関係なくなる。排外主義を暴力的思想として批判するなら暴行・障害罪とは別の話。殴らなくても排外主義だが、暴行・障害罪にはならない」みたいな意見がバカげている、ということについて。 「殴る」という直接的暴力も、差別のような構造的暴力も、人を傷つけ、そこから追い立て、当たり前の尊厳を奪い取るという意味で、まったく等しく、暴力です。では、どうして一方に対しては法で取り締まられ、警察・監獄に象徴される制度化された対抗暴力が発動されるのに、他方に対してはそうではなく、ほとんど何もなされないのか。それは、少なくとも、暴力としての程度が小さいからではありません。程度の大小について何かを言える根拠などどこにもありません。 直接的暴力は、行為であり

    排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    quagma
    quagma 2009/10/05
    最近、リアルで「暴行が犯罪とされるのは、単に人の肉体を傷つけることのみによるのではなく、人の尊厳への侵害という側面にもよるのではないか」という考えを聞いた。反対側から同じことを言ってるのかも。
  • やわらかきゃいいってもんじゃないだろが - 猿虎日記

    先週の日曜日、http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090925/p1で書いたデモに行ってきました。 これは、「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」主催の、「渋谷の宮下公園のナイキ化と、公園からの野宿者排除反対」のデモです。 ところで、おなじ日に、秋葉原で もうひとつのデモがありました。それは、「在日特権をゆるさない市民の会」主催の、「外国人参政権反対」のデモです*1。 後者のデモ(在特会のデモ)の参加者にむかって、ツネノさん(id:toled)が「排外主義に反対です」という紙をかかげたところ、デモ参加者に集団で暴行をうける という事件がおこりました。そのようすを うつした映像を、なんとデモ参加者じしんが、ほこらしげにyoutubeにのせたのです。 したのほうの映像には、おおくのはてなブックマークコメントがつきました。http://b.hatena.ne.

    やわらかきゃいいってもんじゃないだろが - 猿虎日記
    quagma
    quagma 2009/10/05
    はげしく同意。「迷惑」の論理に基づく排除にも通じる話ではないかと。日本現代史上の「左翼の先鋭化」という例の物語は、すなわち「〈一般のひと〉〈大衆〉の反動化」の帰結としても読める。
  • 帰化って「日本人」が安易に口にしていいものなんだろうか2(またはなぜ私は心配するのをやめて「ここ」に復帰しようと思ったか) - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    外国人地方参政権問題に絡んで安易に「帰化すればいい」と「われわれ」が口にしていいかどうか。その疑問については前エントリーで触れた。(ちなみに以前から何度か言及しているので、この問題に対する私のスタンスについてはいちいち書く必要がないだろうとあえて詳らかにはしなかった。このブログは基的に不親切をモットーにしている。ざまあみろ。知りたきゃ過去ログ読んでくれ)やや書き足りない気もするし、俺ちゃんの帰還理由についても書くべきだろうと思うので、その辺も含めながらもう少し続ける。 いきなり前言を翻すようだが、前回のエントリーでつまびらかにしなかった理由は、以前から言及しているというのも確かにあるんだけれども、むしろそこだけで議論を終わらせたくなかったという「意思」が一番大きいかもしれない。外国人に地方参政権を与えるべきか否かという部分に拘泥してしまうと、もっと大きな質的なところをえぐり出すことがで

    帰化って「日本人」が安易に口にしていいものなんだろうか2(またはなぜ私は心配するのをやめて「ここ」に復帰しようと思ったか) - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
    quagma
    quagma 2009/10/03
    "沈殿する「悪意」を露わにし表舞台へ引きずり出し「それは間違っている」と指摘する、それがこの「現状」を変革することへの非常に小さな一歩" とてもいい文章だと思った。
  • 死した英雄には鎮魂の花束を - 法華狼の日記

    英雄が殴られるまで - 法華狼の日記*1 ちなみに、ごく個人的な考えだが、toled氏の行動が一部で反発されている理由は、その存在が英雄からほど遠いからではない気がする。むしろ英雄らしい資質を持っているからこそ、冷笑されているのではないかと思う。いや、toled氏が軽率とか間抜けとかいう話ではなくて。 属人的な発想は、思想と行動に一貫性がある時にだけ妥当性を認めるとは限らず、思想と行動が相反している時こそ妥当性を認めることもある、と注意しておく。英雄視ゆえの賞賛もあれば、意外性ゆえの賞賛もあるし、党派性ゆえの賞賛もある。賞賛が可能かどうかは行為の妥当性と関係あるが、賞賛を表明する動機は行為の妥当性だけでは決まらない。 もし、言及する動機を持つと同時に、賞賛したくない動機を持っていれば、歪んだ意見が生まれるというわけだ。 この論点をもう少し掘り下げて考えてみる。 今回の件で感じたのは、排外主

    死した英雄には鎮魂の花束を - 法華狼の日記
    quagma
    quagma 2009/10/03
    "批判せずにすませられる状況を用意してもらいながら、批判されている者を嘲笑した上で、批判してきた者をも嘲笑できると思うならば、それは歴史の修正による思い上がりではないか。"とてもいい文章だと思った。
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

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