太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。 争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される
〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第9回 金子文子(2010.10.12) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第8回 芥川龍之介(下)(2010.9.6) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第7回 芥川龍之介( 中)(2010.8.9) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第6回 芥川龍之介(上)(2010.6.28) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第5回 有島武郎(2010.5.31) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第4回 高浜虚子(2010.4.12) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第3回 夏目漱石(下)(2010.3.8) 〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第2回 夏目漱石(上)(2010.2.22)
少し前のニュースで、「鉄幹の侠気、お孫さんは… 関経連会長が与謝野氏に皮肉」(朝日新聞、1/19)というのがあった。 この記事で私は初めて与謝野馨経済財政相が与謝野鉄幹の孫だということを知ったが、最近、与謝野鉄幹のことをいろいろ調べていて、鉄幹の「侠気」がどういうものだったかということがだんだんわかってきた。というのも、鉄幹(1873−1935)は朝鮮王妃殺害事件(1895年)の「関係者」に近いところにいた人物だったからである。 角田房子氏は、『閔妃暗殺』の中で、与謝野鉄幹について、2ページほど触れている(新潮文庫版p419〜p420)。 送還者名簿の中に「領事官補堀口九万一、従者与謝野寛」とある。事件当日ソウルにいなかった与謝野が帰国させられたのは、証人として事情聴取をするためか、またはソウルで何をするかわからない危険人物と見られたためであろうか。彼は広島で簡単な取調べを受けただけで釈放
随行記 郭沫若・日本の旅 作者: 劉徳有,Liu Deyou,村山孚出版社/メーカー: サイマル出版会発売日: 1992/10メディア: 単行本 クリック: 13回この商品を含むブログ (1件) を見る 一番私どもに感銘を与えたのは、変化といえば変化ですが、人間と人間の関係、われわれとあなた方との間の感情が昔と違ったような感じがします。それは一番深く私に感銘を与えました。 学生時代、それから亡命の時代は、先生もご承知の通り、私の国が悲惨な運命に陥っている時代ですから、非常に肩身が狭かったのです。学校の先生からは愛され、同窓の間に友達もたくさんありますけれども、お国の方一般からは、これは無理もないですが、疎隔があったのです。もっと率直にいえば、軽蔑しているというようなところがありました。ところが今度来ると、そういうところが違ったのです。兄弟のような感じです。ことに田舎に行くと、ほんとうに真心
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51586752.html このまとめを見ていて、岩波文庫へのイメージが古いまんまな人が多いように感じたので、90年代以降に出た、比較的とっつきやすそうな岩波文庫を羅列してみる。赤帯オンリー。 というかこういうスレが立つこと自体が岩波文庫ファンとしては悲しい。そもそも初心者向けとか言われるリストが70年代くらいから変わってないのが悪い。もっと新しい時代向けの本(≠新しい本)を見て欲しい。*1 正直このブログを見てる海外文学廃人さんには不要かもしれないと思ったりするけど、書きかけたので書く。 岩波は重版も多いし、この年代のものはそれなりの古本屋へ行けば簡単に手に入る場合も多いので、現時点で品切れしてるものも入れておくよ。 聊斎志異〈上〉 (岩波文庫) 作者: 蒲松齢,立間祥介出版社/メーカー: 岩波書店発
『なんとなく、クリスタル』はブランド小説と揶揄されたそうだが、実際は音楽タイトルのほうが遥かに多く、洋楽カタログ小説といったほうが事実に近い。 しかし、登場するファッションブランドの多くは今もなお残っているが(定着した、というべきか)、音楽ははやり廃りが激しい上、個人的に1980年頃となるとジョン・ゾーンやキップ・ハンラハンといった当時のニューヨークのアンダーグラウンドシーンか、ワールドミュージックくらいしかフォローしていないので(実にありふれた音楽の聴き方である)、同時期にアメリカのヒットチャートを賑わした類いの「洋楽」は恥ずかしながら殆どわからない。 その上、まだレコードの時代なので、後にCD化されても、アナログ時代と同じように出回るものでもなく、中古屋で安く手に入れるのも難しい。 かつてならそこで、さようなら、クリスタルたちとなったわけだが、今はYouTubeというものがある。AOR
プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書) 作者: 鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2002/12/17メディア: 新書購入: 5人 クリック: 23回この商品を含むブログ (24件) を見る この本を読んでいて、一番戸惑いを感じたのは、たとえば次のような箇所だ。 これは、この小説の「語り手」による、社交界の生活の辛らつな描写に関する指摘である。 語り手はこういうときに、いちいち上流社交人の教養の無さを指摘するわけではない。むしろ彼らの言動を淡々と伝えるだけだ。そしてこれは作者プルーストの立場でもあるけれども、憧れを持って入りこんで行った環境のなかにあらわれる人々の滑稽な側面を、彼は異常なくらいの熱意をこめて描く。つまり外部から「フォーブール・サン=ジェルマン」を裁断するのではなくて、一種の共犯的な批判者として、華やかな世界の持つ醜さを、愛情をこめて紹介す
メモ | 02:01 | 中野重治「ある側面」(1956)より むかしロシアで、社会民主主義者たちが社会民主党の政治綱領をつくることで議論をした。そのとき、ある人びとが、ロシアにおける資本主義の発展の問題にふれて、大資本にたいして小資本の持つ重要性の比重が、相対的に小さくなってきているというふうな文案をつくった。それを見て、レーニンが、怒り心頭に発して――というふうに私に見える。――そんな言い方があるか、大資本が小資本を、どしどし食ってきているというふうにいうべきだ、と言っていた。政治綱領というものは戦いのためのものだ。それは戦うものの立場から書かれる。それならば、食う大資本、食われる小資本、その関係が、食う大資本と憎悪をもって戦う立場から、動的に描きだされねばならぬ。そうレーニンは言っていた。言いかえれば、レーニンはそこで、問題を動的に、人間的にとらえていた。いわば文学的にとらえてい
ここに、箱いっぱいに 豆が はいっています。箱を ひっくりかえします。ばらばらばらー。豆が ぜんぶ おちちゃいました。 さて。 さあ。豆にも 箱にも さわらずに、豆を ぜんぶ 箱に もどして! どうすれば いいと おもう? かんがえてみて。 こたえは こんど かきます。 なぞなぞの出典は『達磨よ、ソウルに行こう!』っていう映画です。すぐに こたえが しりたいひとは、映画を みてね。 いただいた回答を ならべていきます。正解がでたら終了! 不正解 「てぶくろを つかう」 「はこの うちがわと そとがわを いれかえる。阿Qの せいしんしょうりほう(精神勝利法)」 「箱の中と外の概念を入れ替える」 「「口で取る」(さわってるっちゅうの)とか「息でフーフー吹いて入れる」(無理)」 「時を戻す」 「掃除機で豆を吸い込んで、箱はマジックハンドでつかんで上を向かせて、掃除機の吸い込んだものが入る箱を出し
風流夢譚 深沢七郎 あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私との妙な因果関係を分析しなければならないだろう。私の腕時計は腕に巻いていると時刻は正確にうごくが、腕からはずすと止ってしまうのだ。私は毎晩寝る時は腕からはずして枕許に置くので、針は止って、朝起きて腕につけると針はうごきだすのだ。だから、 「この腕時計は、俺が寝ると俺と一緒に寝てしまうよ」 と私は言って、なんとなく愛着を感じていたのだった。これは腕時計が故障しているので時計の役目をしないことになるのだが、それでも私は不便は感じなかった。私と同居しているミツヒトという甥は機械類が好きで、時計も高級なウエストミンスターの大型置時計を置いてあるからだった。 数ヵ月前のことだった。 「そんな役に立たない腕時計は」修繕した方がいいじゃァないか」 と弟にすすめられて、弟の知りあいの時計屋さんに持って行ったことがあった。
出版まで、そして出発まで 『親指Pの修業時代』が英語に翻訳されアメリカで発売されたことには格別の感慨を催す。膨大な読書人口を有するアメリカ及び英語圏に作品を送り出すのは、日本語を始めとする英語訳が簡単ではない言語を使って書く作家の抱く夢の一つだと思うが、私の場合はそれに加えて、この作品は九〇年代に一度アメリカの出版社と出版契約を結び、前払い金を受け取り翻訳者にも紹介されていたにもかかわらず、先方の都合で出版キャンセルとなった、という経緯がある。それから十年以上が過ぎ、英語訳の夢はおろか『親指P』という作品のことさえ頭の隅に吹き払われてしまっていた。 しかし、英語版『親指P』の、黒地にタイトルを銀色と鮮やかなピンク色で印字した、ポップであると同時にいわくありげな、しかし俗悪には陥らず品位を保った美しい表紙に、珍しい生きものであるかのように見入るうちに、少女時代から性革命の国として太平洋のこち
目白雑録 2 (朝日文庫) 作者: 金井美恵子出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2009/07/07メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (25件) を見る 金井美恵子『目白雑録2』*1から。金井先生初めてWWEの試合を見に行くの巻(「大久保の桃、その他1」); なにしろ生まれて初めて見るものなので、全体像は把握できないものの、ごく単純なストーリーのラインがあるらしく、カウボーイ・ハットを被って登場するジェリー・リュイスとトラボルタを混ぜたようなプロレスラーが卑怯でコミカルな悪役*2らしく、大巨人という巨大なレスラーとの対決を口先で言いくるめて逃れておきながら、もう一方の敵のグループと結託して、リング脇の鉄製の会談で大巨人をめった打ちにやっつけたと思っていると、いつの間にか『ミカド』や『マダム・バタフライ』の初演時の衣装のようなキモノを着た白塗りのヒ
11月25日は三島由紀夫の命日、つまりいわゆる「三島事件」のあった日である(1970年)。 ぼくはこの事件のとき、もちろんまだ子供だったが、当時フジテレビの「3時のあなた」という人気のワイドショー番組があり、学校から帰宅すると、事件のことを緊急特番的まに報じていたのを、忘れない(しかし、もっと後の時間だったかも知れない。番組が延長されていたのか?)。 三島については、名前は何となく知っていたようである。 そして、それ以外の記憶というのはないのだが、ただ一つの強い印象としてあるのは、この事件が、その後長い間社会の全体か、少なくともある人たちの間に、何か重しのようなものを残したらしい、という感じである。 それは、テレビや雑誌や新聞などの情報に接していて、そんな感じを持ったのであろう。 だが最近、この事件に関して語られていることを読むと、当時の雰囲気が忘れられた、なかったことになされてしまってる
最近はてな界隈でよしもとばななの『人生の旅をゆく』(幻冬舎文庫)が話題になった。それで文庫本を買って読んでみた。ネット上で取り上げられた一節を読んでの私の感想は、はてなブックマークにコメントした通り「店長に同情する」であって、これは本を読んでも変わらない。せめてワインの栓を抜く前に店長に相談するべきだったとしか思わない。ただし、本全体の印象は、とくに変わっているとかそういうものはまるでなくて、おばさんにうまくなりきれないおばさんのあるタイプの女性の心情が素直に書かれているなという印象。 私にとってはよしもとばななの本をちゃんと全部読んだのはこれが初めてで、むしろそのことのほうが自分としては大きかった。80年代、まだ吉本ばななと名が表記されていた頃、小説がすごく話題になっていて、しかも女性に人気だということで、だったら読んでみようと一冊手に入れて読み始めたけれど、どうにも読めなかった。途中で
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