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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (23)

  • 心の中の深い傷 - finalventの日記

    心の奥底に深い傷があり、人を愛することができない。自分は欠陥人間なのだと思う。というか、心底悲しい。 もちろん、自分なりに人を愛するとはこういうことかと、賭けのように確信してみたり、そして、結果的に僕の人生はもうほとんど過ぎてしまったので、その中には、神の十分の恵みのもとで、愛は与えられたのだと思う。その意味では、愛することがなんとかできたのかもしれないし、そこにはなにか信仰のような思いはある。感謝もある。 Acimを通しても、ある人への嫌悪はどうしても抜けない。それをもって愛することができないというならまだできない。赦すことができないかと問われれば、赦すことはできるようになった。Acimのイエスが言うように、それはなかったのだというならそれも理解できる。 だがそれでも、沸き起こる嫌悪感は抜けない。そしてその奥になお怒りが隠れているのではないかとも思う。 昨晩は寝つかれずそれを見つめて、泣

    心の中の深い傷 - finalventの日記
    sasakill
    sasakill 2013/06/12
  • 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』のパズル - finalventの日記

    『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』の再読四度目。さすがに飽和的になりつつある。 明確にパズルだなと思えることは一つ解けた。あとは曖昧な部分は残る。 五行説云々と多少は関係する。というか、関係はあるにはある。 まず重要なのは、こののタイトルだが、長ったらしいので幻惑されてしまうが形容部分を除いて簡素にすると、「多崎つくるとその年(the years)」ということになる。二項の前項は「多崎つくる」でその部分は注目しやすい。が、パズルは「彼の巡礼の年(his yars of Plirimage)」という特定の年(the years)にある。 yearsが複数形なのは、リストの曲が複数年にわたることからの引用だが、同時に、つくるの年月を暗示している。 で、それにしても、"Year"として項化されているのだから、それには四季という4つの季節がある。春・夏・秋・冬である。これには、色彩が与え

    『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』のパズル - finalventの日記
    sasakill
    sasakill 2013/04/25
    これはおもしろい読み解き。
  • naoyaさん、はてなを去る - finalventの日記

    退職のお知らせ - naoyaのはてなダイアリー ⇒はてなブックマーク - 退職のお知らせ - naoyaのはてなダイアリー 驚きはあるけど、まあ、そんな季節かなという感じもする。naoyaさんはどうなるんだろうとはまったく疑問に思わないが、はてはどうなっちゃうんだろうとは思う。が、そう経営が悪いふうでもないようだ。 彼が、はてブを作ったこともあってはてブで盛り上がっているが、これはどっちかというとdeliciousの真似の偶然の産物で結果的に日のdigg化してのだけど、それでも偏りが多くてサブカル化し、しかも罵倒ワンストップを超えられない、まあ、いまいちなサービスだったけど、それでもはてなのドル箱シンボルのようにはなっていたし、そのあたりはnaoyaさんもいろいろ考えるところはあったのではないかな。ただ、ドル箱はここではなさそうだけど。 naoyaさんのエンジニアとしての注力はもっと

    naoyaさん、はてなを去る - finalventの日記
    sasakill
    sasakill 2010/09/01
    はてブ評が的確でさすがだなと思った
  • 「ブラック・スワン」、読んだ。 - finalventの日記

    とんでもないだった。 いや、トンデモではない。すごいというのとも違う。村上春樹の小説なんかに近い文体とテーマでもある。 総じて呆れた。こういうやつがいるんだなぁというか。 自分はタレブほどではないが、世界を変なふうに考えるのだけど、タレブのほうは筋金入りの変だった。 というか、これは、シリアの正教徒的というのか、とにかく私たちが現代社会普通に目にするタイプの知性ではなくて、古典の知性だ。ギリシア哲学とかに近い。 数学的にはというか、哲学的には、人口に膾炙された「ブラック・スワン」の問題というより、ベルカーブではないランダム性の持つ必然というあたりだろう。ということで、マンデルブロ的な安定分布の変異なのだろうが、つまり、それすらもわからないこともあるというのが世界認識の前提なわけか。 私はブラック-ショールズ方程式とか理解できないのだが、その前提がベルカーブだとしたら、それは必然的にブ

    sasakill
    sasakill 2009/08/11
    finalventさんのブラックスワンの感想。すごい本です。
  • うーむ - finalventの日記

    なんか悪口みたいに聞こえるかもしれないけど、佐々木さんて文学的な感性っていうのか、ないのかな、とは思った。 ⇒「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan 読み方はさまざまにあるけれども、ひとつの切り口から見れば、村上文学はこう読み取れる――初期の作品群は、主人公「卵」がいかに世界のシステム=「壁」から回避し、孤独でシニカルな生き方を選びとることができるのかというテーマに覆われていた。社会からの撤退であり、その撤退の先にいったい何が待ち受けているのかという問題だ。ところが一九九〇年代以降、そのテーマは大きく変容している。 初期作品の総括ともいえる、これ読んだことないのかな。 羊をめぐる冒険: 村上 春樹 この物語の冒頭に描かれている三島由紀夫の自決の描写が、今回の文春での団塊世代への批判に呼応しているのに。 あと。 壁と卵は対立しているだけではな

  • 小林秀雄のこと - finalventの日記

    ざっと読んだだけでコンテクストがよくわからないのだけど。 ⇒橋治「小林秀雄の恵み」(2) - 日々平安録 こちらはスキーマティックなので理解しやすい⇒橋治「小林秀雄の恵み」(1) - 日々平安録 まあ、ただ、少し離れて、いわゆる小林と宣長のことということで、ちょこし。 以前にも書いたけど。 小林秀雄という人は、ちょっと私の強引な視点だけど、基的に西洋の枠組みでいえば神学をやった人。それを「身の丈」とか、「日常」とかいうため誤解される。けど、それは、いわゆる日常ではなく、近代合理主義や科学主義みたいにな世界観に対応している、人間の常識に潜む神学的信念の由来、根拠みたいなものであって、ある意味、フッサールの還元に近いものだ。またフッサールによる科学批判にも近い。 で、根幹には神秘的実在の明瞭な感覚があり、それは、実は小林の初期から一貫して流れている。 この問題は初期には女と罪の関係に表現

  • 私が言うと誤解されるんだろうけど(リライト版) - finalventの日記

    最初の版では、私ことfinalventの立ち位置(アルファーブロガーと言われることがある)から読まれると誤解されるだろうと懸念したことと、具体的な著作家やブロガーを指示したこともあり、私としてはそういう含意も内意はなかったのだが、ご不快に思われたかたもあったようだった。ブログは書き方を注意しないといけないものだなと反省する機会にもなった。以下、具体的な著作家やブロガーを指示しない形で、内容点だけ構成しなおしてリライトしてみた。 ----------------- ブログユーザーが現状どの程度広がっているかについては統計的には知らないが、はてなダイアリーが始まり、アルファーブロガー企画などがあった4年前から比べれば、大きな変化を遂げた。そこで原型的ともいえる4年前のブログの世界だが、さらにその先駆型となるMTなどの技術への関心の話題やfj的な技術系を引いた話題のブログがあり、それに傍系として

    私が言うと誤解されるんだろうけど(リライト版) - finalventの日記
  • ネットの言論はクズ - finalventの日記

    ⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で

    ネットの言論はクズ - finalventの日記
  • 文章の敵は美学 - finalventの日記

    文章のうまい人間はえてしてすかすかなもんだなと思う。まあ、いろいろな文章があってもいいし、資主義にあっては、文章の価値とは、一義に売文だ、いろいろな形態であれ。それはそういうもんだというしかない。 で、ブログというのはそういう面もあり、そうでない面もある。ただそれだけのこと。 そうでない面では、糞の価値にもならない文章が書けるということ。ああ、自由だ。 文章には技術というものがあるのだろうと思うし、書いていれば、ああ、こういうのが技術かと得心するのがあるが、なぜかそういう文章技術は、いわゆる文章技術には書かれていない。その理由もなんとなく思うが略。 で。文章の敵は美学だと思う。なにかを完成させたり、名文というかそういうのを書きたいという思いだろう。あるいはそういう視点での評価だ。なぜそれがだめかというと、結局それは既存のロマンとかポエムとか、セカンドハンドな類型に堕するからだ。 文章

    文章の敵は美学 - finalventの日記
  • アメリカ食 - finalventの日記

    ⇒( ;^ω^)<へいわぼけ: アメリカの家庭料理ってどんなものがでるの? まあ、ありがち。 アメリカというのは意外と難しい。 米人とつきあってると、ときたま、ぞっとするほど旨いものを出されることがある。今思い出すのは2つのサンドイッチ。 1つは、ライ麦パンに、サワークリームとマッシュルームを挟んだやつ。これが、すごい旨い。どうも単純なんで自分もマネして作るけどできない。どうしてなんだろう。味のハーモニーがすごかった。 もう2つは、アボガドとシュリンプを挟んだやつ。レモンかライムの酸味と香りがあるのだけど、これがマムモウマー! アボガド・ディップにボイルしたシュリンプ入れただけじゃないかと思うのだが再現できない。 サンドイッチというのは奥が深そうなのだが、いまだわからない。 ローストビーフが旨ければこれにレタスとトマト挟んでうだけでマムモウマー!だけどこれは再現できる。

    アメリカ食 - finalventの日記
  • 以前にも書いたと思うけど奨学金のこと - finalventの日記

    ⇒大学のこと 卒業したら、20年近くかけて奨学金を返さなければならない。 20代前半にして何百万も借金を作ってしまった。 覚悟はしていたものの、具体的な額を見たら、さすがに眩暈がした。 でも、これで良いのだ、この四年間で、それに見合うだけの経験が出来たはずだから。 そう納得しようとしていたところだった。 私は返却終えてとても寂しかった。 毎年毎年年末まとまったカネを返した。これをクリスマスに充てられたらとか若いときは少し思ったし、インフレ時代に育ったせいか金利を低くするようにできるだけ早急に返してしまった。借金は嫌だったし。 でも、終わったら、空虚だった。年が終わるころ、奨学金返済に充てるカネ残しておこうという気持ちは長いこと、なんというか、青春からエールをもらっているような気がした。 学生時代はよく勉強したつもりだったが、まるで足りない。 社会に出たら、Reading assignmen

    以前にも書いたと思うけど奨学金のこと - finalventの日記
    sasakill
    sasakill 2007/01/31
    『私は返却終えてとても寂しかった。』
  • 衆愚というかPV考というか - finalventの日記

    専門家が専門領域でブログを書くとどのくらいのPVか。これはその専門領域の利害に関わるわけで、カネの絡む専門領域だと5万くらいになりそうだ。ではそうではない領域はというとそこからグラッジュアルに下がるかというと、いくつかのクラスターになりそうだ。もともと専門領域というのはメディアを持っている、か、あるいは、バックアップされている。つまり、ブログに出てくる専門領域というのは、そのメディアのプロモーションかバックアップなしということになる。前者はそのメディアの力に依存するだろう。後者はたぶん500PVもいかないのではないか。ブログというのはフィッシャーの法則どおり:-)更新速度が関係している。 RSSによって読む層がどのくらいあるかだが、これは案外小さいように思うし、それほど伸びないのではないかと思う。上限で2万人くらいかもしれない。GIGAZINEなどは事実上RSSでないと読めないほいでサイト

    衆愚というかPV考というか - finalventの日記
  • 白川静、死す - finalventの日記

    ⇒asahi.com:中国文学者の白川静さん死去 著書に「漢字」「孔子伝」 - 文化一般 - 文化芸能 漢字研究の第一人者として知られ、文化勲章を受章した中国文学者で立命館大名誉教授の白川静(しらかわ・しずか)さんが10月30日午前3時45分、多臓器不全のため京都市内の病院で死去した。96歳だった。 かつて若気の至りでこんなことを書いた こんなこと⇒極東ブログ: 白川静は「と」だと思う 今ならこうは書かないな。無意味な反発を招きすぎた。 関連⇒極東ブログ: 漢字は表意文字という話 関連⇒極東ブログ: 漢字という虚構

    白川静、死す - finalventの日記
  • たぶん、死というのは - finalventの日記

    目覚めない眠りと区別できない。 ただ、我々は、自身を実は、記憶と身体によって同定しているので、身体がない状態で目覚めるというのを想定しにくい。 ただ、夢のなかで我々は目覚め、ある身体を得ている。 これは奇妙なアポリアで、実は、死というのは、終わりとか、dead endのように想定されるが、その想定の認識者は不在というか目覚めを想定している。 まあ、奇っ怪というか、普通の我々の無意識からすると、我々は何億年も生命として生きているわけで、そして今こここの生命はなにかの目覚めとしての私のような気がしている。

    たぶん、死というのは - finalventの日記
    sasakill
    sasakill 2006/10/28
  • ブログと論壇誌メモ - finalventの日記

    いわゆる論壇誌について 論壇誌について、私は定期購読ではないですが「文藝春秋」はほぼ毎月読んでいます。「中央公論」や「世界」はそのとき気になる記事があれば読みます。他の論壇誌も同じです。 個人的な印象にすぎませんが、いわゆる論壇誌は私にはあまり面白くありません。読む前から結論のわかっているテーマが多く、短い記事は冗長になりがちであり、ある程度奥行きのある話を求めるならその書き手の著書や新書(たいてい存在する)なりを読んだほうが、情報の収集という点でも便利です。 論壇誌が日で存在している理由は、出版文化として社会問題について書ける人材を育てるということと、現在の出版界において、新書や新刊書の広告的意味を担っていることの2点ではないでしょうか。 南原繁でしたか記憶によるのですが、東大の卒業生へのはなむけの言葉で、大学を出てから文藝春秋だけ読んでいるようではだめだと諫めたのは。時代は昭和三十年

    ブログと論壇誌メモ - finalventの日記
    sasakill
    sasakill 2006/10/11
    さりげなく重要。
  • 現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記

    きっかけは。 これ⇒記憶のメモ帖 - 世代で語れない世代 世代論はオッサンの為の言葉 そもそもまとまってない私達の世代を第三世代と括るのは、結局「近頃の若いものは」っていう〜紀元前から続いてる迷文句を言いたいが為だと思うのですよ。 上の世代は世代としての同質性を保ってられるから、世代論は使いやすいと思うのですが、第三世代以降は少なくとも80年代生まれ以降は*1世代ではなく、『類型』で語られるべきだと思うのです。 世代論はオッサンのためというより、現在の日では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ。(どっちも強烈にWGIPプロトコル) 国民を制度的に拘束することによる国民経験というのは、基的に戦争しかない。ほいで、戦前世代が死に絶えたあと、戦中派という戦争=腹減った世代と団塊の世代=戦争を知らない世代の2つしかないんですよ。 そのあとは質的にグラジュアルなものです。

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  • 団塊の世代に思うことというか - finalventの日記

    以前にも書いた話をまた書いているのだが。 きっかけ⇒はてなブックマーク - ロリコンファル - 団塊の世代 ?絶対的自信の世代? 前提の団塊の世代だが、キーワードより。 第二次大戦後、数年間のベビーブームに生まれた世代のこと。 堺屋太一が命名し、「昭和22年から26年頃までに生まれた人々」(1947年から1951年ごろまで)という定義をした。 私が昭和32年。自分からすると5歳上から10歳上という感じ。 ネットが始まったころ。この世代の一部が参加したので、それをきっかけにいろいろ教えてもらったことは多い。 私が今49歳。団塊世代が55歳くらいか。ま、私ももうすぐ50歳なので、はてなぶいぶいな世代からみると、50歳と55歳って、なんか違いあるんすか?となるだろうと思う。 ちなみにユーミン(松任谷由実)が昭和29年。私より3つ年上。 若い人からみると私とユーミンなど同世代に見えるだろうが、私か

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  • 朝日社説 冥王星 地球は君を忘れない - finalventの日記

    読んでてあれれという感じ。もしかして執筆子、冥王星誕生の由来や背景を知らないのでは? ウィキはさらっと書いてあるので、これではわからんか。 ⇒冥王星 - Wikipedia 海王星の摂動が発見されたことから、第9惑星の存在が議論されるようになった。パーシヴァル・ローウェルは第9惑星の存在を予想し、その探索に生涯を捧げたが、発見に至らなかった。彼に学んだクライド・トンボーは当時最新の技術であった「天体写真」を利用。膨大な写真を撮影し、それを丹念に精査した結果、1930年に「第9惑星」を発見した。それが冥王星である。 ⇒パーシヴァル・ローウェル - Wikipedia パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell, 1855年3月13日 - 1916年11月12日)は、アメリカ合衆国ボストン生まれの天文学者である。 もとは実業家であったが、数学の才能があり、火星に興味を持って天文学

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  • 明け方ふとリトル・ブッダのことがわかった - finalventの日記

    ⇒finalventの日記 - そういえば、先日リトルブッダをTVで見た わかったというのではないが、最終シーンで米国に戻り、ラマ・ノルブの遺骨を海に散骨……、このときジェシーの母親は妊娠しているのだが、こうして悲劇に遭った家庭にも東洋の英知を活かして明日にむかって生きていくみたいな見えたのだが。 明け方ふとわかった。 なんでこんなことがわかんなかったのだろう。 あのジェシーの母のおなかの中の子供はラマ・ノルブなのだ。次の転生でジェシーに従って学ぶと言っていたではないか。 映画はぼんやりと見ていると、ジェシーは転生ではないし、アメリカ人はアメリカ人かと見えるが、そうではなく、ジェシーは転生であり、ノルブもそれに従ったという暗示であったか。 まあ、そう見なくてもいいのだが。 こういうことはたまにある。 カラマゾフの兄弟で、頭のほうでゾシマがミーチャの足下に伏すシーンがあるがあれはミーチャがキ

    明け方ふとリトル・ブッダのことがわかった - finalventの日記
  • GAGZINE プログラミングとセックスが似ている点 - finalventの日記

    Programming Is Like Sex - Push cx なるほどプログラミングとセックスってよく似ている。 One mistake and you have to support it for the rest of your life. (Michael Sinz) (ちょっとしたミスでもしたら死ぬまでそのサポートしなくちゃいけない。) Once you get started, you'll only stop because you're exhausted. (始めちゃったら、種切れになるまでやめられない。) It takes another experienced person to really appreciate what you're doing. (やってることが理解できるなら、自分の経験になる。) Conversely, there’s some odd

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