イースター休暇でイタリアに行っていました。 イタリアの鉄道 Trenitalia は Futura で統一してありました。これはローマのフィウミチーノ空港駅。
イースター休暇でイタリアに行っていました。 イタリアの鉄道 Trenitalia は Futura で統一してありました。これはローマのフィウミチーノ空港駅。
studio ひいるすさんの「その都市伝説のソースらしきものに出会いました...」というコメントについて、さらに付け加えます。日本の出版物の内容に変化が生じてきたかもしれないというお知らせです。 studio ひいるすさんのおっしゃっているのと同じ本かどうか分かりませんが、きわめて似た内容の書かれている本の著者に私の知り合いが尋ねています。きょう、その知り合いから以下の返事がありました。 「この話の出所を著者に会って確認したところ、この著者はある雑誌に載っていた話を覚えていてそれを書いたものだということが分かった。その雑誌に載っていた話自体も、日本での伝聞話を書いただけのもので客観的に信頼できるものではないことを確認してもらった。そのうえで、訂正した内容の改訂版を出すことになっているらしい」 そんなわけで、改訂版にご期待ください。 しばらくご無沙汰してしまっておりました。 おぉ、そうだ!と
Jan Tschichold(ヤン・チヒョルト、1902-74)はライプチヒに生まれたタイポグラファです。 パウル・レナーに招かれて1926年にミュンヘンの学校で教壇に立ちますが、1933年にナチスによって職を追われて、その後ドイツを離れてスイスのバーゼルに移ります。大戦後もイギリスのペンギン・ブックスのリデザインを任されるなどブックデザイナーとして活躍して、1966年にSabon という優れたローマン体も残しました。 先日、勉強のためにチヒョルトの本『Erfreuliche Drucksachen durch gute Typographie』を買ったところ、組版の例のいくつかが Futura で組まれていました。日本でささやかれている「Futura はナチス」関連の噂話では、「チヒョルトは Futura を避けていた」みたいなのもあるそうですが... チヒョルトは良い組版の例を示すのに
2週間ほど前、オランダの書体デザイナーが会社にきて、ちょっと打ち合わせをしました。仕事の話が一段落してからお茶を飲むときにたまたま他の社員がお茶の用意などしていて二人っきりになったときに、チヒョルトの話になりました。それから発展して、私は日本での Futura の噂の話をしたら、文字通り目をまん丸くしてそのあと顔をしかめて「変な話だな! レナーが反ナチだったのは誰でも知っていることじゃないか!」といって驚いてました。ついでに、日本では変な話が他にもあって、「Univers はオランダを連想させる書体だ」という話もインターネットで見たよという話をしたらそれにも目を丸くしてました。そんなの全然ちがうって。 パーティなどでそういう「日本での Futura の噂」をちょっとした話の種にすることがある。たいてい相手は書体デザイナーか、デザイン学校の先生か、または書体デザインのことを勉強している学生さ
ATypI (国際タイポグラフィ協会)のコンファレンスで講演をするために9月13日から16日までイギリスのブライトンに行ってました。うかつにもカメラを家に忘れてしまって、町なかの写真は写真は撮ることができませんでしたが、印刷物を持ち帰ってきました。会社が予約してくれたホテルの受付でもらったホテルの案内カード(中に部屋番号が書かれている)の BRITANNIA HOTELS と書かれた部分は Futura です。 アンティーク屋さんで、West Dean 大学のパンフレットをもらってきました。一番下の一行だけは(なぜか) Gill Sans ですが、あとは Futura です。
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